| 35000 | 返信 | 「合祀拒否」の奇妙な論理。 | URL | 八木沢 | 2005/05/11 01:17 | |
あしな氏。 >ここでの論点は、戦前には神社神道は一般の宗教法人とは区別されていた。さらに靖国は一般の神社神道からも区別されていた。という事実にあります。 「ここでの論点」がそういうところにあるとすれば、おそろしく古臭い、手垢のついた、はっきり言って今更そのような「事実」について語り合うことにいったい何の意味があるのかという疑問が湧きあがるだけだ。 >私は自分がウヨクの祭祀の対象になるのは勘弁してもらいたいね。常識的に考えて嫌がる相手まで無理矢理に祭祀するのは問題でしょう。 右翼の祭祀の対象になるような働きを今後あしな氏が行う可能性は極めて低いので、別に憂慮には及ばないが、それ以前の問題として不思議でしょうがないのが、世の多くのウスラ左翼が展開するこの「合祀拒否」の論理の存在である。そもそも霊魂というのは形のないものである。嫌がる遺族から無理矢理に遺骨を奪って特定の墓に埋葬するという行為に理はないのは当然だが、それは遺骨は形として存在するものだからである。これに対して霊魂というのは、それを鎮魂する生きている人間の頭(心)の中に存在するものであって、神社という形態はそれを便宜上形に現わしたものに過ぎない。お前になんか心配されたくないという言い方はちょくちょくされるが、その「心配」をお前の頭からどけてどこか他のところへ移せ移すところを見せろ、とまで具体的に要求する人間がいたら正気を疑われるであろう。「人への思い」はどこかに特定の一つがあるわけではなく、生きている人間のそれぞれがもつものであって、どけるどけないという議論にはそもそもそぐわない。 戦死者の魂を神社という形でまつることの非合理さから出発しているように見えて、「戦死者の魂」は一人に一つしかなくそれが靖国神社に存在しているのだという、靖国神社すらもそのようなことは言っていない「前提」で議論されることに、実は「合祀拒否」論理の矛盾がある。靖国神社を否定するのであれば、靖国神社に戦死者の霊がまつられているという靖国崇敬者たちの言い分を否定し、その虚構性を笑い飛ばせばいいのにそれをせず、よそへ移せ、私達に返せと、「靖国神社内に戦死者の霊魂がある」という最も重要な前提だけは肯定されたままになっているところがあまりに奇妙だと思うのである。実際に神道にそういう方法はないものの、「A級戦犯」の霊や、遺族が合祀を希望しない一般戦死者の霊を分祀するという名目で、仮に靖国神社側がそれらしい儀式をおこなって「はい、分祀しました」と宣言した場合にこれで安心する人がいるということが私には信じられないのである。いったい神道を信じているのか、信じていないのか、さっぱりわけがわからない。「拝みたければ勝手に拝め」。そう突き放すことが靖国神社形骸化のためにもっとも強力な手段のはずなのだが、それができない。日本人のDNAに焼き付けられて容易に消すことのできない神道システムへの無意識の信頼感がその根底にあるのだとすれば、冒頭であしな氏がさも不当なものであるかのように述べる「神社神道は一般の宗教とは違う」という、神道肯定の論理はそれ自体は別に間違いでも何でもないということになる。 |
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