35073 返信 Re:首相の靖国神社参拝に反対する URL 水原文人 2005/05/14 02:09
inti-solさん、

> > あのぉ、それは大々的に喧伝してる側が悪いのであって、毎年参拝するのであれば伊勢神宮も慣例化してますし
>
> 靖国神社自身も公式サイト内で首相の公式参拝を求めているし、

求めている「識者」の見解を紹介しているように読めましたが。で、宗教施設の運営母体や、あるいは組織宗教を実際に動かしている人々が政治的になにかを主張しているからといって、その宗教施設に参拝する人や、あるいはその組織宗教の信者がそれに百パーセント服従しなければならない、ということにはなりません。ジョン・ケリーはカトリックですが、政策として同性婚にしても妊娠中絶にしても尊厳死にしても、ヴァチカンの先代のドグマとは正反対の主張をしてましたし。

宗教施設の運営母体や、あるいは組織宗教を実際に動かしている人々は形而下の人間のレベルで、神や魂や霊はそれを超越しているはずの存在ですから。

> 「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」とかって組織もあり、彼らも公式参拝を求めて大々的に喧伝しています。

いやあ、そんなの首相が行ったら大騒ぎするマスコミだとかに較べたら、たいしたこたあないでしょう。反対派がいるからこそそうやって喧伝することに得票目的の政治的意味が出てくるわけで、正直言って本来なら些細な問題だとは思うのですよね。

> 伊勢神宮については、撤回します。

そうですか? 別に撤回することもないとは思いますが。「国家神道」を問題にするのであれば、なんだかんだいっても総本山はお伊勢様ですから。

> > ただし神社への参拝がその政治家の資質のなかでそんなに大きな部分を占めるとも思えませんが。
>
> 一般論としてはおっしゃるとおりです。しかしこと靖国に関しては違います。この問題が日中間の対立の焦点のひとつになっていることを否定する人はいますまい。つまり、参拝が招く事態の後始末は、政治家の資質のなかでものすごく大きな部分を占めています。(ただし、政治家という一般論の問題ではありません。あくまで内閣総理大臣であることが問題の核心です)

後始末の問題では確かに政治的手腕が問われますが、それは行くか行かないかとは別問題ではないでしょうか。むろん、後始末できる手腕がないなら行くな、というのであればそれはそれで結構ですが。

> この問題が日中間の対立の焦点のひとつになっていることを否定する人はいますまい。

否定はしませんが完全に肯定もしません。使い易いカードであるだけで、本当に重要な政治問題を隠蔽するための手段にしか思えないのですよね。それは中国政府にとっても、日本政府にとっても。

> > あーとすみません。ついうっかり書き間違えで、広島県で神社といえばとーぜん広島県の誇るかの美しき観光名所、安芸の宮島は厳島神社です。
>
> ああ、なるほど。では問題にしようとは思いません。

同じ神道の神社ですが。

> > なんでですか? お伊勢様は国家神道よりもはるかに永い歴史を持ってますが。
>
> はい、撤回します。

でも国家神道の中心はお伊勢様ですよ。

> > たとえば奇特なお坊様が個人の善意と宗教的信念から硫黄島の戦死者の慰霊を、日米の戦死者分け隔てなく行ったとして、米軍兵士の遺族が「うちはキリスト教だから、異教徒の多神教の慰霊なんてやめてくれ」なんて言い出したら、そりゃその米軍兵士の遺族の狭量さが笑われるだけでしょう。
>
> 「無宗教の慰霊なんてやめてくれ」も、まったく同じではないでしょうか。

「やめてくれ」って誰が言ったんでしょうか? やっても構わないけどあまりありがたみがないとは思いますね。なぜかといえば、生者の目先の政治的な都合を死者に優先させているからであり、これだけ靖国が騒ぎになっているところで「代わりに」無宗教の慰霊施設なんて作れば、それが政治的な言い訳として発案されたものであることが見え見えだからです。死者を弔うのにはあまりにもせせこましく、かつ生臭すぎるのではないでしょうか?

> > > ではいったい何教ですか?
> >
> > 何教でもいいんじゃないでしょうか?
>
> 何教でも良いなら特定の宗教に対して優遇していることにはなりません。

だからそれぞれの宗教がそれぞれに慰霊することについては自由であり、靖国も例外ではないのではないですか? 「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」があるからといって、政治家が参拝するのにその会の主旨に賛同して、という必然はないでしょう。小泉純一郎という個人が行く分には、僕はとりたてて反対はしませんね。ただし政治的な利害、つまりは得票目的のパフォーマンスとして靖国に参拝している小泉は人間として心から軽蔑しますし、従って支持もしませんが。

> > どんな宗教にも「霊」の概念はありますし、繰り返しますが「霊」は宗教的な概念ですし、宗教的概念以外のなにものでもありません。←この意味分かってますか?
>
> それは、私の書いていることと同じです。そして、どんな宗教にも「霊」の概念はある以上、特定の宗派の流儀に基づかずに行う慰霊は、どんな宗教にも通底し、従って特定の宗教に肩入れする行為ではありません。

いえ、ぜんぜん同じじゃないですね。「特定の宗派の流儀に基づかずに行う慰霊は、どんな宗教にも通底し、従って特定の宗教に肩入れする行為ではありません」というのは、宗教と言うものの本質を無視した発言でしょう。どんな宗教でも、神ないし霊に近づくためにはそれなりの手続き(多くの場合、儀礼・儀式)があります。

> > そりゃそうなんですが、しょせん枝葉末節ではありませんか? 本当に「旗ふり役」になったのかどうか、役割の大きさとしては大いに怪しいと思いますよ。「靖国で神になる」ために喜んで戦死した人なんて本当にいたんでしょうか? 建前としてはそうだったとしても、本気で信じていたのかと言えば、そのこと自体が僕には疑わしく思えますけど。
>
> 喜んで戦死する人なんて、いるわけないでしょう。そんなこと、私はひとことも書いていませんよ。

ならば靖国が本当に「旗ふり役」であったのかどうかも、大いに疑わしくなりますが。

> というか、本人が本当の本当に喜んで戦死したものなら、本人はそれで幸せなんでしょうから靖国の非を批判する必要もなくなります。死にたくもない人間に「喜んで死ね」と強制するための機関として靖国神社が存在した、だから問題だと私は思っているわけ。

それを強制する機関としてなんて、ほとんど機能してませんよ。「 喜んで戦死する人なんて、いるわけない」んですから、機能できるはずもない。

> > それはつまりオウム=アーレフ=絶対悪というたぶんに全体主義的で差別的でもある日本社会全体の傾向に与することになんの疑問も感じない、ということですか?
>
> 絶対悪なんてものがあるのかどうか私は知りませんが、一国の政治指導者がオウムの施設に参拝に訪れたりするな、というのは、オウムを絶対悪と見なすかどうかということとは関係ありません。

ではなぜ首相が行ってはいけないのでしょうか?もちろんそんなことやったら落選しますから、行くわけもありませんが?

> 日本中にいったいいくつ宗教団体があるのか知りませんが、おそらくその99%は、首相が訪れるなんてことは金輪際ないでしょう。つまり、首相が参拝に訪れる方が、よほど優遇なのです。

凄い屁理屈ですね…。

> > だから小泉も行くわけですね。
>
> 小泉は一介の民間人ではなく内閣総理大臣です。彼が首相を辞めてただの国会議員に戻ったら、好きにすればいい。しかし首相という職にある間は、彼の行動はすべて「日本国の代表の行動」になります。本人の自由で何をやっても良いだろう、ということにはなりません。

「間接民主制」というものをもう少しちゃんと理解した方がよろしいのではないでしょうか? 内閣総理大臣であることはその当人の基本的人権の行使(たとえば、信教の自由)をなんら禁じるものではありませんよ。

> > ならば行けばいいのではないでしょうか
>
> 行きたくないものを無理矢理行かせるんですか?

「中立」を求めるのなら行けばいいんじゃないですか、と書いたんですが、そこを削除されると意味が分からなくなります。こういう文脈外しはやめて下さい。

> > そうなのですか? だとしたら、あなたの「賛成・反対」というのはとくに社会的な一般性を目指したものではなく、単なる好き嫌いについて言っているとしか解釈できませんけど…。
>
> 突き詰めていけば、社会的な一般性と好き嫌いは表裏一体だと思います。

そういうのを悪しき相対主義と申します。

> 「喜んで死ね」はいささか言い過ぎだったかもしれませんが、「公」を守るために命を捧げる精神を大切にしろ、とそういっているわけですね。

それ自体でしたら、別に靖国に限った話ではなく、ほとんどあらゆる宗教に通低し、ヒューマニズムの基本的な価値観のひとつですらある、自己犠牲精神だと思いますが…。

> > 水原さんも書いてますが、参拝することがなぜ「優遇」となるのでしょう?
>
> 靖国神社自身が首相の公式参拝を求めているし、その応援団の右派文化人や政治家もそうです。マスコミもこの問題に注目して大々的に報じる。(朝日から読売から産経からすべてそうです)
> その状況下で首相が参拝することが、優遇でなくて何だというのでしょう。

マスコミが大々的に報じなければいいだけの話にも思えますが。はっきり言って政治的な課題として本来なら大して重要なものではないし、日本が戦時中に軍国主義の方向に暴走したことだって、「靖国」なんて表層上の儀礼設備にこだわっていては、問題の本質は見えて来ないと思いますよ。

> > 「参拝に反対」というのは、「参拝するな」という意味ではないのでしょうか?
>
> そうです。しかし、「参拝するな」という意見を表明することが「イデオロギーの強制」になるんですか?そういう言い方をすれば、「郵政民営化反対」「イラク派兵反対」あるいは「憲法改正せよ」「北朝鮮に経済制裁せよ」、すべてイデオロギーの強制ではないですか。

いいえ。「郵政民営化反対」「イラク派兵反対」あるいは「憲法改正せよ」「北朝鮮に経済制裁せよ」はすべて国家の行く末に関わる政策的判断ですが、靖国に行くことは小泉純ちゃんという個人の宗教的行為に過ぎません。

> > はい、ですからそれは政教分離問題ではないのですか?
>
> いいえ、訪問する宗教施設がオウムではなく天台宗や真宗やカトリックやスンニ派やヒンズー教の寺院であったとしたら、それでも政教分離という原則上は問題があるでしょうが、しかしオウムの場合と同じ問題にはならないでしょう。

それはつまりオウムは「悪しき」、ないし「問題ある」宗教であるからですね。

> > それをあなたが判断できるのでしょうか? いったいどういった権威によって、今のカトリックはなかなかよいとか、そういうことが言えるのかさっぱりわかりません(笑)。
>
> 別に私に権威などありませんが、そういう意味ではどういう権利でオウムはだめだ、と言えるのか、ということにもなります。

そうなんですが。

> 結局のところ、その行為に対して(国内的にも国際的にも)どれだけ怒る人がいるか、ということが判断の材料になるんじゃないでしょうか。

周りの顔色だけを伺うことに汲々とするする人間には、あまり政治指導者はやって欲しくありませんね。それこそ「資質」の問題です。

> > イスラム諸国にはあなたのような考え方に反対の人はたくさんいると思いますよ。
>
> もし仮に、首相がカトリック教会を訪問すると多くのイスラム教徒が怒る、というなら、カトリック教会訪問はやめるべきでしょうね。でもそんな話は聞いたことがない。しかし、もし首相がイスラエルでユダヤ教の教会(寺院というのかな?)を訪問したとしたらどうか。イスラム教徒が怒ることはない、とは断言できません。だとしたら、イスラエルでユダヤ教の宗教施設に足を運ぶようなことは避けておくべきではないでしょうか。

そりゃ宗教というものをあまりに軽んじた行為ではないでしょうか? 僕自身は無神論ですから別に軽んじてくれてもいっこうに構わないといえばそうなんですが、むしろ他者の信仰を尊重する気がないのなら言及するべきでない、と思いますね。礼儀の問題として。

> > なぜですか? あなたのイデオロギーが邪魔してるんでしょう?
>
> そうだとして何が問題ですか?イデオロギーというか、個々人の信念です。そうです、信念が邪魔して行けないのです。それがなにか悪いのですか?信念を持ってはいけない?

イデオロギーや信念は重要ですが、ファナティシズムは危険だということではないでしょうか。

> ここまで書いたとおりですが。靖国神社に無謀な戦争のお先棒を担いだにしても、そのことに対する反省が皆無だとしても、

なんだか靖国をスケープゴートにして「軍国主義」という歴史上の臭いモノにフタ、という議論に読めてしまうのは僕だけでしょうか。

> いち民間宗教団体である限りは、靖国神社の好き、信者の好きで構いません。どんな主張にだって思想信条の自由、信教の自由はあるのですから。しかし、総理大臣という立場のものが、彼らの求めに応じてその「広告塔」の役割を果たすことには問題がある、と申しております。

そりゃ反対派が騒ぎマスコミが騒ぐから広告効果が出てしまうのではないでしょうか?