34803 返信 靖国神社に中国人犠牲者を祀る URL 小林 哲夫 2005/05/02 14:06
すみませんが,34791番の私の文章は舌足らずでしたので、差し替えます。
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今のところ誰も言っていない新提案です。

日本人の戦争観は、世界でも特殊なものです。
日本民族は、侵略されたことがない、つまり異民族との戦争の経験が少ない、民族ですので、激しい憎悪に基づく戦争というものが少ないのです。
宮本武蔵と佐々木小次郎の戦いのように、互いに憎しみをもった戦いではなく、いわば宿命のように受け止める伝統があります。
平家物語はおごる平家を少し批判していますが、おごりに対しての怒りの戦争と理解されているわけではありません。
関が原も勢力争いであって、恨みではありません。
戦争が終わってしまえば、敵味方の感情を何時までも引きずることは少ない伝統を持っています。
勝敗の決着が着いてしまえば、敵を敬意をもって遇する道徳が常識でした。
これは西洋中世の騎士道と似ていますが、世界的に民族国家が出来て、愛国心という感情が意識されるようになって、事情が変わりました。
国民と国民が憎しみの気持ちを高ぶらせて、戦争に至る、という悲惨な現代を迎えました。

しかし日本の戦後の占領軍に対する好意を見ると、日本の良き伝統が生きていると思えます。
つまり負けてしまえば、敵も味方も無い、ということです。

もともと日本人には善悪のけじめというものが曖昧です。
歴史上一旦悪人とされていた人も、実は良い人だったと復権する現象が多くあります。

平清盛、足利尊氏、明智光秀、石川五右衛門(義賊)、石田光成、徳川忠直、徳川綱吉(犬公方)、柳沢吉安、吉良上野介、田沼意次、井伊直弼、新撰組、東条英機、

歴史上の戦争で、どちらが悪い、と歴史認識が定まったものはありません。

壬申の乱、源平合戦、応仁の乱、南北朝の戦い、川中島合戦、関ヶ原、大阪の陣、戊辰戦争などどちらが悪いと決め付ける日本人はいないでしょう。
最近時の西南戦争でさえすぐ後に見直されて、西郷隆盛は英雄に復権しました。


さて日本人の宗教観にはもっと敵味方の区別がありません。

自分が討った相手の菩提を弔うという話が美談として語り継がれています。(例;熊谷直実)

怨霊思想に日本人の宗教観が顕著に現れています。

平将門は謀反人ですが、その恨みが祟りをなさないようにと、その魂を神田明神に祭りました。
謀反人が神になり、崇拝の対象となりました。
崇徳上皇も神社に祀られています。

有名な天満宮は左遷された菅原道真が祭られて、今でも多くの人に信仰されています。

この怨霊信仰を西洋合理主義で解説するならば、恨みを後世に残さないための知恵と考えられます。
対立を融和する知恵です。

怨霊を祀ることによって、過去に起こった対立と戦いを、最終的に解消することが出来ると考えられます。

日本人は要するに、善も悪も、神も人も、全てを分け隔てなく、含みこんで平和な生活を獲得している、といえます。

このけじめの無さが西洋人から見るとだらし無く見えるのでしょうが、平和な生活のためにはこれほど素晴らしい考えはないと思われます。

さて本題の怨霊思想に戻ります。

私には今こそ怨霊思想を思い出すべき時だと思われます。

中国人を言われも無く虐殺した、その恨みが怨霊(反日デモ)となって、日本を苦しめることになっているのです。

日中戦争で虐殺した中国人の魂を鎮めない限り、日本は救われません。
そういう風に考えるのが日本人の伝統的宗教観です。

この考えに基づいて、中国人戦死者の鎮魂の為の神社を日本の中につくり、祈りを捧げることを提案します。

中国の被害者の恨みが怨霊となって日本に悪さをしないようにその魂を鎮めることが必要だ、と言う感覚は日本人なら理解できるでしょう。

そしてその神社は靖国神社の中に作るべきだというのが私の考えです。

というか、日本人の戦死者も中国人の戦死者も分け隔てなく靖国神社に祀るのです。

戦犯も加害者も被害者も一緒に祀ることによって、過去の反省と今後の平和の決意を同時に表現するのです。

日本人の宗教観から言って、これは決して不自然なことではありません。

勿論中国人にとっては、これは理解不可能な感覚だと思いますので、事前の了解が必要です。

その了解を得るための提案を中国に対してする過程で、日本人にとっての靖国神社の意味が中国人に理解される可能性があると思います。

中国人を殺戮したことのお詫びを日本人としてこのような形で表現して、二度と繰り返さないという決心の証しとすることができます。

このことによって靖国神社は戦争というもの全体を否定するための神社であって、戦争を賛美するためのものではないことを、全世界に知らせることも出来ると思います。