34959 返信 戦争責任を考える URL 小林 哲夫 2005/05/09 08:46
告天子さん 八木沢さん 五番街さん  烏龍茶さん  こんにちは

私は東京裁判の判決は不当だと考えますので、戦犯とされた人の大部分は法的には無罪だと考えます。
国際法的に無罪と言うだけではなくて、道徳的にも我々日本人全体の責任、罪を引き受けてくれただけであって、我々と異なった特別の罪があるとは考えられません。だから我々が彼らを糾弾できるものではないと考えます。
我々日本人が彼らを戦犯として糾弾すれば、その時から我々は卑怯な加害者になり、処刑された人々は被害者になると考えます。

しかしながら私が無罪というのは、所謂「推定無罪」という判断にすぎません。

もし日本人自身が、あの戦争を侵略と認め、その侵略の責任者は誰か?と追求することがあったなら、彼等は改めて、有罪と考えられるかもしれません。

日本人は今でもあの戦争を「侵略であった」と言うことを認めているようですが、「その責任者は誰か?と追及しなければならない」という気にはならないようです。

告天子さんのような人でも、責任者を追及しようとするのは裁判官の発想であり、私のようなことを言うのは、独裁者の発想だと非難する始末です。

私は戦後の日本の大きな過ちは、戦争責任を曖昧にしてきたことであって、これをしっかりと追求することが、日本人全体の戦後責任だと考えています。
しかしこういう発言自体が、独裁者の発言だと非難される時代になったことを残念に思っています。

「戦争責任を追及すべし」と主張するだけで、「独裁者だ」と非難される時代と言うのは、私に言わせれば、これこそファッシズムだと感じます。

ところが一方五番街さん、烏龍茶さんは東京裁判に全ての判断を任せて、これ以上の責任を追及する気が無いことが私には不満です。

お二人は家永三郎氏の本は読んでいることと思いますが、その中で氏は「これは戦争責任追求の第一歩に過ぎない、これから本格的に追及しなければならないことは沢山ある。」と書いています。

お二人はこの家永氏の初心を忘れてしまっています。
日本の思想界は家永氏の時点で止まってしまったように思えます。

今家永氏の本を読むと、いかにも未完成で、考えが浅いと感じられるところが多いのですが、それは一重にあれ以後に研究が深化しなかったことに原因があります。

あの当時にあれだけきっちりとまとめた家永氏の功績は高く評価しますが、それだけなおさらそれ以後の研究がお粗末だったと思われるのですが、お二人はこの点どう考えますか?