| 34862 | 返信 | Re:東京裁判と靖国を巡って | URL | 芥屋 | 2005/05/05 12:46 | |
| >あしなさん > > いえ、極簡単にまとめて東京裁判に関する一連のやりとりは、 > > 「東京裁判の当否」そのものではなく「烏龍茶理論の当否」が主題です。 > > > 一連のやりとりは外在的には上記のように「見え」ます。 外在的も何も、論点は上記以外の何ものでもありません。その論点があしなさんには全く「見え」ていなかったこと、何故「見え」なかったかということをを先に指摘しました。 > > そのように「話にならない」とお考えであるのなら、口をはさむ必要もありますまい。あしなさんは、「一連のやりとり」における各人のやりとりを、それぞれどうお感じになったのか、それを述べねば「話にならない」のであります。 > > 烏龍茶さんは、靖国神社参拝中止や教科書の書き換えなどの中国の要求を「内政干渉には当たらない」というのが最も主張したいことで、それがお題に掲げられています。彼は、そのことを説こうとして、法的拘束力なる論理を構想して提示してみたわけです。ご覧のとおり、それは破綻しました。その破綻に対する指摘を無視して(tpknさんの言う“煙幕”として)東京裁判論を延々と述べてみたのですが、こうすること自体が彼の論の矛盾になるわけです。 > 私は東京裁判が正当か否か(私は下駄を履かせてぎりぎり合格点と思っております。)に関わらず戦後の日本はポツダム宣言から東京裁判、サンフランシスコ平和条約の受け入れを前提に成立しており、靖国公式参拝、教科書書き換えはそうした「契約」に反しているであろうと考えます(教科書に関しては1983年(?)の近隣諸国条項も)。 そうですか。しかし、あしなさんのイデオロギーに基づく東京裁判論はお尋ねしておりません。あなたが「話にならない」と斬り捨てた論点について、それこそが論じられなければならず、それをこともなげに斬り捨てた上でのあしなさんの政治的主張など、何の問題にもならないことを既に指摘しております。 あなたが反論するとするなら、法理論に関する「ここ一連のやりとり」が私の言うように重要なものではなく、ご自分の言われるように「話にならない」ものであることを論証すべきでしょう。 > 当然私は私のイデオロギー的立場に即して述べております。東京裁判を完全に正当化出来るはずもないし、その不当性を論じて大日本帝国の行動を免罪することもできないでしょう。その観点から東京裁判の「不当さ」は大日本帝国の正当化とは逆の方向で乗り越えられるべきであろうと考えます。 先のレスと併せて、あしなさんのイデオロギーは承知しました。東京裁判の「正当性」に依存していたのでは左翼は駄目なんじゃないかという気持ちは伝わりますが… しかし、あしなさんの先のレスによると、【裁判の正当性に関して絶対値への評価が両者で同程度であったとしても、そもそも価値判断のベクトルが違っているのだから話にならない】とのことです。そのように言われるのであればこそ、私はあしなさんに、そういうご自分もイデオロギーの眼鏡だけで論戦を見たために見えるべきものが見えなかったのではないかと指摘させて頂きました。 すると、自分は当然自分のイデオロギーに即すとお答えになる。ではご自分の東京裁判論もまた、ご自分の言われる【そもそも価値判断のベクトルが違っているのだから話にならない】範疇を超えるものは何もなく、全く【話にならない】ものだと自己評価なさったも同然です。 > また、論者の意図はともかく、一連の言説は東京裁判、靖国の評価を論じる以上、そのような政治性を帯びざるをえません。「外在的感想」はそのような面を対象にしております。 しかし、実際にはほとんど「そのような政治性」は論点になっておりません。そもそも、その「外在的」なるものは、いかなる「内在的」なるものへの対比として論及されているのでしょうか。私が思うに、その言及されていない「内在」とはあしなさんの「内在」であって、要するに、ご自分の内的イデオロギーと実際の論点の相違、それをあしなさんは「外在的感想」なる言葉で表現されたに過ぎないのではないでしょうか。 |
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