35096 返信 Re:他者の信仰の許容など URL あしな 2005/05/15 10:04
告天子さんこんにちは。


> 宗教的な語法と、日常的な表現との違いについて説明していたつもりでしたが、「天皇の下で戦死すること」と他の死との違い、ということが実はテーマである、とのことですね。で、靖国神社はそれ(そういう死)を、讃仰しておるではないか、だから政治的問題だ、という筋かと理解しました。
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 靖国自身が「天皇の下での戦死」を顕彰すること自体は思想・宗教的に問題であるとは思っておりますが、このテーマでの問題は、そのような靖国を現職の総理大臣が参拝するという行為の政治性にあります。


> それは違うのではないか、誤解ではないか、ということを「日常的な表現と、宗教的な表現の違い」として先に説明したわけです。非常に大きな名誉が与えられ、神として讃えられるのである、という性格は読み取れますが、「天皇のために死ぬことを喜べ」というような読みは出来ないと思います。そういう死に、非常な肯定的な意味が与えられる、ということなら分かりますが、「だから喜んで死ね」というのは、もはや別個の命令の話になっています。
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 少なくとも私が引用した靖国神社宮司の発言は「天皇の下の戦死は喜ぶべきものであり、それを悲しむのは筋違い」という内容でしたし、大日本帝国の戦争遂行体制の中では靖国のイデオロギーは「だから喜んで死ね」という形で機能していました。


> >  靖国の場合「英霊」の範囲の設定がそもそも徹頭徹尾、政治的なんでして。その政治性を無視してしまうことの「政治性」こそが問題でしょう。
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> 英霊、という考え方が政治的なものであることは、その通りだと思います。しかしまた、政治に尽きるものではなく、民間の信仰的なものとの結びつきがなければ、単なる茶番として、決して受け入れられる性質のものではないでしょう。
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 「英霊」という発想そのものの政治性は、近代国民国家において「英霊」が要請されるメカニズムにあり、靖国も「天皇に関連した神道祭祀」の部分を除けば同様です。このような「英霊」を要請する体制という点では中・韓もその範疇です。もちろん国家による戦争動員そのものに対する批判から「英霊」そのものを批判する可能性はあります。
 しかしここではそのような「英霊」そのものの批判ではなく、「英霊」の選択の範囲を問題にしております。