| 34778 | 返信 | 靖国思想 | URL | 小林 哲夫 | 2005/05/01 10:34 | |
| 水原文人さん こんにちは 昨日の「朝まで生テレビ」で福島社民党議員が、司会者から「あなた自身は靖国神社に行かないの?」「現在の日本の平和の礎になって死んだ人に感謝しないのは問題だよ?」と聞かれて、答えられずしどろもどろになっているのを見ました。 「私は靖国には行きません」とは即答できない社民党になってしまったようです。 私は靖国に祀られている戦死者の鎮魂をすることは肯定します。 また戦死者に心から同情しています。 靖国神社の存在に反対ではありませんし、参拝に行く人を非難もしません。 しかし「現在の平和の礎」などという言い方には絶対に賛成できません。 このような言い方が、どういう論理で言われるようになったのか、さっぱり理解出来ません。 戦死者に感謝することは出来ませんし、感謝するのはおかしいと私は考えます。 戦争を美化し、戦死者を美化する、靖国神社に、私自身は参拝しません。 靖国神社は宗教ですから、行く、行かないは個人の自由です。 他人が「行くべき」「行ってはいけない」と言えることではありません。 しかし政治家が行くのは政治的意味ですから、戦争に反対の政治思想の人は行くべきではないと考えます。 よって社民党員は「参拝しない」と、はっきりと言うべきだと思うのですが、それが出来ない現状を残念に思います。 外国への説明 日本人の宗教観(靖国神社観)を小泉首相はもっと説明すべきだという批判がありますが、そのためには日本の宗教観の特殊性についての認識が必要です。 日本の宗教観の特殊性は、「怨霊思想」に典型的に現れていると思います。 平将門を祭った神田明神がその一例です。 謀反人を征伐したけれど、その成敗された恨みがたたりをすることを恐れて、征伐した人が謀反人の霊を鎮魂するために建立したのが、神田明神です。 このように謀反人さえ「祀り」「神とする」のが日本文化です。 これを思想として言えば、敵味方の相対化です。 戦争をした双方を平等に見ようという姿勢が日本の戦争観を貫いています。 源平の戦いを描いた物語の名前が「平家物語」だという点にも象徴されています。 だから例え戦犯と言えども、祀ることに何の違和感もありません。 特に東条首相が処刑された時のその無念な気持ちを日本人は共有しています。 日本人の多くは、彼のことを犯罪者だなどと思っていませんし、それが日本人の宗教観です。靖国神社に祀られるのは当然と感じていると思います。 さて以下は水原文人さんへのつまらない批判です。 私は上のような意味で、怨霊思想は日本の特殊な文化だと説明したら、水原文人さんは「そんなものは世界のどこにでもある。」と言いました。 私はその一例でも教えて下さい」と聞きましたら、「ギリシャ神話」という答えでした。 ギリシャ神話のどの話ですか?と聞きましたが、答えがありません。 私はかねがね水原文人さんの文章は、議論相手をやり込めるために、「さも何か深いことを知っているような振りをして、ハッタリをきかせて、相手の無知を馬鹿にする」という性癖があると思っていて、なるべく相手にならないようにしてきました。 怨霊思想に似た宗教観の具体例を持たないままに、「世界のどこにでもある思想だ」などと相手を否定するやり方はやめて欲しいと思います。 水原文人さんと私の問題意識は相当近いので、横レスを入れられるとつい議論したくなる私が馬鹿でした。 今回「ギリシャ神話にある怨霊鎮魂の具体例」を教えてもらえなければ、私の水原文人観は確定すると思って下さい。 芥屋さん 忘れちゃ嫌ですよ。 34313番の例の件です。 >「じっくりと考えたいので・・・・」の言葉に芥屋さんの奥深さを感じました。 >告天子さんとは一味違うところが解って楽しみです。 できれば34331番の続きを期待しています。 |
||||||
![]() | ||||||