35060 返信 墓穴の中の詭弁 URL 五番街 2005/05/13 13:26
ホント、アナタの#35015を読ませられると、いかに自分の妄想や想念あるいは観念が現実をいかに押し隠すかという実例を見させられる気がする。


・国際法と国内法の関係について、私が「完全に無視している」とのことだが、この件について私はとっくに具体的に発言している。(八木沢さん)


私はそんなことは言っていない。自分勝手にねじ曲げるなよ。私が言ったのは、日本の最高法規である憲法の罪刑法定主義の規定を持ち出してきて、国際法に罪刑法定主義が適用される証拠とするのは、詭弁に過ぎないということだ。日本国憲法は、日本の国内法の上位規範であるが、それが国際法にも適用されるというのはまやかしの論理でしかない。日本国憲法は、日本では有効だが、国際社会とは何の関係もない。こんな、まやかしの論理を持ち出してくるのは、妄想によって国際法と国内法を同一視しているからだ。ちがうか。

だいたい、烏龍茶さんとのアナタの議論でも、アナタは国際慣習法について言及しながら、次のようなデタラメを書きなぐっている。

・19世紀までの国際法が慣習法に依存していたのは、まさにこの「国内法と国際法が異なる法体系をなしている」という通説と不可分の関係にあったわけだ。(八木沢さん)


アナタは、まるで国際慣習法が19世紀の遺物であり、20世紀にはそれが存在しなくなったかのようなイメージを与えているが、これは全くのつくりバナシだ。

告天子さんの議論でも取り上げられた日本の空襲軍律のベースとなった「空戦に関する規則」は、日本が批准していないにもかかわらず国際法として用いることが可能であったのは、この規則が国際社会の慣習法として定着し、したがって、未批准の日本も米国兵に対してこの法の遵守を強制し、違反者を処罰できるという考え方にもとづくものだ。

このように、国際慣習法は20世紀になってもきわめて重要な役割を果たしている。そのことを認識すれば、慣習法の禁止を派生原則の一つとする罪刑法定主義からすれば、国際法はきわめて異質な法であり、さらに、罪刑法定主義を原則とする国内法と国際法は異なる法体系であるということができる。

ついでに言えば、1998年の国際刑事裁判所規程でも、その前文に【国際犯罪について責任ある人に対する刑事裁判権を行使することがすべての国家の責務であることを想起し、(Recalling that it is the duty of every State to exercise its criminal jurisdiction over those responsible for international crimes,)】という文言があるが、国際法に違反した犯罪人を処罰することが各国に課せられる責務であることを規定する国際成文法は存在しない。この国際犯罪人の処罰は、19世紀以来、今日まで慣習法として定着している。このことも、国際法には罪刑法定主義の原則が適用されないことを示している。

さらに蛇足ながら、国際法の入門書では、慣習法は成文法とならぶ国際法の構成要素の一つと指摘されており、これは19世紀のハナシではなく、今日における国際法の特徴を示すものだ。アナタは、国際法の入門書さえも読んだことがないのか。


・しかし、東京裁判のように被告を裁き極刑すら執行するという強力な権力の前提となる場合には、19世紀型の国際法観ではとても立ち行かない。何度も申し上げるように、東京・ニュルンベルク両裁判のような戦勝国による国際裁判はこのときに初めて実施されたのであり、「慣習法によって行われた」という主張自体が誤りなのだ(八木沢さん)


なんのこっちゃ、これは。自分勝手な国際法観を東京裁判になすりつけるようなマネは止めてくれ。東京裁判とニュルンベルグ裁判が以前の国際裁判と異なるのは、それが大規模なものであるという事以外にはない。構造としては、以前の戦争犯罪人の裁判と同一だ。前述したように、日本が無差別爆撃を行った米国の爆撃機の搭乗員を裁判にかけ、処罰することが可能であったのは、国際刑事裁判所規程の前文にあるように、各国が国際犯罪人を処罰することが国際慣習法であったからだ。この原理が大規模な東京裁判にも適用されているにすぎない。東京裁判が国際慣習法によって行われた、という見方は正しい。

さらに、各国が国際法違反者を裁判にかけ、処罰するためには、いわずもがなの前提として、その者を捕獲しなければならない。そのためには、爆撃機を墜落させるなどの行為が必要であった。同様に、連合国が日本のA級戦犯を裁判にかけるためには、彼らを捕獲することが前提になり、その捕獲のためには、日本を敗北させることが必要であったにすぎない。

一般的には、ポツダム宣言の戦争犯罪人の処罰規定が東京裁判の法的根拠と言われているが、厳密には正しくない。連合国は、その規定がない場合においても、国際慣習法によって日本の戦争犯罪人を裁くことが可能であった。この規定は、国際慣習法を明文表示したものにすぎない。


・裁判は明文化された法によって行なわれなければならないわけだから、仮に慣習法によって行なわれたのであればその時点で不当、どっちにころんでも不当な「裁判」なのである。(八木沢さん)



以上のように、アナタのこの主張は、デタラメだ。厳密には、【裁判は明文化された法によって行なわれなければならない】という意味が曖昧であるが、戦争犯罪人を処罰する裁判の法的根拠は国際慣習法に求められ、また、日本の空襲裁判のように、国際慣習法違反者を裁判によって処罰することが承認されていたのだから、アナタの文章が曖昧であるにしても、妄想を語っていることには違いはない。


>アナタの当初の主張は、まとめて言えば、「罪刑法定主義は、1989年のハーグ条約陸戦法規などの戦争法に適用されないという五番街の主張は間違っている」ってことだ。そこでアナタは、自説の証明として、1948年の世界人権宣言第11条2項を引用した。ところが、アナタが論証しなければならなかったのは、1. この宣言第11条2項が、以前の戦争法に適用されること、さらに、2. この条項によって、国際法に罪刑法定主義の原則が適用される、という2つの点だ。しかし、1.の問題は全く論証されず、シッポを巻いて逃亡したままだ。2.の問題についても同様に、何の論証もないが、論証したという気になっているらしいことが、アナタのアタマの程度を示している。

・五番街君が「八木沢の当初の主張」とやらをまとめているが、私がいつこんなことを主張したと言うのか。私が主張したのは、東京裁判は罪刑法定主義に基づく裁判ではないから不当であるということ、国際法には罪刑法定主義は適用されないという見解に対してそれは違うということ、この二点である。「ハーグ」などという単語すら一度も使用したことがないのに上記のような要約はありえないし、よって1の問題も2の問題も存在しない。(八木沢さん)


よく言うよ、全く。自分が何を言っているのか分かってないじゃないか。アナタ自身が【国際法には罪刑法定主義は適用されないという見解に対してそれは違うということ】を言明しているが、これは、【「罪刑法定主義は、1989年のハーグ条約陸戦法規などの戦争法に適用されないという五番街の主張は間違っている」】ということと同じじゃないか。

アナタのアタマの中では、ハーグ陸戦法規などの戦争法は、国際法ではないと考えている、という滑稽さは、国際慣習法が20世紀になって存在しなくなったという妄想と相似している。さらに、【東京裁判は罪刑法定主義に基づく裁判ではないから不当である】というアナタの主張も、同様にキテレツなものだ。しかも、この主張は、【少なくともこの50年、国際法には罪刑法定主義が適用されるという考え方で世界は動いている」】というアナタが何回も繰り返している主張と矛盾している。東京裁判も、その管轄法規も50年まえのものだからな。


・多くの公的機関が世界人権宣言第11条2項に「罪刑法定主義」の見出しをつけているから確認せよと前回教えてやったはずだが、今回そのことに対する回答が一言もないのはなぜだ。(八木沢さん)


簡単なことだよ。公的機関(国内各自治体の人権センターなど)が間違っているからだ。ヒントを教えてあげよう。1979年に発効した国際的武力紛争の犠牲者の保護に関する追加議定書(第一議定書)を読んでみろよ。アナタのアタマの程度では理解するのが難しいと思うが、がんばってくれ。