| 34910 | 返信 | Re:東京裁判と靖国を巡って 内在性と外在性 | URL | 芥屋 | 2005/05/07 23:02 | |
| >あしなさん >もちろん私は芥屋さんと烏龍茶さんのやりとりの相互性に踏み込むつもりはありません。 でも、「一連のやりとり」の「感想」ということで書き出されたはずですよ? >やりとりの一方の当事者である「不当論者」の論理そのものについて語っております。 そうですか。双方の論点・争点を具体的に見たほうが良いとは思いますが。。。あしなさんの言われる「芥屋さんの論理」なるものについては、後で述べましょう。 > ことの始まりは私が一方的に語ったのですから、芥屋さんが「話にならない」と思うのであればそれでも良いのです。 冒頭から「話にならない」「埒があかない」と評して話を始めたのはあしなさんであって、私は「話にならない」とも思わず「埒はあきます」と言っておりますよ。 >これはそれほど極端なイデオロギーではありません。日本国憲法に第1条と第9条が存在しているという事実に置き換え可能です。 第1条と第9条に、「靖国的なものを排除することは日本国の非軍事化の核心とも言える」なんて事実として書いてありませんから、置き換え不能です。 > > でも「それ故」といっても、「あしなさんのイデオロギーゆえ」でしょう?「靖国の是非と絡められるのであれば」といっても、そういう意味で「絡め」ているのは烏龍茶さんやあしなさんでしょう?ご自分で「絡め」て「排除」しようとしておいて、問うも何もないと思いますが。 > 先にも述べましたが「イデオロギーゆえ」ではなく戦後日本を規定する基本的な事実に照らした上でです。 説明いたしましょう。その、先に述べられた部分は以下のとおりです。 >ここで確認すべきは、東京裁判を受け入れることと靖国を批判する事が一体であるとは私の個人的主張ではないと言うことです。日本の戦後体制の前提としてポツダム宣言受諾、天皇人間宣言、東京裁判、サンフランシスコ平和条約の締結という一連の過程が存在します。戦後日本がその出立に際してそれら一切を受け入れたことは否定出来ない事実です。その一連の過程において象徴天皇制の成立(による天皇制そのものの維持)と日本の非軍事化はバーターであり、また靖国的なものを排除することは日本国の非軍事化の核心とも言えるでしょう。 >それ故、東京裁判の整合性というテーマが「整合性そのもの」に留まらず、靖国の是非と絡められるのであれば、東京裁判の評価と戦後日本の体制そのものに対する評価との「整合性」が問われてしまうのではないか?ということです。 これを、「事実」と「主張」に分けてみます。 >ここで確認すべきは、東京裁判を受け入れることと靖国を批判する事が一体であるとは私の個人的主張ではないと言うことです。【A】 >日本の戦後体制の前提としてポツダム宣言受諾、天皇人間宣言、東京裁判、サンフランシスコ平和条約の締結という一連の過程が存在します。戦後日本がその出立に際してそれら一切を受け入れたことは否定出来ない事実です。【B】 >その一連の過程において象徴天皇制の成立(による天皇制そのものの維持)と日本の非軍事化はバーターであり、また靖国的なものを排除することは日本国の非軍事化の核心とも言えるでしょう。【C】 >それ故、東京裁判の整合性というテーマが「整合性そのもの」に留まらず、靖国の是非と絡められるのであれば、東京裁判の評価と戦後日本の体制そのものに対する評価との「整合性」が問われてしまうのではないか?ということです。【D】 このうち「事実」の部分は【B】であります。【A】というのは自分一人の主張ではなく【B】という史実に「照らした上で」【C】のように解釈し主張する。【D】「それ故」自分たちはこのように問いかけるのである。…という構成の文章です。ですから先の文中「それ故」は、【B】という事実を【C】のように解釈することで導かれたイデオロギーゆえに…となっておりますので、私の書いた文に間違いはありません。 > > いえ、埒はあきますよ。烏龍茶さんもあしなさんも、ご自分たちで現行法理に踏み込んできているわけですから、それは政治思想の名を借りて他者の信仰を侵犯する領域の話ですので、歴史認識とかそういう次元ではありませんよね。 > > > 「現行法理」という言葉を使って頂いたのでこちらも説明がしやすいです。その「現行法理」が前提とするものは何かが問題となります。 自己の思想に基づいて、他者の信仰を社会的に侵害するような政治的主張は憲法違反であるということであります。 > しかし「現行法理」そのものは60年前の「契約」に基づいているわけです。 でも60年前の様々な事象をことごとく墨守する必要もないわけで、あしさんとて(私とは別観点から)それは同様でしょう。もちろん守るべきものは守らなくてはならず、信教の自由もそうしたものだと思いますが(そもそもこれ自体は帝国憲法時代からあり)、あしなさんはどうなのでしょうか。 > ここで芥屋さんは靖国〜国家神道の脱政治化と信仰の自由に依拠して論じておられます。 当然でしょう。「靖国的なものを排除することは日本国の非軍事化の核心」との主張に対峙しているのですから。 >しかし、そこで靖国「公式」参拝を正当化するのであれば、 しかし、そこで私は靖国「公式」参拝を正当化しておりませんので、 >そもそも靖国と他の神社の脱政治化と信仰の自由が何故に要請されたかという経緯と逆立することになります。 逆立することにはなりません。私の主張を過去ログで参照してみてください。以下の部分は、私の見解と関係なく(おそらく読みもせず)あしなさんが私に仮託して自己の主張を述べられたものですね。 >一般化すれば、「現行法理」に拠りつつその拠って立つ根拠を否定することになります。ヘビが自分のしっぽを飲み込もうとする図に似ています。もちろん「現行法理」を所与の前提としてその内部的な整合性に留まる限りは、芥屋さんの議論は一見論理的整合性を維持するかのように見えます。しかしそれは現実には困難な「整合性」です。そのような「整合性」が成立する仮想空間を構築するためには条件が必要です。 おそらく、これまでの「一連のやりとり」を「話にならない」ものとしてロクにご覧になっていないまま、ご自身の主張を「外在的感想」と名付けて発表されたのだと思います。あしなさんの言われる「芥屋さんの論理」とは、あしなさんが私に仮託して「仮想空間を構築」したものでしょう。 >条件の一つは芥屋さん御自身が言及しておあられるように「歴史性の黙殺」です。 そのような条件も私は言及しておりません。 >靖国が他の神社や仏教寺院と同列に語られるためには 法制上の話であれば既に同列ですよ。何が何でも同列に置きたがらない人はいるようですが。「靖国的なものを排除することは日本国の非軍事化の核心」とのイデオロギーに基づくあしなさんもその一人ですね。 >靖国がどのようなイデオロギーとそれに基づく機能を担い、今なおそれを維持しているかという歴史性を排除さざるをえないでしょう。 「靖国的なものを排除することは日本国の非軍事化の核心」とのイデオロギーに基づくあしなさんも、そうした一人ですね。これで解かるように、ご自分で提示なさった「仮想空間を構築するための条件」を実践なさっているのは、私ではなくあしなさんご本人です。 >ここで歴史とは単に過去を言うではなく、過去から継続する現在も含まれます。 ちなみに、私はそのあたりのことを既に田中荘で簡潔に述べました。 >もう一つの条件は、靖国「公式」参拝を靖国参拝と言い換える「政治性の黙殺です」。 それについては、にゃ×5さんと烏龍茶さんに言ってください。私は既に「首相が公務の一環として参拝するのであれば政教分離問題になると思うが?」と問いかけをしております。しかし、にゃ×5さんは無回答、烏龍茶さんにいたっては「私は政教分離問題の話などしていない」と言下に否定されました。 >現在の靖国が上記のような歴史性を帯びたものであれ、私人が私的に信仰するのであれば、「現行法理」から見てそれほど問題とはしがたいでしょう。問題点は参拝したのが公人足らざるをえない立場にある人物であるという点です。 ということは、ここでいう「私人が私的に信仰」についてもあしなさんは問題としたい、しかしできないのでそれができるよう現行法を変えるべきで、それが「靖国的なものを排除」との主張だ…ということでよろしいでしょうか。なお、同一人物をして「私人か公人か」という争点はナンセンスなのであって、要はその参拝が公務であるのかどうかが、現行法理上の争点になっていると思います。 >このように政治と歴史の排除によって芥屋さんの論理はかろうじて成立しているのではないかと考えます。 tpknさんの苦言に同感です。 |
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