| 35075 | 返信 | Re:靖国イデオロギーの本質 | URL | あしな | 2005/05/14 08:31 | |
| 告天子さんこんにちは。 > > 「靖国問題」高橋哲哉 筑摩新書 2005年 に拠れば、 > > 以下同書58〜59頁 > > > > 1934年に葦津耕次郎は、それまでの靖国神社の祭礼が「英霊に感謝しその勲功を賛美」する面に集中し、国民感情の中の「地獄の苦を受けて殉国の霊となった」ことへの「悲痛同情」の面に対して「死んでも死にきれない」「魂を慰め安堵」させるために「仏教の回向、又は供養」を行う必要があるとし、神官と僧侶からなる「靖国会」をつくることを提唱した。 > > > > それに対して当時の靖国神社宮司・賀茂桃樹は、戦死した兵士は「陛下の万歳を叫んで」死んだのであり、「国家の大生命に合一した大安心、大歓喜」を抱いている。そのうえ「勅裁」つまり天皇の裁可によって靖国神社の祭神となったのだから兵士の霊も遺族も「臣子たるものの最高至上の名誉として感泣すべき」だと言った。 > > > > それに対して葦津は前記提案を取り下げざるをえなかった。 > 靖国の思想は「天皇のために闘って死ぬことは喜ぶべきことである」もしくは、「喜んで戦死しろ」というものであり、 > > 引用されたエピソードからそういう思想が直接に導かれるとは思いません。引用中の、一見正反対の立場にある二人も、別の相から靖国を語っているのであり、ただ立場とか現実認識が違う、ということかと思います。宮司は、宗教的な立場として「大安心」とか表現しているのであって、あしなさんが書いている「喜ぶべき」みたいな表現は、宗教表現ではなくて、日常語のレベルの話です。あしなさんの言葉を聞いたら、宮司も葦津も、「そりゃ、わしらの言っていることと全然違う」と、両者反対することでしょう。「喜んで戦死しろ」などということは、どちらも主張してはいない、あしなさん独自の主張です。そして、「それこそが、靖国思想である」と、あなたは主張しているのですが、それは「あしなさんが考える靖国」でしょう。こじつけであり、靖国否定のためのイデオロギー表現に過ぎません。 > 宗教用語「大安心」「大歓喜」と日常用語の違いを説明して頂かないと、以下の話は全く告天子さんの心情の吐露と読むしかないです。 又ここで告天子さんに合わせて、それぞれの語の詳細な定義をおいておくとしても、当の靖国の宮司は戦死者に関する「悲痛同情」という「痛みや悲しみに関わる様な側面」への言及をを排除して「大安心」「大歓喜」というどう考えても使っている文字からは「痛みや悲しみ」と反対の意味の強調しています。 ちなみに前掲書で高橋は1895年11月14日に時事新報に掲載された論説(天皇による戦死者への祭祀を要請する内容)を引用して以下の様に述べています。 ここには、国家が戦死者に対して、「国のために死んだ名誉の戦死」としてなぜ最大の栄誉を与えるかについての最も重要と思われる説明が見いだせる。家族を喪って悲嘆の涙にくれる戦死者を放置していたのでは、次の戦争で国家のために命を捨てても戦う兵士の精神を調達することができない。戦死者とその遺族に最大の国家的栄誉を与えることによってこそ、自ら国のために「名誉の戦死」を遂げようとする兵士たちを動員することができるのだ。 さらに「それにもかかわらず、靖国信仰の鼓吹者たちは遺族感情を悲哀から幸福へと転じるために訴え続けなければならなかった。」とし「靖国の精神」高神覚昇 1942年を例示しています。 |
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