35076 返信 Re:他者の信仰の許容など URL ピッポ 2005/05/14 08:38
告天子 さん

話は少しも、すりかわってはおりませんぞ。

私のジーサマは、
その死に様も、その後の扱いも、決して
「心から国に殉じたどころか、無責任な戦争指導のもとでの犬死。報国の士として顕彰してほしい」
などというものではないのです。

されば、魂がさ迷い歩いているかといえば、さにあらず、
家族、遺族、心をこめた法要のなかで、遺志は確認され、成仏しております。
件の家訓も故人との対話の中で自ずとできあがったものです。

それが故人の遺志であり、遺族の意思です。

どうか靖国神社どの、どうか総理大臣殿、どうか天告子どの、
ほっといてくだされ。
ジーサマの魂は、ジーサマなりの愛国者であっただけに、
「靖国の御霊」となることを拒否しています。

世の中には、
「報国の士、として顕彰してほしい」
「そうでないと犬死で終わってしまう」
そういう人々があまたいらっしゃいます。
ジーサマの戦友たちの殆どはそうです。

どうぞどうぞ
ご希望にしたがって、御祀りください。
その方々の意思、行動は尊重しております。

ですから皆様も、
「戦死者遺族のくせに、祀られて喜ばないのか」とか、
「戦死者遺族のくせに、靖国参拝をしないのか」とか、
仰らないように。他人の心の中に踏み込まないでくだされ。


そう仰る人が出てくる理由ははっきりしております。
宮司さんが遺族の確認すら怠って「合祀」なさるからです。
靖国神社は戦死者の区役所みたいなものですが、
さにあらず、
靖国神社がなくても「戦死公報」をもらって、手続きは完了しています。

「犬死」の殉難者が「神」となる根拠は一枚の「赤紙」でしかありません。
軍隊に召集されて命を落としたからです。

ジーサマの戦友で、「合祀」に異を唱えないご遺族の中にも、
「顕彰者」ではなく「殉難者」として
そっとして欲しい、という声は大きいのです。

『先の大戦は正しい戦だった』と大言壮語なさる一部の方々の
「神輿」としてわが家族の「霊」が担ぎ出されることに、
みなさま眉をひそめています。

どうか、「合祀」拒否者の希望を無視なさらないように、
信仰とは何か、他者の信仰を許容するとは何か。

「戦死者」は「戦死者」です。
「戦死者はすべて戦争を奉賛したがために死んだのだから顕彰される」
とういうのは偏った考えです。
声が大きいか小さいかの問題ではありません。

どうか偏った考えを、死者にまで押し付けないで下さい。

もちろん、そうなさりたいご遺族は、どうぞ大手をふるって参拝なさりませ。
だれがそれを妨害抑圧などしましょうや。
自由な宗教として、国家を離れて、心ゆくまで、お参りしてくだされ。

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天告どん、
だれが、だれによって、どのような手続きで「神」になるのか、
なぜ「神」にならなければならないのか、
その現実と論理をスルーすることなかれ。
明らかになされよ。



> > ピッポ様
> こんにちは。横レスします。
>
> > 問題は
> > 「他者の信仰をどの程度まで許容するかということでしかない」
> > これは、頓服クン、キミの言葉だ。
> >
> > しかしキミは
> > 強制合祀した靖国神社(や護国神社)そうしてそれを幇助した政府が、
> > これをいかに無視したかを決して見ようとしない。
>
> 強制合祀、というのは変な言葉かと思いますが、神社側が定める基準に基づいてお祀りすることが、「強制された」「信仰の自由を侵された」、みたいに話がすり替わっているのかと思いました。
>
> 合祀される本人や、その家族の方の意向を無視したから「強制だ」という言葉になるのかと思いますが、その場合、家族の方などの意向が、靖国神社側の定める基準に対して、一方的に優位に立つのかと言えば、疑問に思います。たとえば、お骨を靖国神社で納めなければならない、というような話ならば、「強制だ」とも言えようが、「神として祀る」ことそのものが「強制された、信仰の自由を侵された」ことになるのかといえば、これは宗教上の解釈の問題であり、法律の問題ではないでしょう。芥屋さんも書いておられたと思いますが・・・。
>
> ピッポ家の家訓として、靖国神社に祀られるような人になるな、というのは、これは尊重されねばなりませんが、その家訓は、あくまでピッポ家の家訓であって、日本国総理大臣に対してまで強制力を持つようなものではないし、ピッポ家の中だけでの話です。
>
> また、その家訓が、将来においてピッポ家の子孫によって、「何でうちのご先祖だけが、靖国神社に祀られないのか、不公平である、家訓によって先祖を祀っていただく権利を侵害された」みたいな話になるならば、その家訓自体が、その子孫の人の「信仰の自由」に対して侵害的な働きを持つことになりましょう。
>
> ある人は「祀られることに賛成」と言い、ある人は「信仰上の理由で反対」という、その判断が無制限に「祀られる基準」に影響してくるとするならば、これは家族関係者というのは次々と変わっていくのですから、その代では「反対」と言っても、次の代では「賛成」というかも知れず、すなわち、祈りの場に、そうした意見の違いに基づく争いを混入させることになるのは明らかです。
>
> すなわち、ピッポさんのお説を採用することにより、靖国神社の静謐は大いに破られることとなり、「他者の信仰」の自由は侵害を受けることとなりましょう。
>
> さて、総理大臣が靖国に参拝することは、その参拝によりピッポさんの信仰の自由が侵害されたということはありませんから、ピッポさんが首相の靖国参拝に「反対する」のは任意ですが、それは法レベルの問題としては難癖であり、(ピッポさんの法的利益は侵害されていないが故に)、信仰の問題としては他者の信仰に対する侮辱であり、政治のレベルに於いては、合理性なき政治判断かと思います。
>
> > そのうえで
> > 強制合祀に異を唱えることを、
> > 信教の自由への抑圧だ、とまでいう。
> > ・・・良く知られたドロボーの論理だ。
>
> ここでも書かれているように、反対者を「ドロボー」と言い放つような政治意見は、多数の靖国参拝賛成者が国内に存在している以上、暴論としかいいようがなく、それが通った場合には「政治的な暴力」にはなり得ても、政治的合理性を持った判断として、反対者をも納得させるようなものではあり得ないからです。
>
>
> > 信教の自由は
> > 拒否する他者までも祀ってやる、
> > という思い上がった靖国教徒のためにあるのではない。
>
> ここは文字通り、靖国神社に参拝する人たちの信仰を侮辱し、許容しないという姿勢かと思いますが、要するに信教の自由に対する侵害です。
>
>
> > 「国家宗教による信教の自由侵害」を、
> > 信教の自由を守れ、というレトリックにすりかえる。
> > 恐れ入谷の詭弁リベラリズム。
>
> ピッポさんのご意見は、信教の自由、ということを名目にして、他の信教の自由を否定するものかと思います。首相の参拝や、神社側が合祀の拒否を認めないことは、ピッポさんの信教の自由を何ら侵害するものではありませんから、ピッポさんは「信教の自由」によっては靖国神社に対して何ら主張するところはないはずです。主張の根拠は実は「信教の自由」にあるのではなく、「靖国神社の信仰に対する反対」ですから、他の信教の自由を侵しているのはむしろピッポさんの方です。
>
>
> >   『兵隊の命は死んだあとも国のもの』
> >   そんな教義をどうして尊重しなくてはならないのだ。
>
> 死んだ後も命があったんですか。まあ、そういう教義があるのかどうかは存じませんが、やはり「なぜそんな教義を尊重しなければならないのだ」と、ピッポさんは文字通り、靖国神社の信仰を「間違っているから、止めろ」と、侵害しておりますね。
>
>
> >   中立を装った詭弁はもう沢山だ。
> >   キミが心からの靖国教徒なら、その心を素直に披瀝したらどうか。
>
> 靖国教、などという宗教まで作ってしまうとは、スゴイ・・・。
>
>
> 先には、靖国神社参拝は条約違反だ、という話を聞きましたが、本当にいろいろな理屈があるのだと感心してしまいました。