| 34805 | 返信 | Re:「罪刑法定主義」と国際法-4 | URL | 告天子 | 2005/05/02 15:03 | |
| > 五番街さん > やれやれ、告天子さんは困った人ですね。 大変申し訳ございません。 (この場をお借りしますが、火の鳥草さん、横レスコメント、とても参考になりました。ありがとうございます。) >告天子さんは、図示すれば、「国際法=東京裁判」と両者を結びつけて、罪刑法定主義を国際法にも東京裁判にも適用するという愚を犯しているのですが、全くそのことには気がついていません。 おお、これは驚きです。今まで全く気がつかなかったのかも知れません。 > さて、告天子さんの発言を引用しましょう。 > > > (五番街さん34755より引用) > > >前回の投稿で私が述べたことを要約すると、罪刑法定主義は国内刑法に適用される原則であり、国際法には適用されない。 > > >藤田は、「罪刑法定主義」は「国内刑法にとってのみ完全に有効」と述べており、これは、「罪刑法定主義」は国際法にとっては「無効」であることを意味していることが理解できないのでしょうか。 > > >なぜ告天子さんは、このように「思う」のか理解できませんが、国内刑法の原則である罪刑法定主義を国際法に適用しようとすること自体が間違っているのです。(五番街) > > > > このように、東京裁判は罪刑法定主義を無視して当然である、と先にあなたは主張しています。お忘れになったのでしょうか。(告天子さん) > > > 私が想定するまともな理解力をもった読者であるなら、すぐに気がつくと思いますが、私は「国際法」と述べてはいるが、「東京裁判」とは一言も述べていません。なぜなら、両者は異なる存在であり、同一視できないからです。 ああ、これは全く気がつきませんでした!!。罪刑法定主義が国際法には適用されない、と言っただけで、「東京裁判」とは一言も言っていないとは!!。ああ、何たる不覚でしょう!。 で、東京裁判については罪刑法定主義は無視されている、ということで間違いはございませんね?。 >「国際法」と「東京裁判」は同一ではなく、また、直接的に結びつけられる関係にはありません。 烏龍茶さんは、国際法違反の犯罪人、としてA級戦犯を扱い、それが故に、靖国参拝も条約違反だと申しておりますが?。 > このような誤りをなくすために、両者の関係について説明することにします。そして、むろん、これは、東京裁判の当時の状況における関係です。より厳密に説明するために、これまで使用されていた「国際法」という語を「戦争法」と改めて使用することにします。 「国際法」という言葉で、各個別の条約から共同声明から何まで、ごっちゃにするような話ばかり聞かされていたので、(「国際法に逆らうのか!!」、みたいな)、「戦争法」と改めることは大変有意義なことかと思います。 > まず、その前提として把握しておかなければならないのは、国際社会には「戦争法」が存在しても、その法執行機関が存在しないという特徴があることです。つまり、戦争法違反に対しても、それを取り締まり、処罰するための警察、検察、裁判所が存在しません。 非常に尤もなご指摘だと思います。同意したいと思います。 > しかし、国際社会にはこのような法執行機関が存在しないために、戦争法に違反した場合でも、その違反者を法的に処罰するという中立的なシステムが存在しません。したがって、戦争法に対する違反は、国際社会では処罰できないことになります。 罪は存在するが、罰を与えることが出来ない、ということですね。 > しかしながら、1899年に成立したハーグ条約以前から、戦争法の違反者は、それを捕獲した国家が処罰することが国際慣習法として成立していました。 ハーグ条約一条では、締結国は自国の陸軍に対して、条約遵守の訓令を出す旨、規定していますね。つまり、軍の内規としては、締結国は「自軍の違反者」に対しては処罰をし、他国の違反者については、五番街さんの仰るとおり、捕獲した国で「処罰」することになります。 しかし、外国人の国際法違反者に対して、その国の国内法でたとえば死刑などの極刑を下すことは法的に問題があり、違反者だから処罰できる、それが慣習なのだ、とは、一概には言えないのではないか、と指摘させていただきます。 違反者が、軍人などの交戦者である場合には、「俘虜」となる権利を失い、俘虜として保護を受けることが出来なくなります。勿論、だからといって国内法で裁判に掛けて極刑、というわけにも行かないので、ここで「軍律」という軍の内規が登場するわけですね。つまり、国内法でも、国際法でも、違反者の所属国の法でも裁けず、俘虜でもない者を罰する、という場合に、この「軍律」が出てくるわけです。 > このシステムの問題は、違反者を捕獲した国家は、国際社会の法執行機関ではなく、あくまで国際社会の一員という存在でしかないことです。つまり、国家には、国際社会の法執行機関として戦争法違反者を検挙、起訴、処罰するための権限が与えられていません。換言すれば、国家は、国際法違反に対しては、全く無力であるということになります。 国際法違反だから、といって、直接に違反者を捕獲した国家が国法に基づいて自由に処罰できる、というわけでもないわけですね。「違反者だから、犯罪者」、「違反者だから、処刑は当然」、というような話は短絡だったわけです、ああ、よかったよかった。 > そのため、国家は、戦争法違反者を、その法の違反を理由として捕獲、追訴、処罰するのではなく、戦争法を反映した国内法を整備し、国内法違反として、追訴し処罰するという方法が採用されていました。 外国人の処罰については、やはり法的に非常に問題があるために、戦争法を反映させた国内法整備がされたのだ、というのは大変尤もな流れの説明だと思います。 東京裁判が、どんな法に基づいて罪を裁いたのか、についてもますます明らかになってくると思いますので、有意義なご指摘だと思います。 > 藤田久一は、「戦争犯罪」(岩波新書)で次のように指摘しています。 > --------------------------------------------------------------------- > 交戦国の国内制度で裁く > 以上のように、第一次世界大戦までの組織化されていない国際社会においては、戦争犯罪とは一般に当時の戦争法の法規慣例の違反行為をさし、交戦国兵士のおこなった戦争犯罪の処罰は、もっぱらその交戦国の国内制度によるものであった。 その通りですね。第一次世界大戦後には、様相が変わってくる、ということです・・・。 >その場合、敵兵士による戦争犯罪であれ自国兵士の戦争犯罪であれ、自国の国内裁判所で裁くことになるのである。いいかえれば、当時の国際法は戦争犯罪を犯した敵人を自国の裁判所で裁く権利を国家に認めていたといえる。 これは、私が先に説明したとおり、戦時法には罰則の規定はないが、その処罰を各国に委任していたのだ、という話の流れですね。五番街さんにも納得いただけたかと思います。 >各国は、戦争犯罪の国内的処罰を効果的に適用するために、違反行為を決定し、処罰制度を制度したのである。---------------------------------------------------------------------- > > このように、国家が国内制度で戦争法違反者を処罰するためには、戦争法を反映した「違反」規定と「処罰」規定を定めた国内法を制定し、国内法違反者として処罰するという方法が実施されていたのです。 国内法では、罪刑法定主義がきちんとしていた、ということです。そして、この国内法「なし」には、勝手に「国際法違反だから」と、処罰することは許されない違法行為だった、ということです。 > この国内法は、交戦相手国の軍人などを対象とした場合には、一般に軍律と呼ばれるものであり、戦争法に違反した相手国の軍人は、軍律に対する違反を理由として裁判にかけられ、有罪となった場合には、軍律の処罰規定にもとづいて処罰が決められて実行されました。 さて、この軍律というのは、戦時に於いて、交戦中に捕縛した相手国軍人などの内、戦争法違反者として俘虜としての権利を失ったものに対しては、極刑を下すことも出来るが、俘虜の権利を有するものに対して極刑を下せば、軍律自体がハーグ条約違反になる、そういうものですね。 そしてまた、平時に於いても「戦争法違反だから、軍律で処罰されるのだ」というようなものではなく、あくまで戦時中に、国内法の範囲外に於いて、占領地などで、法の空白地帯(占領地の国法も戦争法違反者を裁くことは出来ない)において、戦時法違反者として自軍に敵対する「戦争犯罪」を侵した敵国軍人などを対象とするのが「軍律」だ、ということ、ここが重要です。 軍律は、いわゆる「国内法」と違って、議会により制定されたものではなく、また、戦時に於いて適用されるのが基本であります。東京裁判は、「戦時」だったでしょうか、そして極東軍事裁判条例は、これは「何なのでしょうか?」。 次に五番街さんは、空襲軍律にもふれています。 > この事例の一つが、日本において、米国が行ったドーリットル爆撃などの搭乗員が裁判にかけられたケースです。このケースでは、国際社会の基準となっていた空戦条約をベースとして、いわゆる空襲軍律が制定され、この軍律は、「罪」と「刑」を規定したものであり、米国の搭乗員は、この軍律違反を理由として裁判にかけられて処罰が行われたのです。 烏龍茶さんにした私の説明と、同じ流れであり、全く同意です。 >ただし、この空襲軍律は、ドーリットル爆撃が行われた後に制定されたものであり、完全な事後法ですが、そのベースとなる空戦条約を実体法とする手続法として、通常の意味での事後法の欠陥がありません。 つまり、空襲軍律には問題はない、というご意見ですね。私は、ドーリットルの行為の「後」に裁いたことが、ドーリットルを対象にした場合については、「事後に制定した法だから、事後法だろう、だから問題は残る」と申しております。 > 戦争法違反者は、捕獲された国家の国内法(軍律)違反者として国内で裁判が行われるため、その裁判官もその国家に属する者になります。したがって、実質的に空戦条約違反者を被告とする空襲裁判でも、日本人の裁判官が採用されることになります。 > >> 国内法(軍律)違反者 ここ、アバウトです。 また、「国内で」裁判が行われる、のではなく、「軍法廷内で」軍律裁判が行われる、ということではありませんか?。だから、その裁判官は「国家に属するもの」ではなく、「軍に属するもの」とうことが正しい表現ではないのですか?。 国家、国法というのであれば、その国の法決定プロセスによる法制定に基づいた処分であることが必要ですが、軍律はそのようなものではなく、あくまで戦地・占領地などに於ける、戦時の、国際法違反者の敵軍人などを対象とした、軍内部の規範であり、「国法」、「国内法」とは言えないでしょう。軍も国の機関だから国法だ、というような筋ではなく、それでは一般の国法と「軍律」の違いの意味が分からなくなります。 だから、「日本人の裁判官が採用される」のは当然ですが、その裁判官は、いわゆる三権の内の司法権を行使しての裁判官ではなく、軍権内部の裁判官であり、「日本人の裁判官」ではあっても、「日本の裁判官」とは言えない性格のものでしょう。微妙ですが、大きな違いです。 > この戦争法違反者に対する法執行システムは、同様に東京裁判に受け継がれており、 ここが問題です。「同様に」、というのは、烏龍茶さんも、「空襲軍律を認めるなら、東京裁判も認めなければならない」という論理を駆使されていますが、果たして、戦時に於ける交戦国軍人などの戦争法違反を「軍が」裁いた空襲軍律の件と、戦争終了後に、武装解除後の敗戦国・被占領国の政治指導者を、死刑という「日本の国内法が保証する基本権を完全に無視した極刑」を下す形で、(空襲軍律の場合には、死刑は陸軍大臣の許可を要した)、「条例」に基づいて裁いた東京裁判について、「同様に」と言えるか?。論理の単純化が過ぎるのではないか。 > この戦争法違反者に対する法執行システムは、同様に東京裁判に受け継がれており、戦争法を実体法とする極東裁判所条例という軍律(手続法)が制定され、その中で「罪」と「刑」の規定され、この条例を定めた連合国の裁判官によって、戦争法違反者の裁判を行ったものです。 戦争法、は、ハーグ条約ならばそう言える。しかし、不戦条約は、あれは「戦争法」か?。全く異質な規定でしょうに。同じ条約だから、同じく戦争についての禁止を書いた方だから、だから同じなんだ、と、「違うものを同じとする論理」というのは、今まで烏龍茶さんの話でも多く見ました。「解釈でそうなるんだから、同じなんだ」ということでした。そして、中国のミサイルもアメリカのミサイルも、同じく日本を狙っているのだから、同じように友好に反するのだ、という説まで飛び出しました。 罪と刑が、極東軍事裁判条例に規定されている、だから問題はないのだ、罪刑法定主義もこの段階で満たしているからいいんだ、と?。 冗談じゃありませんよ。法の外形を満たしているから、だから「正当だ」というのであれば、ナチスの行為にしても「合法的」になされた違法行為はいくらでもあったでしょうが。 >> ・・・戦争法違反者の裁判を行ったものです。 と仰いますが、それならどうして連合国側の「戦争犯罪」については口をぬぐったままなのですか。満州で、広島で、長崎で、いや、そればかりではない、皇軍兵士の捕虜に対する虐待が、一件でも連合国側で裁かれましたか、「戦争法違反の裁判」が行われましたか。 それがないから、「勝利者のリンチ裁判だ」と言うのです。リンチだと言うと、嫌みに聞こえるんだとするなら、それはどこかまだ疚しいところがあるから何じゃないんですか。何故日本人だけが、罪人として裁かれなければならないんですか。何故靖国神社の参拝までもが、「罪人を拝むのか、侵略戦争を肯定するのか」などといった論理に晒されるのですか、それは「日本が敗北した」ことに基づく東京裁判に於ける判決があったからです。 勿論、そんな判決などなくても、戦争についての反省は国内的に必要である。だが、その反省を「日本人だけが悪かった」とでも言うような東京裁判の論理に根拠を求めるから、事実をまともに見ることが出来ない。あれがリンチだったと言えない。連合国の犯罪行為により日本人が殺されたことについては、なかったかのようにひたすら反省、反省、謝罪、反省・・・。その根底となる理屈を追いかけていくと、事実を見ようとすることではなくて、巧妙に正当化し、違うものを同じとし、同じ戦争の罪をも勝者と敗者とでは違うものとし、要するにやっていることは政治だ。政治の論理を振りかざしているだけで、それが「法だ」と言っているに過ぎない。 > このように、東京裁判は、日本の空襲裁判と同様の法執行システムにもとづく裁判であり、したがって、東京裁判を「勝者の裁判」と批判することは出来ません。 「批判することは出来ない」、「そう考えることは許されない」、「私たちと同じように考えなければならない」、「そうでないなら侵略を肯定していることである」・・・。そういう、命令者として発言される意見の底に潜む論理がどんなものか、よく見せていただきましたよ。 > 最後になりますが、告天子さんのように、国際法=東京裁判とみなすことは間違いであり、罪刑法定主義の原則を国際法(戦争法)に適用しようとすることには、何の意味もありません。 極東軍事裁判条例に罪刑法定主義の原則を適用しようとすることも、無意味か?。 |
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