34945 | 返信 | Re:東京裁判と靖国を巡って 内在性と外在性 | URL | 芥屋 | 2005/05/08 14:59 | |
>あしなさん >【あ】現在の靖国が上記のような歴史性を帯びたものであれ、私人が私的に信仰するのであれば、「現行法理」から見てそれほど問題とはしがたいでしょう。問題点は参拝したのが公人足らざるをえない立場にある人物であるという点です。…A >【芥】ということは、ここでいう「私人が私的に信仰」についてもあしなさんは問題としたい、しかしできないのでそれができるよう現行法を変えるべきで、それが「靖国的なものを排除」との主張だ…ということでよろしいでしょうか。…B >【芥】現行憲法下で靖國神社が一宗教法人になっている、よってその「宗教法人靖國神社」に対する個人の信仰や表敬の自由も現行憲法下で保障されております。よって、「日本国の非軍事化の核心として靖国的なものを排除するため、私人の信仰も問題に出来るように法制を変える」に置き換えるという主張は憲法違反であり、もとよりこれを第1条と第9条に置き換えることも不可能ですよ。…C >【あ】私は靖国自体が戦前のイデオロギーをそのまま維持していることを問題視しますが、例えば芥屋さんがそのようなイデオロギーを信奉する乃至問題視しないことに関して否定するつもりは現憲法下での信仰の自由に照らして毛頭ないことは今までさんざん述べたとおりです。それ故上記批判の後半は良く言って芥屋さんの勇み足です。…D 勇み足でしょうか。そのCの部分については、私は先のレスであしなさんの主張の意味するところお尋ねした下記の箇所、Bについて肯定も否定も無かったため、あしなさんの主張「靖国的なものを排除」の論理的に帰結する先として踏み込んだ表現を用いたものです。それについてDとお答えですが、これは従前どおり「現行法では」との条件付の文言であり「問題にはできない」を「する気はない」にしたものですね。 ではあらためてお尋ねしますが、将来に向かって「信仰の自由」というものは守られるべきことでもないとお考えなのでしょうか?これも先に質問してお答えがないのですが、非常に大事な点なので確認しておくべきことだと考えます。これは「靖国的なものを排除」ということについて、あしなさんがどのようなことを想定しているかに関わることですので。 ところで。上記Dのあしなさんのご意見を見て「え、何で?」と思ったことを書きます。Dの文面では、まるで現行法制上、私が自分の政見を「これは私の信仰だ」と言いさえすれば、あしなさんは私の主張を批判できないみたいな感じです。そうではありますまい。憲法は、そういう相互批判を禁じているのではなく、相互批判が自由に行われることをこそ保障しているはずです。私が申し上げているのは(inti-solさんにも同様のことを述べましたが)、その自由性を将来的にも守るべきであろうということです。 >【あ】さらに私は一私人の参拝を批判しているわけではありません。国家祭祀としての靖国を否定することで現行憲法体制が成立しているにもかかわらず、総理大臣がその肩書きを帯びたまま靖国に参拝すること(それを公式参拝と呼びましたが)は、現行体制の執行権力の長が現行体制の前提条件を反故にしたいという意志を示すようなもんでしょう。 従前よくあったことですが、参拝した首相に対して「公人としてですか?私人としてですか?」という質問と同様、「“総理大臣”と記帳したのですか?しなかったのですか?」という質問もナンセンスだったと思いますよ。 >【あ】あるいは「信教の自由」から「靖国参拝」を正当化できる根拠は、靖国が一宗教法人として国家権力と切れたということ(=戦後体制の成立)にあるのであって、その国家権力の代表者がその靖国に行ってしまったのでは、「国家権力と切れた」という部分を自ら崩してしまうことになるのではないですか? なりませんよ。靖國神社が再び防衛庁の所管神社として国有化されるなら別ですが。首相はいかなる神社仏閣教会にも参拝できないのであれば、事実上、唯物主義者しか首相にはなれないでしょうが、当然そのような法理ではありません。また現行法上、靖國神社参拝だけは法に抵触するという法理も成立しません。ですから、首相が参拝すること自体は全く問題ありません。 >【あ】当然、芥屋さんが仰る様に、公人と私人をどこで線引きするかなどと言うのは困難な話ですし、少なくとも三権の長というような立場の人間の場合、公人としての性格が優先されるでしょう。そういう立場の人間の行動を一私人の行動とを敢えて同一視しなければ芥屋さんの主張は成り立たないのではないか?と言うのが前述の「政治性の排除」の部分です。 問題は参拝する人が「公人か私人か」といったことにあるのではないでしょう。「公務の一環として参拝」ということであれば、たとえば単に小泉純一郎とかの属人的な信条・信仰としてではなく、総理大臣の職務上の必須行為としてという方向性になりえますよね。より正確に言えば「一環として」というところが問題点です。 それが、現行法上は完全に職務とは位置づけられないが故のエクスキューズでしかなく、目するところは総理大臣職の義務行為としたいとのことであるなら、それでは思想・信条・信仰の有無等の理由で靖國神社を忌避する人は首相になれないことになります。ここを問うてこそ、「そんな制度になっては駄目じゃないか!」ということになるでしょう。 つまり、首相の靖國神社参拝を法制上に「してはならない」も「しなくてはいけない」も、どちらの主張も政敵を政権につかせないための法理論でしかなく、そのために靖國神社を政治利用しているものです。信仰の自由と政教の分離を定めた法理の根幹部分は守らねばならず、どちらの主張もこれへの挑戦なのであり、よって私は双方に反対するということなのです。 |
||||||
![]() |