| 35069 | 返信 | 靖国イデオロギーの本質 | URL | あしな | 2005/05/13 23:34 | |
| 「靖国問題」高橋哲哉 筑摩新書 2005年 に拠れば、 靖国の祭祀の目的は戦死者を追悼する事にあるのではなく、戦死者を顕彰することにある。 以下同書58〜59頁 1934年に葦津耕次郎は、それまでの靖国神社の祭礼が「英霊に感謝しその勲功を賛美」する面に集中し、国民感情の中の「地獄の苦を受けて殉国の霊となった」ことへの「悲痛同情」の面に対して「死んでも死にきれない」「魂を慰め安堵」させるために「仏教の回向、又は供養」を行う必要があるとし、神官と僧侶からなる「靖国会」をつくることを提唱した。 それに対して当時の靖国神社宮司・賀茂桃樹は、戦死した兵士は「陛下の万歳を叫んで」死んだのであり、「国家の大生命に合一した大安心、大歓喜」を抱いている。そのうえ「勅裁」つまり天皇の裁可によって靖国神社の祭神となったのだから兵士の霊も遺族も「臣子たるものの最高至上の名誉として感泣すべき」だと言った。 それに対して葦津は前記提案を取り下げざるをえなかった。 つまり、靖国の思想は「天皇のために闘って死ぬことは喜ぶべきことである」もしくは、「喜んで戦死しろ」というものであり、戦後も靖国自身が戦前の自らの思想を自己批判したのではない限り、「自然な追悼の気持ち」などという言葉で靖国思想を語るのはちゃんちゃらおかしい。むしろそのような「気持ち」は靖国においては抑圧されている。 |
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