| 34947 | 返信 | Re:東京裁判と靖国を巡って 内在性と外在性 | URL | あしな | 2005/05/08 18:33 | |
| 芥屋さんこんにちは。 > >【芥】ということは、ここでいう「私人が私的に信仰」についてもあしなさんは問題としたい、しかしできないのでそれができるよう現行法を変えるべきで、それが「靖国的なものを排除」との主張だ…ということでよろしいでしょうか。…B > いいえ。 > ではあらためてお尋ねしますが、将来に向かって「信仰の自由」というものは守られるべきことでもないとお考えなのでしょうか?これも先に質問してお答えがないのですが、非常に大事な点なので確認しておくべきことだと考えます。これは「靖国的なものを排除」ということについて、あしなさんがどのようなことを想定しているかに関わることですので。 > 靖国イデオロギー自体の問題性は別として、一般的な「信仰の自由」は当然、守られるべきです。 > ところで。上記Dのあしなさんのご意見を見て「え、何で?」と思ったことを書きます。Dの文面では、まるで現行法制上、私が自分の政見を「これは私の信仰だ」と言いさえすれば、あしなさんは私の主張を批判できないみたいな感じです。そうではありますまい。憲法は、そういう相互批判を禁じているのではなく、相互批判が自由に行われることをこそ保障しているはずです。私が申し上げているのは(inti-solさんにも同様のことを述べましたが)、その自由性を将来的にも守るべきであろうということです。 > 別に芥屋さんが靖国を信仰していても、それ自体は原則的に「信仰の自由」の問題です。もちろん「天皇のために戦死することは意義がある(そうするべきだ)」などというイデオロギーはそれ自体として批判されるべきです。 > 従前よくあったことですが、参拝した首相に対して「公人としてですか?私人としてですか?」という質問と同様、「“総理大臣”と記帳したのですか?しなかったのですか?」という質問もナンセンスだったと思いますよ。 > そりゃナンセンスでしょう。総理大臣の勤務規定などは知りませんが、総理大臣という立場で何時から何時までは勤務時間外などということは常識的にはあり得ません。首相在職中に参拝すればそれは間違いなく「首相」の行為です。 > なりませんよ。靖國神社が再び防衛庁の所管神社として国有化されるなら別ですが。首相はいかなる神社仏閣教会にも参拝できないのであれば、事実上、唯物主義者しか首相にはなれないでしょうが、当然そのような法理ではありません。また現行法上、靖國神社参拝だけは法に抵触するという法理も成立しません。ですから、首相が参拝すること自体は全く問題ありません。 > まず法律上違法かどうかと言う議論を私はしていません。しかもまた芥屋さんは神社仏閣といっしょくたにしています。もし靖国が戦前のイデオロギーを放棄した上で、一宗教法人として過去の戦死者の追悼をするというのであれば、そういうことも言えるかもしれませんね。しかし現実には宗教法人としての靖国は過去の特殊な政治的・イデオロギー的性格を維持しています。そのようなイデオロギーの廃棄を前提に成り立っている現行政権の責任者が、少なくともその立場のままで靖国イデオロギーを擁護することは深刻な自己矛盾でしょう。 それにしても芥屋さんは靖国の(体制とイデオロギーの両面で戦前戦後に通底する部分も含めての)特殊性を徹底的に無視しますね。何で? > 問題は参拝する人が「公人か私人か」といったことにあるのではないでしょう。「公務の一環として参拝」ということであれば、たとえば単に小泉純一郎とかの属人的な信条・信仰としてではなく、総理大臣の職務上の必須行為としてという方向性になりえますよね。より正確に言えば「一環として」というところが問題点です。 > 靖国イデオロギーを排除することは戦後体制の成立時の契約事項であり、戦後体制の責任者の一人が靖国イデオロギーの信奉を表明することは、体制の責任者が体制を自己否定することになります。それ故小泉以前にも首相在任中は参拝しなかったわけで。もちろん私に言わせれば「天皇のために死ね」という思想に親和性を抱いているような人物が執行権力の長となるのはご勘弁願いたいですな。 > それが、現行法上は完全に職務とは位置づけられないが故のエクスキューズでしかなく、目するところは総理大臣職の義務行為としたいとのことであるなら、それでは思想・信条・信仰の有無等の理由で靖國神社を忌避する人は首相になれないことになります。ここを問うてこそ、「そんな制度になっては駄目じゃないか!」ということになるでしょう。 > 戦争に負けるまではそうだったんですよね。「靖国けしからん」なんて言ったら首相になれないどころではない。現行憲法体制になってそうではなくなったわけで。で、現行憲法体制というのは少なくとも公権力の領域から靖国的な思想を排除することで成立しているのではないですか? > つまり、首相の靖國神社参拝を法制上に「してはならない」も「しなくてはいけない」も、どちらの主張も政敵を政権につかせないための法理論でしかなく、そのために靖國神社を政治利用しているものです。信仰の自由と政教の分離を定めた法理の根幹部分は守らねばならず、どちらの主張もこれへの挑戦なのであり、よって私は双方に反対するということなのです。 何度も言いますけど、靖国イデオロギーの政治的・歴史的な位置づけを無視してるからそう言えるんでしょう。 もちろん首相の靖国参拝は少なくともそれによって刑罰法令に触れる様なものではありません。しかし、 戦後体制は戦前の靖国イデオロギーを体制内から排除したことによって(さらにそれを国内外に示し)成立しており、 靖国自体は戦前からのイデオロギー上の継続性を維持している以上、 首相という立場の人物が靖国イデオロギーを信奉してみせることは、法的整合性の範囲を超えた政治思想的な背信行為と言えるでしょう。 さてここで当初の本題に戻れば、上記の様に芥屋さんが仰ることができるのも現行憲法体制下での「信仰の自由」を前提としており、しかもその現行憲法体制は東京裁判を含めたいくつかの約束事を受け入れることに拠って成り立ってます。にもかかわらず東京裁判の不当性を主張する場合に、その主張が部分的な批判に留まらず裁判そのものの存立を根底的に批判する様なものであれば、御自身が依拠する「信仰の自由」を支える現行憲法体制そのものをその成立時に遡って批判することになるのではないか?と申し上げているんですけどね。御自分の主張の足場を御自分で掘り崩しているんじゃないのか?と。 |
||||||
![]() | ||||||