| 35070 | 返信 | Re:靖国イデオロギーの本質 | URL | 告天子 | 2005/05/14 00:11 | |
| > あしなさん > 「靖国問題」高橋哲哉 筑摩新書 2005年 に拠れば、 > > 靖国の祭祀の目的は戦死者を追悼する事にあるのではなく、戦死者を顕彰することにある。 戦没者の顕彰は当然、あるでしょう。英霊、と言った時点で、既に明瞭です。単に追悼・菩提を弔うというに止まるのならば、それは靖国思想とは別の話でしょう。日本が天皇を頂く国であり、神道信仰の歴史を持つ国であること、そのことと靖国神社の存在は切り離して考えることは出来ません。戦没者を神として顕彰する、そういう場として靖国神社が存在していることは改めて指摘をするまでもないほどに明瞭なことです。 > > 以下同書58〜59頁 > > 1934年に葦津耕次郎は、それまでの靖国神社の祭礼が「英霊に感謝しその勲功を賛美」する面に集中し、国民感情の中の「地獄の苦を受けて殉国の霊となった」ことへの「悲痛同情」の面に対して「死んでも死にきれない」「魂を慰め安堵」させるために「仏教の回向、又は供養」を行う必要があるとし、神官と僧侶からなる「靖国会」をつくることを提唱した。 > > それに対して当時の靖国神社宮司・賀茂桃樹は、戦死した兵士は「陛下の万歳を叫んで」死んだのであり、「国家の大生命に合一した大安心、大歓喜」を抱いている。そのうえ「勅裁」つまり天皇の裁可によって靖国神社の祭神となったのだから兵士の霊も遺族も「臣子たるものの最高至上の名誉として感泣すべき」だと言った。 > > それに対して葦津は前記提案を取り下げざるをえなかった。 1934年ですから、日米戦の前ですね。当初の、皇事のために一身を捧げた者を神として祀る、幕府への反逆者、罪人として死んだ者を神として祀るという意味からは、それでもこの時点では大分ずれては来ているように思いますが、靖国神社の役割とか位置づけ自体が、時代と共に変遷してきたことを表すエピソードとしては、よく分かるように思いますね。膨大な「一般市民の戦没」と、維新革命の志士の戦没とでは、大分様相が変わっていますから・・・。 > つまり、靖国の思想は「天皇のために闘って死ぬことは喜ぶべきことである」もしくは、「喜んで戦死しろ」というものであり、 引用されたエピソードからそういう思想が直接に導かれるとは思いません。引用中の、一見正反対の立場にある二人も、別の相から靖国を語っているのであり、ただ立場とか現実認識が違う、ということかと思います。宮司は、宗教的な立場として「大安心」とか表現しているのであって、あしなさんが書いている「喜ぶべき」みたいな表現は、宗教表現ではなくて、日常語のレベルの話です。あしなさんの言葉を聞いたら、宮司も葦津も、「そりゃ、わしらの言っていることと全然違う」と、両者反対することでしょう。「喜んで戦死しろ」などということは、どちらも主張してはいない、あしなさん独自の主張です。そして、「それこそが、靖国思想である」と、あなたは主張しているのですが、それは「あしなさんが考える靖国」でしょう。こじつけであり、靖国否定のためのイデオロギー表現に過ぎません。 >戦後も靖国自身が戦前の自らの思想を自己批判したのではない限り、「自然な追悼の気持ち」などという言葉で靖国思想を語るのはちゃんちゃらおかしい。むしろそのような「気持ち」は靖国においては抑圧されている。 あしなさんのように考えたわけではないでしょうから、「そう考えたに違いない、自己批判せよ」というのは、言いがかりに過ぎません。靖国神社で、戦没者への自然な追悼感情を戦後に抑圧している、というのであれば、その事例をお願いします。 「自然な追悼感情」の名を借りて、靖国が死者を「顕彰する」という機能を無とするような、たとえば「無宗教の、戦没者墓地」みたいなものへと靖国神社を解体していこうとするなら、そういう「自然な追悼」には当然、靖国神社の否定として反対しますが、私は。 |
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