| 34782 | 返信 | Re:「罪刑法定主義」と国際法-3 | URL | 五番街 | 2005/05/01 15:13 | |
> これまでのところ、東京裁判が、罪刑法定主義を無視したものである、ということは両者意見が一致しており、 いや、私はこんなことは言っていません。これは告天子さんの主張にすぎません。 ご自身が、【東京裁判で下された刑罰の根拠はどこか、直接には極東軍事裁判条例であり】と述べられているように、この条例には罪の規定と刑罰の規定があり、罪刑法定主義の原則が適用されています。したがって、東京裁判は罪刑法定主義を無視したものではありません。 私が主張しているのは、国際法には罪刑法定主義が適用されない、ということです。それを無理強いに適用させようとしているのが告天子さんです。 ところで、拡大された文字は下品にみえますので、今後やめてもらえませんか。 >五番街さんは「国際法では、罪刑法定主義は不必要であり、当然に無効」な原則であるから、無視するのが国際法の原理だ、との説。 この告天子さんの文章では、私の言いたいことがうまく表されていないので、次のように改めます。 ・罪刑法定主義は国内刑法の原則であり、国際法には適用されない。罰則規定がない国際法違反者に対する処罰は、この原則ではなく、国際慣習法として実施されていた。 >私は、罪刑法定主義の無視は、それが「勝者の裁き」であるが故にそうなのであり、法の論理に基づいたものではなかろう、だから不当である、との意見です。 国際法は「「刑」の規定が備わっていないという特徴があり、したがって、それに対して罪刑法定主義を適用することは不当だ、と考えています。この罪刑法定主義の不適用は、「勝者の裁き」とは全く無関係です。 もし、「勝者の裁き」によって罪刑法定主義が無視されるのだ、と主張されるのであれば、勝者ではない者、たとえば、中立者あるいは第三者の機関による国際法裁判の場合、この罪刑法定主義が適用されるということを論証する必要があると思いますが、告天子さんは全く論証しませんね。できるとも思えませんが。 この主張に対して、私は、国際法には罪刑法定主義の原則が適用されないのだから、中立者あるいは第三者機関による裁判の場合でも、この原則は適用されない、と反論したのですが、この反論に対しては再反論はありませんね。 > それから、東京裁判が「不戦条約に基づいた、正当なものである」ならば、 このことも、私は全く述べておりません。極東軍事裁判条例が管轄として掲げた3種類の犯罪、すなわち、平和に対する罪、通例の戦争犯罪および人道に対する罪のベースとなる国際法は、ハーグ条約とその陸戦法規、不戦条約、国際慣習法、侵略の罪および人道に対する罪です。それから、ジュネーブ条約などです。要するに、日本が締約するか、あるいは国際基準として日本に適用され、しかも、日本が違反した国際法です。不戦条約は、その一つに過ぎません。また、東京裁判が、「不戦条約に基づいた」などとは全く考えていないし、そのようにも述べていません。東京裁判は、これらの国際法違反を処罰するための裁判です。 >どうして国際社会で「違法、侵略」として裁かれた満州事変の首謀者の石原将軍が訴追されないのか。 私自身も検事局が石原氏に関して不訴追の決定を下したことは納得できませんが、それをもって、東京裁判が不当であるとか、「政治裁判「であるという結論を導くことは短絡論理です。 >また、罪刑法定主義はともかく、事後法の裁き、そして、「勝者の裁き」ということがどうして東京裁判では問題にされないのか。 いったい、「罪刑法定主義はともかく」って何ですか、これは?アナタの主張は、東京裁判では罪刑法定主義が無視されたため、この裁判は「勝者の裁き」であり「不当」、というものであったはずです。ここで、「罪刑法定主義」を「ともかく」と除外するのはなぜですか?私の主張を受け入れて、「罪刑法定主義」の原則が適用されないことを支持するのであれば、明確にその旨を書いてください。 国際法は、事後法による遡及処罰も認めており、その法的根拠はハーグ条約のマルテンス条項にあります。さらに、戦争犯罪人を捕獲した国が、その裁判を行うことは国際慣習法であり、したがって、戦勝国が東京裁判を実施することはこの法にもとづくものです。 これらの問題が東京裁判で問題にされなかったのは、国際法の観点から合法であったからです。 >原爆投下の罪が裁かれないという事実は、東京裁判が「政治裁判」であることを物語っていると思います。 原爆投下の罪が東京裁判の対象にならなかったのは、それを対象にしていないから、という簡単な理由によるものです。 > > 前回の投稿で私が述べたことを要約すると、罪刑法定主義は国内刑法に適用される原則であり、国際法には適用されない。罰則規定がない国際法に違反した場合でも処罰が行われており、この処罰は国際慣習法として定着している。したがって、戦争関連の国際法違反者が処罰されることは当然である、ということです。(五番街) > > そこまでは、おおむね同意見ですね。東京裁判が、そういう裁判として、正当であるかと言えば疑問だ、と私は思うわけです。(告天子さん) なるほど、私の主張に対して、「おおむね」支持するのですね。ご自分の発言に責任をもって下さいね。後半になると、このご自身の発言と矛盾したことを述べていますね。 では、告天子さんが東京裁判の正当性に疑義を感じるのはどういう理由によるものですか?このように、理由も書かずに単に「思う」なんて書いても、議論にはなりません。きちっと、その「思う」理由を明確に書いて下さい。 > > ちなみに、東京裁判での清瀬一郎弁護人は、国家行為にたいする個人の責任は問われない、と主張していますが、これは前回の投稿で引用したヴェルサイユ条約での前ドイツ皇帝に対する追訴規定に対する無知に由来するものとしか思えませんし、この追訴の決定が、それまでの戦争犯罪人の処罰を認めるという国際慣習法をベースとすることからすれば、この国際慣習法も理解していない可能性があると考えています。(五番街) > > 国際法を基準にして、主権国家の国法を無視できるか、となれば、やはり戦争でもない限りは難しいでしょうね。(告天子さん) 私の発言に対するこの告天子さんのコメントの意味が全く理解できません。いったい、このコメントと私の発言とはどんな関連性があるのでしょうか? >「弁護人は国際法も理解していないのか」というのは、ちょっと一方的な意見かと思います。 あぁ、そうですか。では、清瀬弁護人が国際法を理解していたうえで「国家行為にたいする個人の責任は問われない」と主張したことを論証してください。 >実際、ドイツ皇帝の「訴追」はされたものの、引き渡しや処罰というのは、行われたのでしょうか?。 以前の投稿での指摘した「戦争開始責任および刑罰執行委員会」は、前ドイツ皇帝の裁判を人権を考慮して「対面」で行うことを決定しており、中立国オランダに亡命していた前ドイツ皇帝の引き渡しを同国が拒否したために、この裁判は実現しませんでした。しかしながら、この引き渡し拒否は偶発的ファクターであり、日本も参加した「委員会」が、地位にかかわらず戦争犯罪の責任者(戦争犯罪人)を処罰するという決定を下したことが重要です。 >五番街さんは、「勝者の裁き」というヴェルサイユ条約を、「国際法」として正当視しすぎていると思います。 告天子さんは、「勝者の裁き」にこだわってますね。嫌みに聞こえます。前述のように、戦争犯罪人の裁判および処罰は、彼を捕獲した国家が実施することが国際慣習法であったのですから、多くの場合、勝利国によって行われるという現象が発生します。そして、一般兵士による戦争犯罪を自国で裁いたケースはごくマレでしかありません。これは日本の場合も同様です。 ところで「正当視しすぎている」とはどういう意味ですか?このヴェルサイユ条約は国際法であることは分かり切ったことですから、それを「正当視しすぎている」という批判的な発言の意味が理解できません。詳しく説明して下さい。 なお、日本は勝利国として、前ドイツ皇帝の裁判には裁判官を派遣する予定であったことからしても、東京裁判の裁判官が勝利国出身者によって占められていたことは受け入れられるべきです(むろん、日本政府が批判しているワケではありませんが。) >裁く根拠が「人道」程度のことでしかないものだから、結局、裁かれずに終いだったのだと思いますが・・・。 ちがいます。勝手な想像で言わないでください。以前の投稿で書いたように、前皇帝の罪は、【国際道義と条約の神聖を傷つけた最高の犯罪】です。前述のように、「委員会」は対面裁判を行うことを決定していたが、前皇帝の引き渡しが行われなかったから、裁判も行われなかったのです。 > ですから、私はそのところ、罪刑法定主義を絶対不可侵の原則であるとは考えていないということで、「告天子は罪刑法定主義を主張しているはず」と考えると、分からなくなると思います。 そうですか?そうですか?アナタは、#34723で次のように述べています。 > むろん、告天子さんの主張では、刑罰の規定が存在しない国際法違反を理由に刑罰を課すことは不当、ということになります。(五番街) >可能だが、不当だ、と申しているわけです。(告天子さん) さらに告天子さんは次のようにも述べています。 # 罰則のない刑法など、あり得ませんし、罰則のない刑法に基づいて #「縛り首にした」ならば、した方が無法者なのです。(#34658) ここで示されている告天子さんの考え方は明確に「罪刑法定主義」ですね。告天子さんは、「刑罰の規定が存在しない国際法違反を理由に刑罰を課すこと」を「不当」と明確に述べています。また、「罰則がない刑法にもとづいて「縛り首」」にすることを「無法」と非難しています。罪刑法定主義を主張しているから、このような「不当」とか「無法」という判断が行われるのです。 そして告天子さんは、今回の投稿では、さらに次のようにも述べています。 > さいです。罰則のない法に基づいて縛り首にしたなら、そいつは無法者です。改めてそう主張します。 にも関わらず、その前段落では、次のように書いています。 >ハーグ条約の場合は、罪(違反行為)が決められているのですから、それが「罰せられない」のだとなれば、おかしな話でしょう。 ホント、支離滅裂ですね。罪が決められ、罰則規定が存在しないハーグ条約違反者を処罰することが当然、と言ったかと思うと、次の段落では、罰則規定が存在しない法によって処罰することは「無法」だと述べているのですから、開いた口がふさがりません。 もし、まともな議論をお望みなら、このようなハチャメチャに矛盾した発言はお止めください。また、むろん、私の主張によって、告天子さんが考え方を変えたのなら、それで結構ですが、ご自分のかつての主張を否定するようなデタラメな発言は慎まれるべきだと思います。 > 不戦条約の場合は、罪(違反行為)が、そもそもはなはだ不明確(何が侵略か、の具体的事例への適応については、現在も国際的一致を見ず)なのだし、そもそも侵略戦争が条約違反に当たるのだというのは、条約自体から来るものではなく、アメリカがした留保条件から出てきた話でしょう。 これも、むちゃくちゃな主張ですね。たしかに、侵略の定義は行われていませんが、日本の行為が侵略であることは国際連盟の決議によって決定されています。また、「アメリカ」の「留保条件」とおっしゃるが、これは正確には提案国として、公文によって不戦条約案を説明したものであり、「留保条件」ではありません。「留保条件」は、条約などにかんして、締約国の一国が特定の条項などを対象とする一定の条件を意味します。アメリカは不戦条約あるいはその条項に関して、留保条件を付けて締約したのではありません。 アメリカは、この公文において、この条約には各国の自衛権は暗黙に含まれ、自国を侵略や攻撃から防御する自由を有し、さらに、自衛戦争の開始は各国の自由裁量に委ねられることを明言しています。この公文による趣旨説明によって、各国は、この条約を自衛戦争以外の戦争、あるいは侵略戦争を放棄するというコンセンサスをもって締約したものです。 そのため、告天子さんが主張するように【侵略戦争が条約違反に当たるのだというのは、条約自体から来るものではなく、アメリカがした留保条件】では全くなく、全ての締約国が条約自体が侵略戦争を禁止したものと理解しています。 > ハーグ条約に反しているが故に、それに基づいて空襲軍律を定め、その規定に基づき死刑にしたのであれば、無法な行為ではありません。 じっさいには、空襲軍律はハーグ条約にもとづいて制定されたのではなく、空戦条約(正確には空戦に関する規則)の第22条、第24条、および第25条にもとづくものです。 この告天子さんの考え方からすれば、連合国が、日本はハーグ条約などに違反している故に、極東裁判所条例を定め、その規定に基づき、裁判を行って違反者を死刑にしたのだから、無法な行為ではない、ということになりますし、私もこの考え方を支持します。 > 不戦条約では、平和に対する罪、というようなものは規定されておりませんから、不戦条約に基づいて死刑にするなら、それは違法です。無法者のすることです。 これも間違ってますね。平和に対する罪は、不戦条約などの条約、協定、保証、さらに侵略を包含した犯罪概念です。したがって、不戦条約違反は、平和に対する罪であり、この違反者を処罰することは、告天子さんの論理からしても「無法な行為ではありません」ということになります。 >だが、連合国は、極東裁判条例に基づいて死刑にしたのであり、この条例は連合国の勝利あってのもので、「勝者の裁き」ですから、「無法」とばかりは言えませんが、やはり著しく「不当」であるし、 連合国が定めた極東軍事裁判所条例は、日本が捕獲したドーリットル爆撃搭乗員の空戦条約違反行為を罰するために制定した、いわゆる空襲軍律と同様に、連合国が勝利することで捕獲した国際法違反者を処罰するために定めた軍律であり、告天子さんの論理からしても、「無法な行為では」ない、ということになります。 日本が捕獲した空戦条約違反者を、空襲軍律を定めて日本の裁判によって裁き、さらに処罰することを正当な行為とするならば、連合国が第二次世界大戦に勝利することで捕獲した国際法違反者を、極東軍事裁判所条例を定めて、連合国の裁判によって裁き、処罰することも正当な行為になるはずですが、実際には、告天子さんは後者を「不当」と主張しており、これは矛盾した論理です。 > ハーグ条約では、罪は既に明示的に定められているので、これに基づいて違反者を各国がその国法の規定により処罰することは、何ら違法ではありませんし、罪刑法定主義にも適っています。 こういう発言を読まされると、告天子さんは、「罪刑法定主義」を全く理解していないことが分かります。国際法には罰則規定がないという特徴があるのですよ。そのことは、ハーグ条約違反者の処罰に関して、告天子さん自身が指摘していたことでもあります。まったくイヤになってしまいますね。 >「罰則がない」ということと、「罪の定めが明示的にない」こととは異なります。 たしかにその通りですが、 それがどうしたというのでしょうか。「罰則がない」ことをもって処罰することが出来ないという考え方が、「罪刑法定主義」です。「罪刑法定主義」では、「罪」と「刑」を「法」によって「定」めることにより、その法に対する違反者の処罰が’可能になります。 >罪の定めがない、ということは、たとえば「裁判官が良心的に裁いたから」などという理屈で埋められるものではないことは明らかです。 ハーグ条約には、「罪の定め」が存在します。また、不戦条約は、自衛以外の戦争、あるいは侵略戦争を 禁止したものであり、したがって、これらの条約違反者を処罰することは、慣習法であり、この法にもとづいて、裁判官は良心によって処罰することが認められています。 > 「罪の定めがある」ことと、「罰則の規定がない」こととを混同しないでください。 罪刑法定主義を全く理解していない、告天子さんに言われたくありませんね。むろん、私は全く混同はしておりません。罪刑法定主義は、「罪」と「刑」の両方を「法」が「定」めない場合には、処罰はできない、という国内刑法の原則となる考え方です。しかし、国際法では、「罪「は規定されており、「罰則」が存在しなくても、各国が「罰則」を規定すれば、国際慣習法として処罰できます。その事例が空襲軍律であり、極東国際裁判所条例です。 >罪刑法定主義の内、少なくとも、ハーグ条約は、「罪刑」の「罪」の部分は満たしており、どんな「刑罰」を定めるかは、これはその国自身の問題として委任されている、という流れでしょう。 これも、前半部分はむちゃくちゃですね。罪刑法定主義に対する徹底した無知が原因となってますね。何回も述べましたが、罪刑法定主義は、「罪」と「刑」の両方を「法」によって「定」めるという、国内法に適用される原則です。したがって、仮に国際法に適用する場合でも、ハーグ条約のように、「罪」だけを定め、「刑」が定められていないケースでは、この罪刑法定主義を原則とすれば、処罰はできません。妄想的な主張はお止めください。 【どんな「刑罰」を定めるかは、これはその国自身の問題として委任されている】のは、その通りですが、それは罪刑法定主義の原則が適用されるからではなく、その処罰が、国際慣習法として認められているからなのです。 > これに対して、東京裁判では、「平和に対する罪」というものを、その具体内容を極東軍事裁判条例で「創設」しているわけです。 全く違います。平和の罪の内容は、日本が違反した国際法、条約、協定、保証および侵略です。具体的に言えば、不戦条約および侵略であり、さらに煎じ詰めれば、不戦条約をさしています。 そして、日本による真珠湾攻撃および対米戦争、武力侵略による満州国の建国、他の多くの行為が不戦条約違反であり、平和に対する罪になります。 >ルーズヴェルトのしたことは、自衛のためでもないし、あるいはほとんど好戦的な、戦争をせんがための挑発でしょう。挑発した者が悪いのか、乗った者が悪いのか、少なくとも、戦争を起こさせるための「謀略」は存在していると思いますし、これは米国の自衛とは何の関係もないでしょう。好戦的な国家の、大きな罪だと思います。 なにをどう言おうと、真珠湾攻撃と対米戦争が不戦条約違反であることを覆せるわけはありません。先に手を出した者が罪に問われます。 > 不戦条約では、(全ての)戦争の放棄が宣言されただけであり、この「平和に対する罪」というのは、日本を罰せんがために作られた罪状ではないのですか。 なぜそう思うのかをきちんと説明して下さい。アナタの場合、それが全く出来ていません。 >藤田氏の叙述では、「国内法にとってのみ完全に有効」であるに過ぎない、と書いているのであり、これが即、五番街さんの仰るように、「国際法に於いては、完全に無効」を意味はしないと思いますが??。その部分は、書いていないと思いますよ。 このようにしか理解できないのは、アナタの理解力に問題があるからです。 > でも、その後、各国は不戦条約違反のかどでの処罰は、誰も受けていないのではありませんか?。 そりゃそうでしょ。しかし、それがどうかしたのですか。日本以外で不戦条約違反で検挙されていないから処罰されていないのも当然じゃないですか。 >「敗者であるが故に、日本はその罪で裁かれた」のならば、分かりますよ。 まるで、冤罪だ、罪をなすりつけられた、というように聞こえますね。日本が敗戦したことによって、戦争犯罪人が捕獲され、彼らが裁判によって処罰された、ということならその通りですが。 >勝者が裁くのも国際慣習だ、と言うなら、それもそうでしょうね。 このことについても、これまで何回も書きましたが、戦争犯罪人を捕獲した国が裁くことが国際慣習法として認められています。 >罰則規定がない国際法違反について、「戦争に敗北することなく」、誰かが裁かれたことがあるでしょうか?。 アナタが挙げたドーリットル爆撃の搭乗員などはその事例ですが、そんなことも分からないのでしょうか。 >私が国際法に詳しいなどととても言えませんが、違反者の処罰が不当だというのは、あのようなリンチ裁判に於いては、無知であるかどうかにかかわらず、敗戦国民の一人として当然取りうる見解であると思いますが・・・?? また、ワケが分からんことを書いてますね。国際法に違反した者が処罰されるのは当然だと思うのですが、告天子さんからすれば、不当なんですかね。東京裁判は、国際慣習法にもとづく裁判であり、リンチではありません。 > 罪刑法定主義を言われてしまえば、東京裁判が無効になってしまう、「だから」、国際法では罪刑法定主義は関係ないのだ、という流れなのではないのですか。 なりません。第1に、極東軍事裁判所条例は「罪」と「刑」を定めており、罪刑法定主義に対応しています。第2に、ハーグ条約などの個別の国際法に罪刑法定主義を適用するという考え方自体がまちがっているのです。 >罪刑法定主義を持ち出せば、東京裁判が明らかに不当な裁きであることは明瞭ですし、それを「持ち出させない」のは、ひとえに「相手が勝ったから」であるに過ぎないでしょう。 国内法の原則を国際法に適用することはできない、って何回かけば理解できるんでしょうか。たとえば、東京裁判で清瀬一郎がそんな馬鹿げたことを言わなかったのは、告天子さんよりは国際法の知識があったからでしょうね。 >そこを無視して、あたかも公平な裁きであるかのように、東京裁判の結果を言うことに対して、「おかしいではないか」と申しているわけです。 「そこを無視して」いるのではありません、国内刑法の原則を国際法に適用する愚を犯してはならない、と述べているだけのハナシです。 >罪刑法定主義を言われてしまえば、東京裁判が無効になってしまう、「だから」、国際法では罪刑法定主義は関係ないのだ、という流れなのではないのですか。 やれやれ、病膏肓ですね。 >罪刑法定主義が、国際法の適用に於いては、無視されてしまうのが現状である、というのは理解しますが、国際法に適用するのが「間違いである」とは言い切れないと思いますね。 「間違いである」と言い切れます。そのことは既に論証しました。 >リンチの、復讐の裁きをしておいて、 これは、アナタが勝手に決めつけているだけのハナシ。 >平和に対する罪を規定した極東軍事裁判条例という法そのものが、復讐者の法なのであって、 違いますね。不戦条約違反および侵略の罪(平和に対する罪)などを管轄とするのが極東軍事裁判所条例です。当然の手続法ですね。 >ドイツ皇帝の裁判に、日本人の判事も参加したのですか?。 その予定でしたね。 >何のために成文法があるのか、という話でしょうに。 告天子さんは、慣習法が全く理解できないのですね。 >このように、事後法や、勝者の裁きであるということについて、東京裁判に関して、「全く問題ない」とは言えないと思います。 そりゃそうでしょ。事後法は出来るだけ避けるべきであるし、裁判官は第三者によって構成されるのが望ましいし、その他色々な問題があると思いますよ。 しかし、だからといって、「リンチ」だとか「復讐」であるとか、「勝者の裁き」だとか、あたかも冤罪であるかのように言い立てることには反対です。なぜなら東京裁判は、はなはだ不備でああるが国際法にもとづいて行われたものであるからです。 告天子さんが主張する問題は(とんでもないものを除けば)、たとえば、日本が戦争に勝利していた場合にも発生するものであり、したがって、国際社会全体の問題としてとらえる視点が必要だと思います。 >上に説明しました。裁く側に立つときには、その法を他人には適用させるが、自分が裁かれる立場に立つのはゴメンだ、というのであれば、 そんなことはないでしょう。東京裁判でアメリカの原爆投下などの戦争犯罪が対象にならなかったのは、この裁判が日本の戦争犯罪人を裁く場であるからです。東京裁判でアメリカなどの連合国の戦争犯罪人を裁け、という主張自体に無理があります。 >それでは、植民地獲得戦争なども、そういうことがあった当時は「認められていた」のだから、正当だというわけですか。有色人種の奴隷売買にしても、国際的に「認められていた」のだから、何ら違法でも不当でもない、ということになると思いますが。 これは、例が悪いですね。近代における植民地戦争や奴隷売買は、合法であっても人道あるいは良心的観点から批判されるべきものです。したがって、これらの行為が人道的にも良心的にも問題がないとされる古代社会でしたら、あるいは私はそれを積極的に行ったかも知れません。これは告天子さんも同じであるかも知れません。 東京裁判は、人道的にも良心的にも問題はありません。侵略戦争を指導した者、その他の戦争犯罪人を裁いたものであり、悪は処罰されるべきという考えにもとづき、支持いたします。 >当時の国際社会は、当然ながら「勝者の構成した国際社会」であり、敗者の言い分など認めないことが「認められていた」、それが現実だ、・・・といわれても、だからといってそれを追認しなければならない理由などない、というのが私の意見で そうじゃないでしょ。日本の侵略が国際連盟で認定された当時は、勝者も敗者もなかった時代。したがって、日本と同様な行為を行う国は、同様に侵略と認定されることになります。 >「国際社会」の追認が、法ではないでしょう。国際社会が受け入れていたのだから問題ないのだなど、正当性とは関係のない話です。 国際社会を超越する「法」が存在したとしても、その「法」は国際社会がつくり出したものであり、国際社会が否定すれば「法」ではなくなります。また、国際社会が承認すれば、それは「法」になります。国際社会が承認し、受け入れていたことが正当性の根拠になります。これは、国内法と国民(あるいはその代表である国会議員)との関係においても同様に言えることです。 >罪刑法定主義もないような、無法の社会が国際社会の現実だ、というのなら分かりますが。 いえいえ、国際社会には国際法が存在し、無法社会ではありません。だから日本の戦争犯罪人は処罰されたのです。国際法には「刑」の規定がない特徴があるのだから、それに罪刑法定主義を適用させようとする主張、あるいは適用させて当然という主張自体が論外だと述べているのです。 |
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