35055 | 返信 | 怨念や怨霊や「祟り」信仰について | URL | 工藤猛 | 2005/05/13 11:47 | |
【祟る】という概念は世界宗教であるキリスト教にもある。 【祝福】される、誰から、カミから。反対信念として神(絶対神)に 祝福されない状態を前提にしている。あの世の地獄【概念】はどのようにして 人類の幸福に有用だとして芽生え定着したのだろうか。 その人本人は日常の世間で期待されている以上の善行を裏表なくしていたのに 理不尽に【悪行】の犠牲となり悲嘆のうちに死んでいった多くの人々がいた。 悪が栄え善が見殺しにされるような日常生活に普通の人々が耐えられるだろうか。 悪に使えてまで生き延びようとまで、多くの善良な人々は堕落しなかった。 悪に日常生活で屈服して安易に連れ込まれないために 【地獄】や【祟り】を長い年月をかけて人々は世間に普及したのだと思う。 5000年かけたのだろうか、3万年かけたのだろうか。よくわからん。 庶民の暮らしやすい世の中の秩序に役立ったのが「祟り」信仰なんだろうな。 むごく不合理な死を遂げた人の思いは怨念として【悪行の大元が正されるまで】 この世で漂流するという【共同幻想;合意】がなされたんだろうな。 だから手厚く葬ったんだろうな。特に強力な怨霊になるだろう人物には 「神社、仏閣」まで建立したんだろうな。それほど死後にも影響力のある 人がいたんだろうな。記憶に残る人だったのだろう。 人の忘れることの出来ない記憶が魂の実態だと思う。そういう意味で死後にも魂は 実在する。人間が存在したことを語り伝える限り。伝承する人が消滅すると 魂も見えなくなる。再発見の時を待つことになる。 靖国は鎮魂の場でもある。 死者が死後にまで生きている生身の人間に影響力を与える仕組みを保存している 場でもある。場の磁力は時空を超えて現代によみがえる。 日本列島の平安を脅かすものども(国内、海外)にとっては うっとうしい存在と思えるだろうな。死者の思いが死後も存続するのならば 生きている人間は、その思いとどうやって折り合いをつけるのだろうか。 死者の思いを知っている人のいる限り魂消滅しない。思いは残る。 ユダヤ人が現代ドイツに巨大な記念碑を建立した。 なぜロマ人は巨大な碑をドイツに作らないのだろうか。 ウクライナ人はバルト諸国民はロシア人は作らないのだろうか。 一部の政治的なユダヤ人より傲慢でないからだろうな。 平和を望んでいるからだろうな。おだやかで優しい民族なんだろうな。 あつかましい振る舞いが理不尽に続くと「こわもて」はするだろうが 他の民族からは嫌われてゆくと思うよ。特権は腐敗する。 ユダヤ人だけが戦争の被害者ではない。 傲慢の象徴がドイツの首都に建立された「我」の記念碑だ。 よく恥ずかしくなくて自民族の被害だけを声高に叫んで ドイツから賠償金を「無限」にふんだくれるもんだ。 支払い可能額を諸国民で分けようという発想をしないもんだ。 一部ユダヤの特権か。そんなに祟ってどうするんだろうか。 ネオナチをふやすだけだろうに。適当なところでおさめればいいものを。 【祟り】が不合理になると庶民からの共感はなくなり なんなる禍に転化してゆく。 神道は何者でも受け入れる。だからあらゆるものを拒否する【絶対概念】でもある。 【あるものはある】を実感しない限り神社の役割はわからないだろうな。 神道はリベラルでありかつ全体主義である。汎神論は絶対神をも包摂するので キリスト教徒にもたぶんイスラム教徒にもヒンズー教徒にも【無神論の共産主義】 よりは理解しやすいだろう。より以上に憎まれる場合もありそうだ。 共産主義が滅びても無神論は滅びないと思う。廃れないと思う。 日本国ではむしん論者といえども【祟り】信仰に知らず知らずの上で 影響されているだろう。欧米のむしん論者はキリスト教の磁場の中にある。 祝福の裏返しがたたりではない。たたりのない状況が本来当たり前なのだ。 健康で生き生きして労働に励み子育てする生活が本来なのだ。 人間に原罪はない。健康で生活を喜べる人間生活を素直に賛美するのが 神社の文字にかかれない【教義】だ。収穫が出来たらみんなで喜び歌い舞う というのが神道の教えだ。穢れをはらう儀式はつけたりだ。 健康な生き生きした肉体が自然とともにあることが理想だ。 そこに罰はない。人間肯定があるだけだ。神道の神は人間に罰を与えない。 人間に罪をおしつけない。神も人間も同じに働き喜び嫉妬する存在である。 神も人間も自然も生まれたものだ。生まれたもの同士に葛藤はない。 ともに生きる自然の営みがあるだけだ。神も人間も自然も同格だ。 三者とも折り合いをつけて我を張らないで健康にすくすく生きてゆくほかない。 その民族の生活伝統に裏打ちされた独特の宗教心、習俗はその民族独特のものである 他民族には分からないだろうと思っていて間違いない。 現代に欧米人に「祟り」なんという観念を理解してもらうことは困難だ。 それこそ祟ってやりたくなっちまうさ。 ユダヤ人の怨念は永遠なりと断言するドイツ在住の梶村さんには理解できるか。 論理構造的には理解できるはずだ。【祟り】は怖いよな。きわばらくわばら。 |
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