| 34872 | 返信 | Re:東京裁判と靖国を巡って 内在性と外在性 | URL | 芥屋 | 2005/05/06 00:38 | |
| >小林哲夫さん > お二人の東京裁判不当説を読んでいると、「不当性を主張することの空しさ」が身につまされます。 そうですか。私は少しも空しくはありませんが、小林さんは空しいのですね。空しく思うものに口をはさむのは、さぞかし空しかろうと思います。 とは言え、確かに私も空しくなる時はあります。その空しくなる時というのは、私の場合ですが、たいていは天下国家大の想念に捉われているときです。tpknさんに誘われて、この板で行っている現在の議論については身の丈を超えず等身大でやっておりますので、それなりに楽しめております。 > 何のためにそれほど懸命に不当性を論証するのでしょうか? 私の場合は、東京裁判の不当性ではなく、烏龍茶理論の不当性を論証しました。それほど懸命ではありませんが、相手に対して真面目に意見を述べました。 で、以下は告天子さんへの質問の形をとりつつ小林さんの主張が述べられておりますが、 > 沢山質問をしてしまいましたが、これらのことをすっぽり忘れて、東京裁判不当説だけを長々と書き続けることには賛成できません。 …結語がこれでは、おっしゃっていることは「私の主張をすっぽり忘れて、別の人と他の観点で話をされても賛成できない」ということでしかないでしょう。小林さんの主張の中で、個人的には共感するところも反感をもつところもありますが、相手は何と言えばいいのでしょうね。 > そんな暇があったら、少しは私の質問に答えてみて下さい。 > > それが無ければ告天子さんは、烏龍茶さんとどっこい、どっこいです。 > > というか倫理性において、烏龍茶さん以下と言えます。 …うーんw >あしなさん > 確かに「東京裁判の法的整合性」に関して論じる限りはそうでしょう。しかしそもそもあらゆる法律や裁判に関して「完全無欠」などということはあり得ないわけでして。そのあり得ない「完全性」をたてに取っていくら論じても…ということです。 でも、問題になっているのは「烏龍茶理論の論理的整合性」に関してですから、“あり得ない「完全性」”なる概念を持ち出さずとも、十二分にその「不全性」を指摘できますよ。 > その上で「裁判の外部」からその政治的意味に言及する際に、裁かれなかったものを強調する立場を私は取ります。さらにもう一方の「外部」に目をやれば、靖国(的な天皇制にまつわる諸々)は東京裁判を一環とする連合国側と天皇制擁護勢力の合作により東京裁判的な前提を共有することで維持されたわけでして。 えぇ、あしなさんのその立場は解ります。 > 靖国を正当化しながら東京裁判を不当視するということは、実は自分で自分の足下を掘り崩すことになるんじゃないのか?と案ずる次第です。 「靖国を正当化」とは、あしなさんが言外に「靖國神社を不当視」しているために生じた表現でしょう。そもそも、靖國神社はお参りしたり敬ったりするところですので(もちろんその気のない人をどうこう言う気は全くありませんが)、「正当化」うんぬんはナンセンスだと私は考えます。視線を少しずらせば、「出雲大社の正当化」とは?「東大寺の正当化」とは?と考えればすぐに解るでしょう。 ですので、靖國神社を参拝したり崇敬したりしながら東京裁判の不当性を考えることもできるし、靖國神社を全く敬う気になれない人でも東京裁判の不当性を考えることが実際にはできます。反天皇制との関連で靖國神社と東京裁判を一体不可分…と見る政治思想の人から見れば「それはおかしい」となるのかもしれませんが、それはその人のイデオロギーに合わないというまでのことでしょう。 |
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