| 34880 | 返信 | 歴史について | URL | 小林 哲夫 | 2005/05/06 22:11 | |
| 告天子さん こんにちは 告天子さんには歴史の勉強の必要性を教えましょう。 歴史と言うのは過去の事実の記録ですが、無数の事実の中からある一定の価値観に基づいて、重要と考えることを抜き出したものです。 ある事実が本当にあったかどうかを検証することも重要ですが、検証が不要の事実もあります。 例えば広島原爆を無かったという人はいません。 しかしその事実に対しての価値判断は、議論の分かれるところです。 アメリカ世論は概ね「正しかった」とし、日本の世論は概ね「不当」と判断していると思います。 このように歴史事実に対する判断は、価値観の問題ですので、多様な価値観を尊重する原則をとれば、白黒を決め付けてはいけないことではあります。 しかし人生いろいろと言って、価値判断を避けていては、歴史を書くことはできません。 歴史を書くということは、様々な事実について、自分の価値観を書くことだと思います。 自分の価値観が出来るだけ多くの人の賛同を得られるように説得することが、歴史を書くという作業だと考えます。 「日本が悪いことをしたのだから、原爆を落とされたのは仕方が無い」という考えや、「日本が悪いことをしたからと言って、原爆が犯罪だということに変わりは無い」という考えがあります。 私は「原爆は戦争犯罪だ」と考えますし、この価値観は日本の中では多数を占めると見ていますし、世界のインテリに問いかければ相当数の賛成が得られると自信があります。 例えアメリカの多数の庶民が、原爆を正当と思っていたとしても、不当と考える私の価値観は、普遍の真理に近いと自信を持っています。 このように原爆の正当性を議論することは、歴史の記述に際して大変重要なことです。 こういう歴史の判断をすることを非難する人がいるとは考えたこともありませんでした。 原爆が正当か?不当か?という判断は、歴史の最も重要なことだと私は考えています。 「こういう価値判断を議論することは、独裁者のやることだ」などという発言は、誠に奇妙な論で、今まで聴いたことも無いおかしな論です。 私にはさっぱり理解できない、全然意味を成さない論と思います。 「原爆はケシカラン」と発言することは、独裁者のすることなのでしょうか? 原爆の不当性について議論をしようと主張することが、独裁者なのでしょうか? 何だかまた宇宙人と議論しているような気持ちになってきました。 |
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