| 34858 | 返信 | Re:東京裁判と靖国を巡って | URL | 芥屋 | 2005/05/04 23:46 | |
| >あしなさん はじめまして。 > 極簡単にまとめて東京裁判に関する一連のやりとりは、 > 「東京裁判は所詮は勝者の裁きであり正当ではない」という立場と > 「それなりの整合性を有していてそれほど不当ではない」という立場の対立のように見える。 いえ、極簡単にまとめて東京裁判に関する一連のやりとりは、 「東京裁判の当否」そのものではなく「烏龍茶理論の当否」が主題です。 東京裁判を、仮に「東京裁判は所詮は勝者の裁きであり正当ではない」という立場に基づくとして、そこから何を言うか。仮に「それなりの整合性を有していてそれほど不当ではない」という立場に基づくとして、そこから何を言うか。その「論の中身」こそが重要なのであり、もし、それ自体は論ずるに足らず立場そのものが論点だと言うのであれば、それは政治党派的な言論闘争であって、掲示板という一個の公開討論上において匿名なりに個々人の意見を交わす必要もないでしょう。 > 裁判の正当性に関して絶対値への評価が両者で同程度であったとしても、そもそも価値判断のベクトルが違っているのだから話にならない。 そのように「話にならない」とお考えであるのなら、口をはさむ必要もありますまい。あしなさんは、「一連のやりとり」における各人のやりとりを、それぞれどうお感じになったのか、それを述べねば「話にならない」のであります。 烏龍茶さんは、靖国神社参拝中止や教科書の書き換えなどの中国の要求を「内政干渉には当たらない」というのが最も主張したいことで、それがお題に掲げられています。彼は、そのことを説こうとして、法的拘束力なる論理を構想して提示してみたわけです。ご覧のとおり、それは破綻しました。その破綻に対する指摘を無視して(tpknさんの言う“煙幕”として)東京裁判論を延々と述べてみたのですが、こうすること自体が彼の論の矛盾になるわけです。 要は、彼は元の根幹の所を下手に法律論などで説かねば別の話にもなったのでしょうが、法的拘束力という強制力に頼って異論排除に打って出たところが問題なので、東京裁判をどう評価するかと言ったことは今回の論点の主題ではありません。それは彼自身が「根拠にしない」と明言しているのに、論敵に評価を質問し「不当(or不公平)だと思う」との評価が返ってくれば「どうしても詳細にわたる」とする烏龍茶さんのマッチポンプによって長々となっているだけのことです。 つまり、論点はあしなさんが言われるような「価値判断のベクトルが違う」などということではありません。価値観が違う、それは当然のことで、個人の価値観をめぐる私見の相違と意見交換ではありません。烏龍茶理論は彼自身の選択によって法理論の形を採られました。つまり、価値観の異なる多くの国民に関わる強制力として彼は自論を述べたのですから、もはや単に個人の価値観の相違などではないのです。 そのことが論点でありますから、ここ一連のやりとりを見ていて、 > 「東京裁判は所詮は勝者の裁きであり正当ではない」という立場と > 「それなりの整合性を有していてそれほど不当ではない」という立場の対立のように見える。 …といった枝葉の論点しか見えていなかったのであれば、それはあしなさんがイデオロギーに捉われた見方しかしていないということだと考えます。 |
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