35009 返信 【メタ議論】烏龍茶理論のメカニズム URL tpkn 2005/05/11 13:31
烏龍茶タソ

> 「印象操作」の必要もありませんよ。

はいはい。必要のないことをするのがお好きな方でつね(w

以下、本題に関しては有効な反論が全くなかったので放置しますが、冒頭部分のやりとりは内容はくだらないものの、あなたの非論理的思考法があまりにも分かりやすい類型として示されていますので、メタ議論ではありますが、ちょっと詳しく解説しておきますね。ちなみに、これは以前石原慎太郎のTBS提訴問題を話しあったときにあなたに教えてさしあげたことと基本的には同じです。

> >>>> こういうのが【あなたの本気を出した議論】なら、こういう無駄口(あなたの「議論」とやらの事です)におつきあいするのはこれで最後といたします。
> >>> そりゃ助かります。面倒なことにつきあうことなく、思う存分あなたを批判できる。
> >> そうですか。ではあなた自身があなた自身の議論を【無駄口】と認めたことになるわけです。

私の書いているのは、「そりゃ助かります」ということだけであって、それは自分の発言に対するあなたの評価「無駄口」の妥当性とは全く関係ないわけです。私が「助かる」のは、直接的には「レスしない」というあなたの行動に対してであり、あなたの判断の妥当性は二次的要素でしかありません。たとえば、あなたのおっしゃるように本当に「無駄口」と認めていた場合、もちろん助かります。しかし、無駄口と認めておらず、単なる言いがかりと判断している場合も同様に助かるわけです。つまり、ここで「無駄口」と認めたかどうかは、「助かる」という結果になんら影響を及ぼさないわけですね。したがって「そりゃ助かります」という言葉から「自分の発言を無駄口と認めた」という結論は論理的にはどうやっても導かれません。あなたは相手が書いてもいないことを勝手に書いたと言ってるわけです。

対して、私の言っている

> >完全なる自己矛盾ですね。

というのは、「無駄口であればレスしない」と言った、あなた自身のが行った「無駄口」の規定に従ったものであり、あなたがレスを返しているという事実をもってして、それが「無駄口ではなかった」ということが証明されるわけです。この矛盾は私の希望や都合とは無関係に成立する純粋に論理的な帰結であり、私の恣意的な解釈の入り込む余地はありません。したがってそれが「イイワケ」になどなろうはずもなく、そこに「矛盾でなければ困るのだろう」などと返すこと自体が、新たな希望的解釈でしかない。また逆に、「tpknは認めたことになる」とか「認めた」とか書かれていることがあなたの希望的な解釈でしかない以上、「認めたことにしなければ困るのだろう」というのは、十分合理的な推測として成り立ちます。

次に、あなたはその「希望的解釈」を、今度はまるで客観的事実であるかのようにして反論の中で用いるわけです。

> > しかし「こういう無駄口におつきあいするのはこれで最後といたします」と書いたあなたがレスしているということは、あなたは私の議論を【無駄口】とは考えてない「ことになります」。
> 苦しいイイワケですね。おっしゃるように私はあなたの発言をまだ国際法の無知に基づく謬論であると見ているだけで「無駄口」とは見ていな「かった」わけです。しかし、それは
> 「こういう無駄口につきあうのは最後にする」に対して「そりゃあ助かる」と返したことで、「自分の発言を無駄口だとtpkn氏自身が認めた」事と無関係なのですね。

これがいわゆるマッチポンプですね。

あなたの議論は、基本的にはすべてこの方法で行われており、したがって詭弁なのです。そして、投稿が長いことは、その詭弁を書くためでしかないわけです。このような方法で議論を続ける限り、こちらが提示する客観的事実(上記でいえば「自己矛盾」のくだり)はあなたにとって事実ではなく、あなたの提示する「客観的事実」は実はあなたの希望的解釈でしかなく、議論はひたすら不毛なやりとりになります。なぜなら、どんな論理的反論もあなたの「希望」を反証することなどできないからです。つまり、すべての反論があらかじめ自動的に無効となるわけですね。ポエムやエッセイであれば別に構わないと思いますが、告天子さんがおっしゃるように「何が本当なのか」「何が正しいのか」ということを話し合う「議論」においては、これは致命的です。いくら「勉強」しても、無駄ですYO(w

このことについて芥屋さんも以下のような指摘をされていますね。

> 「私が見たことを述べる」のは全てあなたの主観ですが?(#34968)

烏龍茶さんの場合、常に主観と客観が混同されており、自分の主張や解釈は客観的事実そのものであるか、あるいはそれと大差ないと無根拠に考えているからこそ、「理解していない」「勉強不足」などという言葉でもって自分の正当性を主張するのであり、相手が同じ事象について別の解釈をしていることが信じられず、また許せないわけです。これは、すべてを情念にしたがって考える典型的なBusayo Mentalityであります。上にリンクした石原慎太郎の件でも全く同様で、あなたはその議論での私の意見に「納得したわけでは」ないそうですが、今にいたっても同じ方法を繰り返しているのを見れば、いちいちそんな宣言などせずとも自明であります。「納得」どころか、まったく理解していなかった、ってことでしょう(笑)。

あなたが主観と客観を混同しているのがよくわかる典型的な部分をもうひとつ挙げておきましょう。

> >>  【仮説A】tpkn氏は議論の流れが結局理解できないので、「法の運用」が何を指す
> >>       のかがついに理解できなかった。
> >>  【仮説B】tpkn氏は議論の流れは理解できたが、相手を言い負かすことが動機で
> >>       発言しているので、法の運用という言葉で揚げ足取りが出来ると早合点した
> > というか、「以上」、つまりあなたの書いてきたことから導かれるのは、「仮説A」だけではないですか
> 1 では仮説1は事実であると認めるわけですね。

藁。言うまでもなく、私が認めた「事実」とは、「烏龍茶の発言それ自体によって仮説Aが導かれること」であり、仮説Aの真偽(事実か否か)ではありません。こうした誤解および誤読の連続は、要するに烏龍茶さんがメタな視点に立つことができないということを示しているのであり、そのために主客を外側から眺めることがなく、自らの依拠した「正当性」に安住することができてしまうわけです。こんな人が仮になんらかの権力をもったら、大変なことになりますね。取り調べでもされたら、それこそどんな犯罪でも捏造し放題でしょう。

まあこうした硬直的な考えは「社会主義への発展は歴史的必然」だとか「革命の無謬性」だとか言ってきた左翼の悪弊をそのまま現代に持ち越すものであって、容易に全体主義に結びつくものでもあり、個人の権利や主体性を重んじるリベラルの立場からはとうてい許容することなどできないのですね。これは思想や正義の強制であり、烏龍茶さんの場合、それを詭弁という方法を使って行うところが、全体主義国家の秘密警察みたいな感じでどうしようもなく、したがって御説に説得力が全くないということです。ただし、これはウヨサヨの問題ではなく、同時に「天皇を拝まないということは、あなたは非国民ということになる」といったような国家主義、国粋主義の主張と全く同様の論理構造であり、裏返しでもあります。これは、当初から告天子さんや芥屋さんが指摘していたことです。

で、本筋の議論については告天子さんが論点を簡潔にまとめてくださっているのでそちらにおまかせするとして、あなたの前回のレスに関しては、以下の部分であいかわらず具体的な返答を避けていることを指摘するにとどめておきます。

> > ドリトル隊に対する日本軍の裁きは、国際的に見て正当な法の執行でしたか?
> > なんでこんなことに真っ正面から答えることができないんでしょう?
> すでに答えていることを繰り返し尋ねるのは無意味だとしています。【本気を出して】【目を皿のようにして】も見えなかったような方に、教えて差し上げる義務も義理もございません。

> >「法の運用でない判決」など、この世に存在するのでしょうか?
> 論点と無関係ですし、何が正当であるのかもまるっきりわかっていない(のか、自分の失敗を必死に誤魔化そうとする苦しいイイワケなのか)事が、またも明らかになるわけです。

つーことで、ガムバってくださいね(藁