| 35033 | 返信 | Re:八木沢投稿者の無意味な戯言。 | URL | ピッポ | 2005/05/12 17:44 | |
| tpkn君 また例によって、詭弁の罠に落とし込んだ議論かね。 しかも、えらそうに他人様を、ブサヨってクソウヨとかいい。 そういうキミをペテンという。 靖国神社は、いまや過去の国家神道を離れた一民間神道宗派なり。 だから、誰がそこで祀られたいか、誰をそこで祀りたいか、 信徒あるいは宗派の範囲内での自由意志に、公権力は介入できない。 と同時に、信徒以外の人間の内心を拘束する恐れのある宗教行事を 信徒、宗派はしてはならない。 それが守られないとき、信教の自由を確保するためにも、公権力は介入すべきである。 一方、公権力は、 そうした信教の自由を守るためにも、 公権力の名で、誰を祀るかを決めることも、 公権力の名で、参拝することもできぬ。 むろん当然のこととして、 靖国神社の信徒になるかならぬは、本人の意思であり、 祀るか祀られぬは、本人または遺族以外に決められぬ。 たとえ善意からといっても、本人や遺族の意思を無視して、 一宗教宗派の施設に過ぎない靖国神社に祀ることは、 信教の自由を侵害することである。 憲法違反である。 厚生省援護局の公的名簿をもとに勝手に「祀って」きた憲法違反が 積もり積もって今日に至る。 政府は今、 「信教の自由があるからA級戦犯の合祀をせよともやめろともいえない」という。 公権力が介入できないという。 だったら、 公権力の代表者=総理大臣が参拝することも、立派な公権力の介入であるから、 できないのである。 「国事である戦争に軍人として参加して犠牲になった人をなぐさめる」 そうした行為は為政者として必要である。 現憲法下では、無宗教の国立慰霊施設で、僧侶、神主のいない行事を行うべきである。 特定の宗教をもって祀りたいのなら、信教の自由を止めて憲法に「国教」を定める以外にない。 その上で、靖国神社信徒は、信徒として自由に参拝すればいい。 もしもそのとき、自分のじっこんの非信徒も併せて慰霊したければ、人知れずの名を唱えればよい。公にせずに「内心にとどめた祀り」までとどめることはできない。 しかし、差し出まがしくも本人や遺族の意思を無視して、「御霊」として書きとめたり、公言することは、僭越、越権でしかない。 そもそも厚生省の名簿を勝手にあずかり、合祀のあと事後通告すればよいと越権行為を続けている靖国神社神官こそ、信教の自由、内心の自由を踏みにじる著しい侮辱行為の張本人である。 靖国神社も靖国信徒も、「国家」「軍隊」の衣を棄てて、ソウリデージンなどという下らぬものがやってこなくても成り立つ、地道な宗教として自律したらどうかね。 トップ神官が、南部の「殿様」で電通の部長だった、という超俗人だから、とても無理かな。 彼らの主張は、「国立戒壇」を叫んでいた某宗教団体と同じ構造の、ミリタリー版に過ぎないし。 |
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