34901 返信 Re:東京裁判と靖国を巡って 内在性と外在性 URL あしな 2005/05/07 12:03
芥屋さんこんにちは。


> でも、烏龍茶さんは「東京裁判の不当性」を語ってはいないのですから(その逆)、それは関係の無い話ですよ。
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 もちろん私は芥屋さんと烏龍茶さんのやりとりの相互性に踏み込むつもりはありません。やりとりの一方の当事者である「不当論者」の論理そのものについて語っております。




> 私もそれを考えている一人なので、こういう異思想の人たちとの意見交換も面白かろう、と思っているのですが…。何せあしなさんは【そもそも価値判断のベクトルが違っているのだから話にならない】と言われるので、このような【話にならない】ことは話しても仕方がないのではありませんか?
>
 ことの始まりは私が一方的に語ったのですから、芥屋さんが「話にならない」と思うのであればそれでも良いのです。



> >その一連の過程において象徴天皇制の成立(による天皇制そのものの維持)と日本の非軍事化はバーターであり、また靖国的なものを排除することは日本国の非軍事化の核心とも言えるでしょう。
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> それはまた極端なイデオロギーですね。が、そのようなイデオロギーは憲法違反ですよ。何が悲しゅうて、あしなさんのイデオロギーのために私の信仰は排除されねばならんですか(苦笑)。
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 これはそれほど極端なイデオロギーではありません。日本国憲法に第1条と第9条が存在しているという事実に置き換え可能です。

> >  それ故、東京裁判の整合性というテーマが「整合性そのもの」に留まらず、靖国の是非と絡められるのであれば、東京裁判の評価と戦後日本の体制そのものに対する評価との「整合性」が問われてしまうのではないか?ということです。
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> でも「それ故」といっても、「あしなさんのイデオロギーゆえ」でしょう?「靖国の是非と絡められるのであれば」といっても、そういう意味で「絡め」ているのは烏龍茶さんやあしなさんでしょう?ご自分で「絡め」て「排除」しようとしておいて、問うも何もないと思いますが。
>

 先にも述べましたが「イデオロギーゆえ」ではなく戦後日本を規定する基本的な事実に照らした上でです。


> いえ、埒はあきますよ。烏龍茶さんもあしなさんも、ご自分たちで現行法理に踏み込んできているわけですから、それは政治思想の名を借りて他者の信仰を侵犯する領域の話ですので、歴史認識とかそういう次元ではありませんよね。
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 「現行法理」という言葉を使って頂いたのでこちらも説明がしやすいです。その「現行法理」が前提とするものは何かが問題となります。


> >  もちろんそういうことは一切捨象したいと言うのであればそれまでの話ですが。
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> だって半世紀以上前の話ですから。
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 しかし「現行法理」そのものは60年前の「契約」に基づいているわけです。


> で、是非論はおくとしても戦後はそういう「主要神社の国有状態」を廃止して現在に至るわけです。現在の靖國神社も防衛庁の所管ではありません。その現時点において、過去の問題とやらで思想・信仰の自由を定めた現行法理を侵犯する意見に対しては、明確に対峙する必要が出てくるわけですね。>

 ここで芥屋さんは靖国〜国家神道の脱政治化と信仰の自由に依拠して論じておられます。しかし、そこで靖国「公式」参拝を正当化するのであれば、そもそも靖国と他の神社の脱政治化と信仰の自由が何故に要請されたかという経緯と逆立することになります。一般化すれば、「現行法理」に拠りつつその拠って立つ根拠を否定することになります。ヘビが自分のしっぽを飲み込もうとする図に似ています。

 もちろん「現行法理」を所与の前提としてその内部的な整合性に留まる限りは、芥屋さんの議論は一見論理的整合性を維持するかのように見えます。しかしそれは現実には困難な「整合性」です。そのような「整合性」が成立する仮想空間を構築するためには条件が必要です。条件の一つは芥屋さん御自身が言及しておあられるように「歴史性の黙殺」です。靖国が他の神社や仏教寺院と同列に語られるためには靖国がどのようなイデオロギーとそれに基づく機能を担い、今なおそれを維持しているかという歴史性を排除さざるをえないでしょう。ここで歴史とは単に過去を言うではなく、過去から継続する現在も含まれます。

 もう一つの条件は、靖国「公式」参拝を靖国参拝と言い換える「政治性の黙殺です」。現在の靖国が上記のような歴史性を帯びたものであれ、私人が私的に信仰するのであれば、「現行法理」から見てそれほど問題とはしがたいでしょう。問題点は参拝したのが公人足らざるをえない立場にある人物であるという点です。

 このように政治と歴史の排除によって芥屋さんの論理はかろうじて成立しているのではないかと考えます。