35082 返信 Re:他者の信仰の許容など URL 告天子 2005/05/14 20:42
あしなさん、こんばんは。

> > 大安心とか大歓喜というのは、「心頭滅却すれば火もまた涼し」と同じく、感情・感覚の話ではなく、論理上の話です。火が涼しいわけがありません。戦争で死んだから安心だ、大喜びだ、などという人がいたら、どう考えてもその発言は筋が通らなくなります。そこが、宗教的な言葉と、日常語との違いです。
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>  ここで問題になっているのは天皇の下で戦死することと他のあらゆる死との違いです。
>  告天子さんの言い方では死一般と生の差異でしかありません。

宗教的な語法と、日常的な表現との違いについて説明していたつもりでしたが、「天皇の下で戦死すること」と他の死との違い、ということが実はテーマである、とのことですね。で、靖国神社はそれ(そういう死)を、讃仰しておるではないか、だから政治的問題だ、という筋かと理解しました。


>  しかも前掲書でも戦死者の遺族が「天皇のための死を喜べ」とされた実例が出ていますが。

それは違うのではないか、誤解ではないか、ということを「日常的な表現と、宗教的な表現の違い」として先に説明したわけです。非常に大きな名誉が与えられ、神として讃えられるのである、という性格は読み取れますが、「天皇のために死ぬことを喜べ」というような読みは出来ないと思います。そういう死に、非常な肯定的な意味が与えられる、ということなら分かりますが、「だから喜んで死ね」というのは、もはや別個の命令の話になっています。

> > 悲哀から幸福へ、ということこそ、信仰の大論理です。この論理の逆転こそが、宗教、信仰の本質であり、抑圧されたる者が逆に救われ、弱き者が力を持ち、深い悲しみを偉大な力に変質させていくことこそ、「訴え続けていかねばならない」信仰の論理でしょう。
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> > それを、「戦争に利用しようとしているからに違いない」とし、否定する側こそ、信仰に対して抑圧的・暴力的な、政治の徒に過ぎないのです。そればかりか、死者の名誉を剥奪し、自らの政治的立場に利用しようとしているのですから、国民を愚弄し利用しようとしたその上に「国があなた達を利用しようとしているのです!」と、逆に煽り立ててリードしようというのですから、まさに倒錯です。ある意味、これこそ「信仰の論理」でしょう。というよりも、「政治の宗教化」です。
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>  靖国の場合「英霊」の範囲の設定がそもそも徹頭徹尾、政治的なんでして。その政治性を無視してしまうことの「政治性」こそが問題でしょう。

英霊、という考え方が政治的なものであることは、その通りだと思います。しかしまた、政治に尽きるものではなく、民間の信仰的なものとの結びつきがなければ、単なる茶番として、決して受け入れられる性質のものではないでしょう。

さて、その英霊ということの政治性を無視することが政治なのだ、とのことですが、とりあえず私は無視してはいません。政治だから全部悪い、とは私は思わないです。問題があるとするなら、政治と宗教・信仰との混同にあり、それらの間に於ける無制限な浸食こそが、そうなのではないかと。

引用書の立場では、「戦争に利用しているに違いない」という意見を元に、靖国信仰そのものに対して、政治の立場から暴力を振るっています。信仰を侵害しています。こういうのは、まず問題です。

反対に、ピッポさんが例としてあげておられたような、信仰の立場から、他者の政治姿勢を全面否定するような意見が暴力として作用するようなことがあるなら、これには反対すべきかと思います。

靖国神社、というのは、そういう信仰と政治とがクロスするところに位置づけられると思うので、大変デリケートな話かと思いますが、また個人と国家、というものが交わるところにもあるわけで、なかなかに難しい話かと思います。


これを一枚べったりの政治の立場から、「日本の政治も、信仰も」、破壊的に否定しようとしているのが、中韓などの取っている立場だと思います。その要求を聞き入れたところで、日本にとっては何ら益するところはありません。彼らは日本人のために要求しているわけではなく、単に自分らの政治上の都合でものを言っているだけです。つまり、日本国統治についての利益は何一つとしてないし、知恵もまたないということです。