34802 返信 Re:反日デモは中国政府の陰謀? URL リー 2005/05/02 13:53
> さてリーさんとの議論に戻りましょう。

> リーさんが私を批判しているのは議論の仕方であって、考え方ではないように思います。
> 私はまだリーさんの考えが解らないので、リーさんを批判するまでに至っていません。

小林さんのご指摘に則して申しますと、議論の仕方こそ各個々人の考えによる産物ではないのでしょうか。つまり「議論の仕方」の主体こそ、そこに「考え方」があるように思われます。私は、小林さんの「議論の仕方」という「考え方」にこそ、中国をはじめアジアに対する日本の加害だけを欠落させて捉えている認識が見受けられるからこそ、その点について批判をしているのです。

昨日がなければ、今日がないように、過去から現在に至る人々の意思も含めた状況によって未来は決定づけられていくのが歴史の流れというものです。無論、そういった歴史の流れは、直線的なものではなく、時代状況によって螺旋状に揺れながら進行していくことは言うまでもありません。しかし日本による加害について、日本はあまりにも突出して、自国の加害面を一貫して否定してきた流れの延長上に現在の日本の政治状況や世論が位置しています。今回の一連の「反日デモ」に対する日本の反応は、そのことを十二分に証明しているのではないでしょうか。

小林さんは「議論の仕方」という角度からおっしゃっていますが、まず暴力の点のみを抽出して論を展開しようとする「仕方」こそ、そんな日本における世論の動向と重なる視点であり、考え方でもあり、そこには共通して、日本による加害を欠落させておこうという意図や狙いがあってこそ可能となる捉え方であると私は指摘させていただいているわけです。


> リーさんの言い分は、私がデモの暴力の部分を強調するのは、デモの本質を隠そうとする意図だ!と断定していますね。

おっしゃる通り、小林さんの一連による投稿から、私はそのように判断しています。


> 私は日本が中国を侵略したことを認めています。
> 多くの民間人を虐殺したことも認めています。
> デモの暴力は一部の人だけで、大部分は文句のつけようがない平和なデモだった、とも認めています。
> デモの本質は、過去の日本の侵略にある、ということも認めています。

自国(日本)の近現代史について無知な若者たちを多数排出してきた問題が、この小林さんの投稿から見出せます。日本人が日本列島を出て、アジアを侵略で踏みにじった歴史は日本列島の歴史ではありません。踏みにじった地域は明確に日本という自国の歴史でもあります。そもそもそのような侵略という加害の歴史がなければ、日本政府や侵略に荷担した日本の民衆たちは、加害の歴史を隠蔽したり、歪曲したり、沈黙したりする必要からしてないわけです。よろしいでしょうか?日本(自国)の近現代史における侵略という加害についてまったく無知な若者たちは、無知な故に加害の歴史について云々することさえできない状態です。だからそのことを知っている人々が、日本の加害を欠落させることに躍起になっているわけでしょう。同じように小林さんは侵略の事実を認識されているから、そもそも「反日デモ」における「反日」から、私が指摘させていただいたように、目をそらそうとする投稿をされているのではないのでしょうか。
もし仮に小林さんが侵略の事実を、日本の若者たちと同じようにまったく認識していなければ、「反日」から目をそらそうとする投稿の動機さえないではありませんか。


> リーさんは私が、これ以外に何を認めたら、誤魔化しのための議論をしているのではない、と認めてくれますか?

「誤魔化しのための議論」は、共犯意識を有する日本国内だけに蔓延している類の論です。
したがって小林さんが侵略の事実を認めようとも、そうであるからこそ同時に小林さんの投稿は「誤魔化しのための議論」にご自分を置くことを意味されているわけでしょう。
蔓延している「誤魔化しのための議論」から小林さんが離脱するためには、小林さん自身が「誤魔化し」を論破するご意見を事実に即して表明されることではないでしょうか。


> 私に対する要求を遠慮なく言ってください。

小林さん個人に対する要求は不可能です。なぜなら本掲示板では、「私」という「個」の領域についてまで云々できる状況下にはないからです。私が小林さんの投稿に返信しているのは、小林さんの投稿における内容は、ちょうど日本の政府やマスコミといった世論と重なっていると私には映っているからです。
たとえば、投稿の順は前後しますが、いみじくも小林さんは、今回の「反日デモ」に関連して、「平和ぼけ」「国際貢献」「友好」等々の文言を駆使しながら政治談義へと論点が傾いていきます。さらに付言しますと、日本のメディアでは「経済」についても言及しています。

それらすべてに共通して的はずれだと私が感じるのは、罪のない人々を大勢虐殺しておいて、それを不問にしようとする感覚です。人を殺し殺されたという事実や関係に対して、「平和ぼけ」「国際貢献」「友好」「経済」「政治」これらは、すべて二次的な概念だと私は判断しています。つまり何人に限らず、人殺しが正当化できるはずがないという、人間としてきわめて原初的ともいうべき良心や理性が日本の世論においては麻痺しているという感覚があるように私には映るわけです。殺した側が殺された側の人々に対して、殺したことを正当化しようとする言動に、そのことを耐え忍ばなければならない如何なる理屈もありません。これは100年経とうが200年経とうが、殺した事実を日本の世論が正当化しようとする限り、絶対にそんな日本の世論を不問にはできません。何年経とうが、殺した当時のことを正当化しようとする日本にみられる言動こそ、私は執拗で卑劣な言論であると認識しています。

そしてそういった日本の動向において、「利得」の判断が連綿と介在していることも見逃すことはできません。つまり戦前は、自国(日本)の利得のために他国や多民族を苦しめ、8・15以降も、日本の利得を軸として友好や経済について云々されています。人間としての道理を捨ててお金儲けに執着している姿勢は、日本においては明治から現在までほぼ一貫した流れとして見うけられます。何も私は商売が悪いことだと指摘しているのではありません。商売することが悪いのではなく、人としての道理を捨て去ってまで、豊かでいようとする心性が残念でならない次第です。たとえば本掲示板においては、法律について云々されていますが、そもそも「法」は人間の存在を超えるものではありません。それは人間による人工的産物であり、被害者を救済できない「法」、人殺しが正当化される「法」、対立を煽って裁かれない「法」、これらは法の不備というより、日本における現在の「法」が悪法であり、そんな法を追認し支持している人々の存在こそ問題の所在であると私は判断しています。

歴史における罪科の清算は、それが終了するまで存在するという事実から、目をそむけるべきでないというのが私の意見です。