34905 返信 A級東京裁判の矛盾の「正当性」を、我が軍の捕獲敵搭乗員の取扱規則に求める愚かさ URL 火の鳥草 2005/05/07 14:49
横レスです。

旧日本軍(陸軍)の所謂「空襲軍律」と、それが本来対象とする「捕獲した敵航空機搭乗員」に対するドーリトル空襲、八幡空襲、名古屋空襲、その他の場合の我軍の取扱、更にはその我軍の取扱(軍律裁判など)自身が、敗戦後、連合国(米国)からBC級戦犯容疑に問われ、横浜での連合国軍事裁判所「横浜裁判」で審議処断されたわけだが、その辺の経緯について、まとめる。

特に、名古屋空襲の搭乗員処刑に関しては、東海軍管区(第十三方面軍)司令官:岡田資(たすく)中将の横浜裁判での「法戦」の様が大岡昇平の長編ノンフィクション「ながい旅」になって再現されている。大岡はここで岡田という日本軍将軍には類稀な優れた人物像にスポットを当てて筆を進めてはいるが、無差別爆撃の立証、空襲軍律と方面軍司令官の軍律、権限の関係がこのノンフィクションから十分読み取れる。岡田中将は横浜裁判で名古屋空襲の無差別爆撃を十分に立証しつつも、B級戦犯として絞首刑に処せられた。

ところで、このうちドーリトル空襲に関する日本軍の軍律裁判その他取扱(並びにそれを裁いたBC級横浜裁判)の、ある部分の事例を以って、A級東京裁判の「正当性」を論拠付けようとする人々がいるようだが、正直その頭脳構造が一体どうなっているのか、小生にはトンと理解しかねる。

連合軍(勝者)側が強行したA級東京裁判での法学的矛盾点と同種の矛盾点が日本軍の軍律裁判規定にあったとして、そのことが、逆に勝者のA級東京裁判を正当化することになるのか?

しかも、連合軍が行った邦土に対するおびただしい無差別爆撃があって、その中のほんのいくつか(東京大空襲も山の手空襲も、広島長崎原爆も、その他各都市への大部分の無差別爆撃の搭乗員を日本軍はほとんど裁けなかった)に対する日本軍の軍律裁判、その他取扱に対し、連合国(勝者)は戦後、その少ない事例の日本軍の取扱をすら横浜裁判で厳しく処断したのである
(因みに3名の捕獲搭乗員を独断処断した石垣島事件(海軍)では石垣島警備隊の46名が起訴され、うち絞首刑43名判決、最終的に司令の海軍大佐など7名もが絞首執行された)。

連合国が行ったA級東京裁判の矛盾を正当化しようと、何故か日本軍の軍律アナロジーで論じる人々は、では一体、その日本軍軍律に基づき捕獲搭乗員を処断した行為が、BC級横浜裁判で一層過酷に処断された事実につき、どのように評価するのだろうか?少なくてもドーリトル事件に対する我が軍処断(の矛盾の正当性?)につき言及した以上、そのBC級横浜裁判についてもコメントする義務があるはずである。


経緯

■1923年(大正12)ハーグ「戦時法規制委員会」(日・米・英・仏・伊・蘭)
<空戦法規(案)>・・・・・爆撃は軍事目標に対して行われた場合に限り適法。
(陸上軍隊の作戦行動の直近地域においては、都市、町村、住宅又は建物の爆撃は、兵力の集中が重大であ って、爆撃により普通人民に与える危険を考慮してもなお爆撃を正当とするのに充分であ ると推定する理由がある場合に限り、適法。)

空戦法規(案)は、日本を含む各国は署名したが、批准されない。

■その後、第2次対戦前の無差別爆撃と思われるもの。
1937年(昭和12)ドイツのスペイン、ゲルニカ爆撃
1938年(同) 日本軍の重慶爆撃(ただし、事前予告爆撃)

■第2次大戦勃発
1939年(昭和14) 米国ローズベルト大統領「非武装都市の市民を爆撃する非人道行為をやめるよう」アッピール。
1939〜1945 欧州におけるドイツ側、連合国側双方の無差別爆撃多数。

■1941年(昭和16)大東亜戦開始
日本、この時ジュネーブ条約(1929年)未批准であったが、これに準拠する(海戦、空戦の捕獲者をジュネーブ条約に準拠し捕虜として扱う)旨、中立国通じて各国に通牒。

■ドーリトル空襲(1942年4月18日)。空母から発進したBー25、16機(搭乗員80名)。東京他数都市を爆撃し、中国に不時着。東京中心に損害(ほとんど民間)、全焼145、半焼59、死者89、重傷169(沿岸漁船2隻も銃撃された。損害数は別の数字もある)。米国では真珠湾の復讐として大々的に報道された。
搭乗員80名中、中国不時着時5名死亡。多くは国民党軍に収容されたが、2(3?)機は中国の南昌他、日本軍占領地域に降下し、死者を除き8名を日本軍(支那派遣軍・第6方面軍隷下の上海第13軍)が捕獲。

■1942年7月28日 陸軍次官発、陸密第2190号「空襲の敵航空機搭乗員の取扱に関する件」示達:
 「防衛総司令官、軍司令官(内地、外地各軍、香港占領地総督を含む)は当該権内に入りたる敵航空機搭乗員にして、戦時重犯罪として処断すべき疑のある者は軍律会議に送致す。前項軍律会議に関しては、陸軍軍法会議法中特設軍法会議に関する規定を準用す。」

これを受けて、1942年8月13日、支那派遣軍(もしくは第6方面軍/第13軍?)は「敵航空機搭乗員処罰に関する軍律」を制定(内容は後述の防衛総司令部の1942年10月19日軍律と実質同様)、軍罰を原則、死(銃殺)とした。
これに基づき(第6方面軍/第13軍では)上記ドーリトル隊捕獲搭乗員に関する軍律会議を実施、8名全員に銃殺刑判決、うち5名は天皇特赦により死が免じられ、機長ファーロ中尉など3名が第13軍により銃殺執行された。

なお、このとき、防衛総司令部からこの軍律会議検察官として伊藤信男法務少佐が参加していた。戦後、その関係者が横浜裁判で訴追され、彼は[不公正なる訴訟手続きによる軍法会議(軍律会議)]の件で絞首刑判決を受ける(後、終身刑減刑)。

■このドーリトル隊の3名銃殺が公表されるや、米国世論が激昂した。大岡によれば、我が国は大東亜戦開始時、ジュネーブ条約準拠を宣言したのに、実態は違うではないか、嬲り殺されたのではないか、ということだったらしい。

■1942年10月19日、日本政府は防衛総司令官の名で以下の布告を行った。米国の激昂に応えるための正式な通告である。
 「大日本帝国領土を空襲し、我が権内に入れる敵航空機搭乗員にして、非道の行為ありたる者は、軍律会議に附し、死または重罰に処す。(満州国または我が作戦地域の空襲についても同じ)」 
ここで、非道の行為とは無差別爆撃のことで、具体的には以下の軍律で定義した。

同1942年10月19日、防衛総司令部は次の軍律を制定 (これを一般には「空襲軍律」と呼ぶ?)。
「第一条(適用地域:略)
 第二条  軍罰に処す者:(1)普通人民の威嚇または殺傷を目的とする爆撃、射撃その他の攻撃、(2)非軍事的性質の私有財産の破壊毀損焼毀を目的とする爆撃、射撃その他の攻撃(3)止むを得ない場合以外の軍事目標以外への爆撃、射撃その他の攻撃、(4)特に人道を無視した暴虐非道の行為、を行った者。
第三条、第四条 第五条 軍閥は死(銃殺刑)。ただし情状により無期または10年以上の監禁。特別事情により軍罰執行免除。
 附則
本軍律は昭和17年11月1日より之を施行す。
本軍律は施行前の行為に対しても之を適用す。・・・・・・ここに事後法を謳ってある。

■1943年4月12日、米国政府の声明。上の日本政府の布告に対する声明である。
「米国政府は、このような野蛮な無慈悲な行為に対して、責任ある日本政府の将校に相当な処罰を加えるつもりである」
 
ほぼ同じ頃、米国「戦争法規」改正。連合国名で日本、ドイツに通告。
「たとえ、上官の命令であっても、人道に反する行為をなした下級者も処罰を免れない」

・・・・・この条項は、日本軍の場合、どうにもならない。
上官の命令は朕の命令と心得よ、とする日本軍では上官の命令は絶対であり、不服従は陸軍刑法の抗命になる。この改正された米国戦争法規のため、戦後多くの日本軍下級兵士が実際に手を下したかどでBC級戦犯に厳しく問われ、銃殺、絞首された。正に日本人とって恨みの米国による一方的戦争法規である。

尤も、我が軍の上記空襲軍律でも、搭乗員行為に関する上官の命令の有無には触れておらず、数少ない実際の運用では、ある場合は情状酌量され、ある場合は酌量されない。

■1944年2月21日、陸軍次官参謀次長通牒(陸亜密128号)
 軍法会議、軍律会議、軍政法院所管の俘虜等の事件で、国際問題を惹起する可能性大なる事案は、事前に中央に連絡すると共に、極刑を以って臨まんとする場合は、中央の指示を俟つよう、依命した。

■八幡製鉄所空襲(1944年6月16日、8月11日、20日、21日) B29、70機来襲、4機撃墜し、5名の搭乗員捕獲。
 このときも、先の伊藤法務少佐が防空総司令部から出張調査。攻撃が軍事目標であることが明確であり、捕獲搭乗員は軍律会議不起訴とし、捕虜扱いとした。

■東京大空襲(1945年3月11日)他 東部軍管区内での捕獲搭乗員62名。東部軍は軍律会議開かず未処分のまま渋谷の東京陸軍刑務所に拘置(大岡によれば、東部軍は早くも手を上げる準備か、とその軟弱さを非難されたらしい)。
ところが、5月25,26日の山の手空襲(無差別爆撃)で、この刑務所が念入りに米軍の爆撃を受け、62名全員が爆死、焼死。

しかしながらこの処置も、刑務所が捕獲搭乗員の適切な避難誘導を行わなかったという理由で厳しく追求され、刑務所所長以下5名が絞首判決(のち終身に減刑)を受けた。一方、直接手を下した側である爆撃した側が訴追されたとは聞いていない。こうなるともう目茶目茶だ。

■名古屋空襲(1945年5月14日、6月9日など)

東海軍伊藤ケース:捕獲搭乗員11名(主に5月14日空襲)  正規の軍律会議により7月11日で死刑判決(この軍律会議の上席検察官は戦後自殺。伊藤伊藤信男法務少佐はこのとき東海軍所属(検察官兼拘置所長)。彼は陸亜密128号に基づき、上級兵団である第一総軍の了解を取った上での極刑求刑処置であった)。翌日11名の死刑執行。

戦後BC級横浜裁判で、全責任が伊藤少佐に集まり、伊藤法務少佐に対し[正当な証拠に基づかず起訴した]件で絞首刑判決。その後終身刑に減刑。関係者全員に有罪判決。

東海軍岡田ケース:捕獲搭乗員27名(5月14日以後の空襲) 取調べの結果、搭乗員が何度も邦土の無差別爆撃を行っていること、無差別爆撃は余りにも明瞭であることから正規の東海軍軍律により略式裁判扱いとし、軍律により死刑決定。6月28日、7月12日、15日、27名の死刑執行。彼は、本土が既に戦場になりつつあるとき、無差別爆撃を行っていない搭乗員は捕虜、行ったかどうか不明の搭乗員は軍律裁判送致、無差別爆撃が明瞭なものは略式裁判、と明瞭な処断方針を持っていた。

戦後BC級横浜裁判で、[略式裁判は不当]とされ、責任を一身に背負おうとした岡田東海軍司令官(第十三方面軍司令官)に絞首刑判決。その他も厳しい有罪判決。裁判で、米軍の空襲(名古屋空襲)が無差別爆撃であることを立証できた唯一の例となった。1949年(昭和24)9月17日岡田資将軍に絞首刑執行。合掌。


●なお、空襲の捕獲搭乗員の我が軍の取扱(特に死扱い)に対する連合国のBC級軍事裁判結果が以下にまとめられている。ただし、小生の調査によればいくつかの不備がある。
http://www10.ocn.ne.jp/~kuushuu/bcaircrew.html
このHPの標題が「捕獲搭乗員殺害事件」と「殺害」となっているのは、連合国の一方的な見方で、実に不愉快、残念である。

●以上の例示から、再度問う。

連合軍(勝者)側が強行したA級東京裁判での法学的矛盾点と同種の矛盾点が日本軍の軍律裁判規定にあったとして、そのことが、逆に勝者のA級東京裁判を正当化することになるのか?
しかも、連合軍が行った邦土に対するおびただしい無差別爆撃があって、その中のほんのいくつか(東京大空襲も山の手空襲も、広島長崎原爆も、その他各都市への大部分の無差別爆撃の搭乗員を日本軍はほとんど裁けなかった)に対する日本軍の軍律裁判、その他取扱に対し、連合国(勝者)は戦後、その少ない事例の日本軍の取扱をすら横浜裁判で厳しく処断したのである。

連合国が行ったA級東京裁判の矛盾を正当化しようと、何故か日本軍の軍律アナロジーで論じる人々は、では一体、その日本軍軍律に基づき捕獲搭乗員を処断した行為が、BC級横浜裁判で一層過酷に処断された事実につき、どのように評価するのだろうか?少なくてもドーリトル事件に対する我が軍処断(の矛盾の正当性?)につき言及した以上、そのBC級横浜裁判についてもコメントする義務があるはずである。