34956 | 返信 | Re:東京裁判と靖国を巡って 内在性と外在性 | URL | 芥屋 | 2005/05/09 01:53 | |
>あしなさん >【芥】ということは、ここでいう「私人が私的に信仰」についてもあしなさんは問題としたい、しかしできないのでそれができるよう現行法を変えるべきで、それが「靖国的なものを排除」との主張だ…ということでよろしいでしょうか。…B >【あ】いいえ。 >【芥】ではあらためてお尋ねしますが、将来に向かって「信仰の自由」というものは守られるべきことでもないとお考えなのでしょうか?これも先に質問してお答えがないのですが、非常に大事な点なので確認しておくべきことだと考えます。これは「靖国的なものを排除」ということについて、あしなさんがどのようなことを想定しているかに関わることですので。 >【あ】靖国イデオロギー自体の問題性は別として、一般的な「信仰の自由」は当然、守られるべきです。 承知いたしました。 >別に芥屋さんが靖国を信仰していても、それ自体は原則的に「信仰の自由」の問題です。もちろん「天皇のために戦死することは意義がある(そうするべきだ)」などというイデオロギーはそれ自体として批判されるべきです。 「海ゆかば」の「大君の辺にこそ死なめ」ですね。簡単に設定してみましょう。私は、もしものことがあれば陛下の為に死にます。が、それを誰か他人に求めることはしません。他人から批判されてもそうします。それは決意ですね。しかしそういう忠君思想というのは本来、口にとやかくするものではなく黙して行うもの、自己一身の都合上のものであります。 そのことは、たとえば吉田松蔭の言葉と行動にも端的に示されており、それが靖國神社の信仰だと言えばそうなります。もちろん参拝する人の多くはそういう忠君思想とは無縁です。それでもあしなさんが懸念されているのは、国民の義務なり何なりで「国家権力を通じて他者から強制されるもの」としての忠君報国思想でありましょう。それは確かに国家イデオロギーであって、私も認めません。その気に無い人に「忠君報国」は行えませんから。 >まず法律上違法かどうかと言う議論を私はしていません。 ええ?現行法理なら話が早いということで了解されていたのでは?? >しかもまた芥屋さんは神社仏閣といっしょくたにしています。 一緒ですから。一緒ではないと言うほうがおかしいのです。ところで、あしなさんは絶対に「靖國神社」とは書かれませんね。「國」の字はいいんですけど、何で「神社」とお書きにならないのかな?と思っていたんですが、何か関係があるんでしょうか…神社とはみなしていないとか。靖國神社は神社なんですが。 >もし靖国が戦前のイデオロギーを放棄した上で、一宗教法人として過去の戦死者の追悼をするというのであれば、そういうことも言えるかもしれませんね。しかし現実には宗教法人としての靖国は過去の特殊な政治的・イデオロギー的性格を維持しています。そのようなイデオロギーの廃棄を前提に成り立っている現行政権の責任者が、少なくともその立場のままで靖国イデオロギーを擁護することは深刻な自己矛盾でしょう。 それについては、あしなさんの偏見がいろいろとありそうだとは思いますが、ひとまずおくとします。価値判断ではなくあくまで法立論ですが、現在の地位は靖國神社が自ら選択したのではなく占領軍に与えられた地位でありますが、靖國神社が主体的につとめて抗しているのは、自社の地位ではなく占領軍によりもたらされた史観です。したがって、純粋に論理的に言って自己矛盾ではありません。 >それにしても芥屋さんは靖国の(体制とイデオロギーの両面で戦前戦後に通底する部分も含めての)特殊性を徹底的に無視しますね。何で? 逆でしょう?あしなさんはイデオロギー上のことを言われますが、そうやってイデオロギー上に乗せて論じ続けるから、いつまでたっても靖國神社は特殊化された言説の中に捕らわれているわけでしょう。靖國神社の政治的特殊性なるものを創出しているのは反靖國勢力でしょう。これはマッチポンプですよ? >靖国イデオロギーを排除することは戦後体制の成立時の契約事項であり、戦後体制の責任者の一人が靖国イデオロギーの信奉を表明することは、体制の責任者が体制を自己否定することになります。それ故小泉以前にも首相在任中は参拝しなかったわけで。もちろん私に言わせれば「天皇のために死ね」という思想に親和性を抱いているような人物が執行権力の長となるのはご勘弁願いたいですな。 「天皇のために死ね」って御仁じゃ、私もご勘弁願いたいですよ。「あんたのためであって陛下のためじゃなかろうが」ってことです。(ところで、「小泉以前にも首相在任中は参拝しなかった」ってよくわからないんですが、小泉以前に参拝はありますけど。。。) >【芥】それが、現行法上は完全に職務とは位置づけられないが故のエクスキューズでしかなく、目するところは総理大臣職の義務行為としたいとのことであるなら、それでは思想・信条・信仰の有無等の理由で靖國神社を忌避する人は首相になれないことになります。ここを問うてこそ、「そんな制度になっては駄目じゃないか!」ということになるでしょう。 >【あ】戦争に負けるまではそうだったんですよね。「靖国けしからん」なんて言ったら首相になれないどころではない。現行憲法体制になってそうではなくなったわけで。 そのあたりは、帝国憲法での宿題だったんですよ。一般の国民が神社に表敬しないとしても何の問題もない、しかし国家の祭祀としては公職者は?ということについて、立憲時において議論されて「それは今後の課題としよう。ともかく、臣民の権利としては信教の自由ということで問題無し」という決定だったのです(昭和の戦時体制期において蹂躙されましたが)。 >で、現行憲法体制というのは少なくとも公権力の領域から靖国的な思想を排除することで成立しているのではないですか? ですからそこでいう「排除」という言葉の意味が何なのか?ですよ。「国民の義務」としての公定イデオロギーとしては採用していないでしょうけど、靖國神社への表敬は帝国憲法においても本来は国民の義務ではなかったんですよ。 >【芥】つまり、首相の靖國神社参拝を法制上に「してはならない」も「しなくてはいけない」も、どちらの主張も政敵を政権につかせないための法理論でしかなく、そのために靖國神社を政治利用しているものです。信仰の自由と政教の分離を定めた法理の根幹部分は守らねばならず、どちらの主張もこれへの挑戦なのであり、よって私は双方に反対するということなのです。 >【あ】何度も言いますけど、靖国イデオロギーの政治的・歴史的な位置づけを無視してるからそう言えるんでしょう。もちろん首相の靖国参拝は少なくともそれによって刑罰法令に触れる様なものではありません。しかし、戦後体制は戦前の靖国イデオロギーを体制内から排除したことによって(さらにそれを国内外に示し)成立しており、靖国自体は戦前からのイデオロギー上の継続性を維持している以上、首相という立場の人物が靖国イデオロギーを信奉してみせることは、法的整合性の範囲を超えた政治思想的な背信行為と言えるでしょう。 ですから、過去の「靖国イデオロギー」なるものではなく、あしなさんの上記のイデオロギーによって靖國神社に現代の「政治性」を付与しているのはあしなさん(ほか反靖国左翼)なのであって、それをマッチポンプだと言っているのです。靖國神社にまつわる負の部分は現代人として払拭すればいいではないですか。二度と国家主義者の思惑にからめとられないようにすべきではないですか。靖國神社が主体的に、戦前も戦後も国家主義・官僚主義を煽動しましたか? >さてここで当初の本題に戻れば、上記の様に芥屋さんが仰ることができるのも現行憲法体制下での「信仰の自由」を前提としており、しかもその現行憲法体制は東京裁判を含めたいくつかの約束事を受け入れることに拠って成り立ってます。にもかかわらず東京裁判の不当性を主張する場合に、その主張が部分的な批判に留まらず裁判そのものの存立を根底的に批判する様なものであれば、御自身が依拠する「信仰の自由」を支える現行憲法体制そのものをその成立時に遡って批判することになるのではないか?と申し上げているんですけどね。御自分の主張の足場を御自分で掘り崩しているんじゃないのか?と。 この部分、帽子屋さんのコメントが入っておりますが、それはさておきます。私は、あしなさんが右翼である私にそれを問いたい気持ち自体は解るように思います。あしなさんからすると、信教の自由は占領軍のもたらしたものとの認識であって、私の政治思想からしてそれを金科玉条のように言うのはおかしいとの批判でしょうか。 それもあって、実は先に、信教の自由それ自体は帝国憲法にて定められたことと書いたのです。そして、このことは何も近代政治思想上の産物ではなく、古くは南北朝争乱の時に南朝の重臣である北畠親房が幼帝に献上した『神皇正統記(じんのうしょうとうき)』にも見え、私は、そうでなくてはいけない、それが日本の国体であるとの認識です。つまり、私は戦後体制なるものに準拠して「信教の自由」を言うのではなく、国体護持の観点からそれを言っております。以下、親房卿の『神皇正統記』の当該部分を記しておきます。 『大方の宗(しゅう)に、伝来の趣を載せたり。極めて誤り多く侍(はべ)らん。ただし、君としては、いづれの宗をも大概知ろしめして、捨てられざらん事こそ、国家攘災の御計りなるべき。菩薩大士も掌る宗あり。わが朝の神明も取り分き擁護し給ふ教(おしへ)もあり。一宗に志ある人、余宗を譏(そし)り賤しむ、大きな誤りなり。人の根機(こんき)品々なれば、教法も無尽なり。況(いはん)や、わが信ずる宗をだに明らめずして、未だ知らざる教を譏らんは、極めたる罪業にや。我はこの宗に帰すれども、人はまた彼の宗に志す、共に随分の益有るべし。これ皆、今生一世の値遇にあらず。国の主ともなり、輔政の人ともなりなば、諸教を捨てず機を漏らさずして、得益の広からんことを思ひ給ふべきなり。且(かつ)は仏教に限らず儒道の二教の至り、諸々の道、賤しき芸までも、興し用いるを、聖道と云ふべきなり。』 …当時のこととて、親房卿は宗門について仰っておられますが、現代であれば、これは主義信条をも含むことでもありましょう。人はそれぞれに、生まれ育ちなどの中で依って立つところが異なるものです。その中から自己の思想や信仰などを形成するでしょう。したがって「教法も無尽なり」。その人に見合うものであれば、それぞれに「共に随分の益有るべし」。…思想・信教の自由、これは守らねばならないと私は考えます。 |
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