34861 返信 Re:東京裁判と靖国を巡って URL あしな 2005/05/05 09:10
芥屋さんはじめまして。レス有り難うございます。


> > 極簡単にまとめて東京裁判に関する一連のやりとりは、
> > 「東京裁判は所詮は勝者の裁きであり正当ではない」という立場と
> > 「それなりの整合性を有していてそれほど不当ではない」という立場の対立のように見える。
>
> いえ、極簡単にまとめて東京裁判に関する一連のやりとりは、
> 「東京裁判の当否」そのものではなく「烏龍茶理論の当否」が主題です。
>
 一連のやりとりは外在的には上記のように「見え」ます。

> そのように「話にならない」とお考えであるのなら、口をはさむ必要もありますまい。あしなさんは、「一連のやりとり」における各人のやりとりを、それぞれどうお感じになったのか、それを述べねば「話にならない」のであります。
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> 烏龍茶さんは、靖国神社参拝中止や教科書の書き換えなどの中国の要求を「内政干渉には当たらない」というのが最も主張したいことで、それがお題に掲げられています。彼は、そのことを説こうとして、法的拘束力なる論理を構想して提示してみたわけです。ご覧のとおり、それは破綻しました。その破綻に対する指摘を無視して(tpknさんの言う“煙幕”として)東京裁判論を延々と述べてみたのですが、こうすること自体が彼の論の矛盾になるわけです。
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 私は東京裁判が正当か否か(私は下駄を履かせてぎりぎり合格点と思っております。)に関わらず戦後の日本はポツダム宣言から東京裁判、サンフランシスコ平和条約の受け入れを前提に成立しており、靖国公式参拝、教科書書き換えはそうした「契約」に反しているであろうと考えます(教科書に関しては1983年(?)の近隣諸国条項も)。


> つまり、論点はあしなさんが言われるような「価値判断のベクトルが違う」などということではありません。価値観が違う、それは当然のことで、個人の価値観をめぐる私見の相違と意見交換ではありません。烏龍茶理論は彼自身の選択によって法理論の形を採られました。つまり、価値観の異なる多くの国民に関わる強制力として彼は自論を述べたのですから、もはや単に個人の価値観の相違などではないのです。
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> そのことが論点でありますから、ここ一連のやりとりを見ていて、
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> > 「東京裁判は所詮は勝者の裁きであり正当ではない」という立場と
> > 「それなりの整合性を有していてそれほど不当ではない」という立場の対立のように見える。
>
> …といった枝葉の論点しか見えていなかったのであれば、それはあしなさんがイデオロギーに捉われた見方しかしていないということだと考えます。

 当然私は私のイデオロギー的立場に即して述べております。東京裁判を完全に正当化出来るはずもないし、その不当性を論じて大日本帝国の行動を免罪することもできないでしょう。その観点から東京裁判の「不当さ」は大日本帝国の正当化とは逆の方向で乗り越えられるべきであろうと考えます。
 また、論者の意図はともかく、一連の言説は東京裁判、靖国の評価を論じる以上、そのような政治性を帯びざるをえません。「外在的感想」はそのような面を対象にしております。