35056 | 返信 | Re:tpnk投稿者の無意味な戯言。 | URL | tpkn | 2005/05/13 11:55 | |
inti-solさん > 私にとって重要でないテーマについての議論に時間をとられるのは、正直面倒くさい。ですから、政教分離問題がこの議論の最重要論点だ、というなら、私は議論から撤退します。 最重要論点だと思いますよ。 > ○○に賛成、反対というのはすべて「私事」です。 そうなのですか? だとしたら、あなたの「賛成・反対」というのはとくに社会的な一般性を目指したものではなく、単なる好き嫌いについて言っているとしか解釈できませんけど…。というか、そもそも誰かが何かをすることについて「反対」を表明するのは、「私事」ではありませんよ。 > 靖国神社自身の公式サイト > http://www.yasukuni.or.jp/siryou/siryou3.html > などを見る限り、戦前と変わらぬイデオロギーを保持しつづけているようです。 えーとですね。「戦前」といっても、長いわけですよ。「戦前と変わらぬ」ものでも、いいものもあれば悪いものもあるでしょう? で、あなたは《「戦争を賛美し推進し、兵士たちに「喜んで死ね」と強制するための機関のひとつとして存在した》当時と同じイデオロギーを保持しつづけていると書いているわけですが、上記の公式サイトの文言のどれがそのイデオロギーにあたるのですか? > > 政教分離以外の問題があるとしたら、いったいなんなのでしょう? > > 日本人300万人、交戦国も含めれば2000万人と言われる犠牲者を出した無謀な戦争の旗振り役となった組織を優遇することに問題があると私は考えます。 水原さんも書いてますが、参拝することがなぜ「優遇」となるのでしょう? > > 首相に対するイデオロギーの強制ですか? > > 「参拝に反対」という意見を表明することが、どうして「イデオロギーの強制」になると?首相に対して無理矢理参拝をやめさせれば強制というのは分かりますが。 んーと、この論法から抜け出せませんねえ…。「参拝に反対」というのは、「参拝するな」という意味ではないのでしょうか? その理由があなたのイデオロギーに基づくものであれば、それはイデオロギーの強制でしょう? > > あなたの言っていることは、良い宗教と悪い宗教を政治によって決めるべきだということであり、 > > そうかもしれません。しかし、たとえばオウム真理教(アレフ)の宗教施設に一国の指導者が参拝に訪れることなどあり得ますか?法的な意味では、もちろんオウムといえども信教の自由はある。訪れたって違法ではないし、違法とされるべきではない。だけど、政治的な意味での是非はまったく別です。 はい、ですからそれは政教分離問題ではないのですか? > > 十字軍や植民地主義を支えたカトリック教会に行くことは、「きわめて問題」ではないのですか? > > カトリックは、十字軍や植民地主義の非を公式に認めて謝罪していますし、それより遙か以前から十字軍や植民地主義のままの体質ではなくなっています。 それをあなたが判断できるのでしょうか? いったいどういった権威によって、今のカトリックはなかなかよいとか、そういうことが言えるのかさっぱりわかりません(笑)。イスラム諸国にはあなたのような考え方に反対の人はたくさんいると思いますよ。そのとき、いったいどういう原理原則によって、「カトリックはOK」を主張するのでしょうか。結局のところ、あなたの個人的な好き嫌いの問題でしかないのでは? > > ですから、国立の無宗教の慰霊施設があったとして、靖国神社の代替にはならないわけですね。 > > そして、靖国神社もまた、非神道信者にとっては慰霊の役には立たない、ということです。 であれば、その「非神道信者」が参拝にいかなければいいというだけの話ではないのですか? > > 平和団体の人が靖国に行けば、そこも政治的に中立になるんじゃないですか?(笑) > > もし行けばね。でも、行かない。 なぜですか? あなたのイデオロギーが邪魔してるんでしょう? > > 慰霊はすべて宗教的な行為だと思いますけど。 > > そのとおりです。宗教的です。しかし、特定の宗派に基づく宗教行為ではありません。強いて言えば、参列者のそれぞれが、自分自身の信仰にあわせるだけです。 だったら、いったい靖国神社の何を問題にしているのかわからないのですが。 ▼ピッポさん > 頓服クンは、私があなたに差し上げたい愛称です。悪意はないので受け取ってください。 あのー…。それは2年前以上前から広く使われている愛称ですが?(爆笑) なんか気の利いたことでも言ったと思っちゃいましたか? で、相変わらず20年前の馬鹿学生と同じことを言っているようですが…。 > 靖国神社と国家とのインネンを、tpkn君は自明のこととしていて、触れないやり方のようだな。ジミン党政治家と同じ振る舞い珍しくもないが。 国家とのインネンのある宗教などいくらでもありますよ。キリスト教、仏教、イスラム教といったメジャー宗教はみなそうです。何も神道や靖国だけに特別な事情ではないでしょう。 > > 別に靖国に代わるものじゃないですから、相変わらず靖国問題はそのままですよ。 > > 靖国に代わるものをもとめてる? ってか? > 問題をそこにずらし、そこに極限しているのか? > そうすれば「神社側の拒否」に合うのは必然なのに、そういう戯曲なのかな? > 奇妙な土俵の上の議論に、引きずり込むというわけだ。 意味がわからないのですが、もう少しまともな日本語でお願いします。なんですか「極限してる」とか「そういう戯曲」って?(笑) 「靖国に代わるもの」の話を始めたのはあなた自身ですから、それが「奇妙な土俵」だとすれば、あなた自身がやったことでしょう? 感情的になっていいかげんな責任転嫁をすることはやめてください。 > >それに、慰霊するのに宗教「的」行為でなければならない、なんて、それこそ他人が強制すべきことじゃないでしょうに…。 > > ワシが何を強制した? 「宗教ではなく宗教的でなければならない」と、慰霊のあり方を強制しましたね。 > ワシは、他人に自分の宗教を押し付けなければ何をしてもイイ、といっているのだぞ。 > それをキミは、 > 「何をしてもイイ」を押してつけている、という。 > どうやらワシは > 「強制せぬことを強制する全体主義者」らしい(笑い) > > フレーフレー詭弁屋! ガンバレガンバレ頓服! 馬鹿ですか? あなたは「何をしてもイイ」とは言っていない。そう言っているつもりかもしれないが、実際にはあれするなこれするなばかりでしょう? そもそも、私が#35034でお尋ねした > いったいどれが「信徒以外の人間の内心を拘束するおそれのある宗教行事」ですか? という質問に答えられもしないくせに、何を言ってるんでしょうか?(w > > > > 犬死させられたジイサマを勝手に「軍神」とまつる靖国神社には、 > > > ワシ個人としてはヘドがでるのみ。 > > > > それもいいでしょう。しかしそれはあなたの個人的な問題であって、「ワシ個人としてはヘドがでる」から合祀をやめろとか、他人に向かって参拝をやめろなんて傲慢なことを言うべきではないですね。 > > 他人に向かって参拝をやめろなんて、ワシは一言もいっていないゾ。 > 「ワシ個人としてはヘドがでる」から合祀をやめろとか、もいっていない。 > アンフェアな捻じ曲げだ。 疲れるのう…。あなたはそう言ってますよ。 ■合祀をやめろ: > 祀るか祀られぬは、本人または遺族以外に決められぬ > たとえ善意からといっても、本人や遺族の意思を無視して、 > 一宗教宗派の施設に過ぎない靖国神社に祀ることは、 > 信教の自由を侵害することである。 > 憲法違反である。 > 厚生省援護局の公的名簿をもとに勝手に「祀って」きた憲法違反 > 本人や遺族の意思を無視して、「御霊」として書きとめたり、公言することは、僭越、越権でしかない。 これらについていったい何がどう「憲法違反」なのか論証もせずに「ヘドがでる」とか言ってるわけですから、それが理由としか言いようがないでしょう。あなたは個人的な好き嫌いの問題をの隠れ蓑に「憲法」を持ち出しているだけです。 ■参拝をやめろ > 公権力の代表者=総理大臣が参拝することも、立派な公権力の介入であるから、 できないのである。 > アッパレ! すりかえ名人、頓服クン。 > > ワシは > 遺族が「ヘドがでる」といって拒否、裁判まで起こしている「強制」合祀をやめろ、といっているのだ。 同じじゃないですか(笑)。どこが「すりかえ」なんですか? 合祀をやめろという主張は、靖国神社の信教の自由を侵害するものでしかありませんよ。 > ミリタリズムの放送局として、総理大臣の肩書きまで使って個人の内心に踏み込むことは、 > 思想信条の自由、信教の自由かね? > 思想信条の自由、信教の自由とは、「踏み込まれない」ことを保障するということだぞ。 > なあなあ、詭弁屋クン。 ですから、「ミリタリズムの放送局」なんてのは、頭の悪いピッポさんが必死で考えた陳腐な形容にすぎないでしょう? なんでそんな妄想を自明の前提として議論しようとするのです? こういうのを「詭弁」と言うのです。 いったい靖国神社が、どんな「ミリタリズムの放送」をしたのか、そしていつ靖国神社が「総理大臣の肩書きまで使っ」たのか、どの行為が、「個人の内心に踏み込む」ことになるのか、あなたはただのひとつも例示していないでしょう? ステレオタイプな靖国反対の政治的言説でしかない。あなたのような頭の悪い運動屋ごときが、宗教について語ろうとすることそれ自体が僭越です。 > > 馬鹿も休み休み言ってください。靖国ときいただけで虫酸がはしる人間をなぜ「尊重」せよなどと言えるのか。逆でしょう。「個人的には虫酸がはしるが、自分は靖国神社を尊重する」というのが、信教の自由を認める態度でしょうが。もうまったくもって独善、僭越、傲慢…どうしようもないですね(笑)。 > > おいおい、キミのいっていることこそ全体主義ではないかね。 > 「個人的には虫酸がはしるが、自分は靖国神社を尊重する」をワシに求めるのかね。 > そうして、 > 「靖国ときいただけで虫酸がはしる人間をなぜ「尊重」せよなどと言えるのか。」 > だってサ。 あなた、憲法に記された信教の自由の意味をまったくわかってませんね。虫酸が走るということを理由に、あなたは靖国に対してあれをするなこれをするなと言う。あなたの言う「尊重」とは、そういうことでしょう? 虫酸がはしる人間の言いなりになることは「尊重」ではありませんよ。 > 靖国ときいただけで虫酸がはしる人間の、存在自体をキミは認めないらしいね。 > ワシはきっとキミの詭弁という刃にかかって(笑)、 > 出口王仁三郎の運命を、「無信仰者」としてたどるのだろうな。 逆でしょう。inti-solさんの言ってることもあなたの言ってることも、かつての大本教弾圧の論理と全く同じですよ。 > いじょう、 > 靖国神社の「国家宗教機関」としての性格を、キミは見事に擁護している、 > ということがわかった。 > > 「靖国神社を許容するものにだけ、尊重するものにだけ、その信教の自由は保障してやる」 > 戦時中に宗教弾圧した思想とおなじだな。 馬鹿丸出しですね。私が言っているのは、「信教の自由を言うなら靖国をも尊重すべきである」でしょうが。すりかえと詭弁はいったいどっちなんだ…。 > いいか、信教の自由とは、 > 国家権力から独立した宗教を信じて宗教的行為を行うことを、国家権力が保証することなんだ。 > その中には、宗教を信じないことの自由も含まれる。 > > ワシが、靖国神社ときいてヘドが出ることも自由なのだ。 > 靖国教の信者が、「皆で参拝しましょう」と布教に励むことも自由なのだ。 その通りです。宗教を信じない自由はあるし、ヘドがでることもまた自由です。しかし、その自由を「尊重せよ」と称して、特定の宗教のあり方に文句をつけはじめたら、それはあなたの自由の範囲を逸脱しているわけです。運動屋のガキオヤヂには、そこんところがいつまでたってもわからないようですね。 > 私と靖国神社はあくまでも別個の存在だ。 > 靖国が私を侵さない限り、埒外である。 > それが信教の自由というものだ。 > > しかし、勝手に他人の魂を盗んで「神として祀る」ことは断じて許されない。 > しかし、国家機関の代表者の参拝による布教活動は断じて許さない。 > しかし、他人の信教の自由を阻害するような「国家教」標榜はゆるされない。 これは全部あなたの妄想でしょう。あなたは、有してもいない権利を有していると勘違いしているだけですね。 まず、日本の伝統的な宗教においては、「他人の魂」などという概念はありません。あなたは、神社に対して、彼らの信心にはない「他人の魂」なる概念を受け入れよと主張している。そして、「神として祀る」ことは許されないなどという、驚くべき暴言を吐く。 また、国家機関の代表者が参拝することは、政教分離の問題ではあっても、「布教活動」ではないし、そもそも「布教活動は許さない」などと堂々と主張する「信教の自由」などありますかいな(爆笑) したがって、これらのことによってあなたの信教の自由はまったく阻害されていません。また「国家教」を標榜している人もおりません(そう主張する勢力はいますが、それは靖国本体ではありません)。 > > だったらそんなこと提案しなければよいでしょう。それに上でも書いたように、この板では私も他の右翼の人も、そんな政策にははっきりと「反対」と言ってますよ。 > > 総理大臣の参拝は、国家としての儀式だろうが。 > 「国家の代表の参拝」を求める声に応えているのだから。 > 総理大臣の参拝にはっきりと「反対」と言っているなら、謝罪しよう。 私がはっきりと反対と言ってるのは、「参拝の国事行為化」です。総理大臣の公務に靖国参拝が組み込まれれば、参拝したくない人は総理大臣にはなれないことになる。これは政教分離原則に反します(というような話は、芥屋さんの投稿で説明されてましたね)。対して、現在の参拝は、本人が決定して行っているものですから、国家としての儀式になどなるわけないでしょう。あなた、本当に細かいことを厳密に考えることができないのですね。 それから、首相への「国家の代表の参拝を求める声」ってのは、あなたの《国事である戦争に軍人として参加して犠牲になった人をなぐさめる」そうした行為は為政者として必要である》という意見からすればなんら否定されるべきことではないはずです。そうした声が靖国への参拝を求めたとき、あなたはいったいどのような理屈で「靖国はダメだ」などと言えるのでしょう? > ここにもキミのそれこそ全体主義的?!詭弁が潜んでいるね。 > いいか、いろいろな神を自分の基準で勝手にランクづけするのは、自由。 > だれもがやっている。決して不遜なことでもない。 > 西洋的宗教に限ったことでもない。 > 日本人は昔から、「今年はどこへ御まいりに行こうか?」 > 神さん仏さんをしっかりランク付けしてきた。それが庶民というものだ。 > 個人が選択して信仰を選んでいるではないか。 個人が選択して信仰を選ぶのは、「自分の基準で自分の神をランクづけする」ことです。あなたは他人が拝んでる神様を横から見て、「張りぼてイデオロギーの神」などと罵倒しているだけです。「尊重」とはまったくほど遠い態度ですね。ムスリムでさえ、キリストをそんなふうには言いませんよ(預言者の一人として、尊重されています)。 なにが「庶民」か。「庶民」といえばなんでも許されると思っている、典型的なイデオロギーの犬ではないか。 > 私の靖国評価も自由。こころが通じる人に「軍神」神社には近づくな、と忠告するのも自由。 > > そうではないかな。それぞれの人の内心としての、あるいは生活としての信仰に配慮しつつ、 > 評価、批判することは自由だし、大事なことだ。 馬鹿丸出しですね。上で論証した通り、あなたはあなたの「自由」の名の下に、他者を抑圧しているわけです。まあアメリカが「自由」の名の下にイラクやアフガニスタンを蹂躙しているのとよく似ていますわ。どちらも、「自由」というのが自分にとっての自由でしかないことが理解できない視野狭窄が招くものでしょう。 > それが、布教であり、時には宗教戦争の様となるかもしれない。しかし、いまここでキミと議論しているのは、一般論としての「宗教戦争」のことではない。「国家」と結びついた「特殊営業宗教」のことである。 それはあなたが勝手にレッテル貼りしているだけのことであって、それを言うのであれば、まず靖国が国家との関係においてほかとどう違っているのか、そして仮に違っていたとして、それを「特殊」な宗教として別扱いすることが、はたして信教の自由という観点から許されることなのかどうなのか、そういうことから話し合わなければいけないに決まってるでしょう? あなた、こちらがそういうことを問いかけても全部スルーではないか。それこそ一方的な信仰告白などされても、「はいはい、どうぞ御勝手に」と言うしかない。 「自分が話しているのは、宗教戦争の話ではない」などという規定そのものが、間違っていると指摘してるわけです。あなたの非寛容は、一般の宗教戦争が起こる際の非寛容と全く同じであり、もちろん、靖国をはじめとした日本の宗教風土が持つ寛容性とは真っ向から対立するものです。 > 国家との靭帯を骨子とする靖国神社は、果たして「信教の自由」の対象たりうるか? > 国家との靭帯を理由に背教の民の存在を認めない靖国神社は、果たして「信教の自由」の擁護者なりや。阻害物なりや。 > 靖国神社は、それらの議論を解消するために、「宗教を超えるもの」を主張してやいないか。 そういう話をしていたところに、陳腐で教条的で紋切り型の靖国反対イデオロギーで横レスしてきて、議論を一気に後退させたのがあなたなのです。少しぐらい議論の流れを読んでから参入しなさいな。みっともない。 > 私がおとなしくせよ、というのは、 > 「靖国神社もフツーの任意民間神社」になりなされ、ということだ。 > そうすれば、私の「他者尊敬」の対象となりうる。 別に、あなたの「他者尊敬の対象」となりうるかどうかなど、日本の国民にとってはどうでもいいわけです(笑)。 問題は、あなたが他者の信仰をどの程度まで許容するかということでしかない。そのために、自分ではなく他人に変われと言うところが、もう全くもって信教の自由と相反する態度なわけです。 独善、ですね。ああ、虫酸が走るわい(w |
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