35097 返信 Re:他者の信仰の許容など URL 告天子 2005/05/15 10:45
> あしなさん

>  靖国自身が「天皇の下での戦死」を顕彰すること自体は思想・宗教的に問題であるとは思っておりますが、このテーマでの問題は、そのような靖国を現職の総理大臣が参拝するという行為の政治性にあります。

ああ、総理が参拝することの政治性が問題だ、ということがテーマだったのですか。まあ確かに問題ではあると思いますし、いろいろな意見があると思います。


>  少なくとも私が引用した靖国神社宮司の発言は「天皇の下の戦死は喜ぶべきものであり、それを悲しむのは筋違い」という内容でしたし、大日本帝国の戦争遂行体制の中では靖国のイデオロギーは「だから喜んで死ね」という形で機能していました。

喜んで死ね、というような命令は、どう読んでも読み取れませんが・・・。死後の名誉については言っていると思いますが、「だから喜んで死ね」、というのはあしなさんが付け足した記述だと思いますし、解釈に無理があるということは、先にも宗教語と日常語の違いということで、記したとおりです。

で、「靖国イデオロギーが、だから喜んで死ね、という形で機能してきた」というのはあしなさんの「解釈」であり、靖国をそういう命令のシンボルとして否定・批判せねばならぬという政治意見なわけですね。「喜んで死ね」というような命令は、これは不当な命令で、当然に批判されねばなりませんが、「靖国のイデオロギーが、そういう命令を有効にしたのだ」というのはイデオロギー言説でしょう。

最高の名誉が与えられる、ということと、「だから喜んで死ね」とは、別の話です。あしなさんは、後者を否定したいが故に、前者の「死者の名誉」を貶める話に堕ちていると思いますし、首相の参拝が「問題だ」といわれますが、首相が参拝することで国民が「喜んで死ななければならない」ような命令が有効になるとか、あるいは、そんな命令が発せられるという因果関係は、どこにもないでしょう。

「いや、ある」というのがあしなさんの説かと思いますが、ただ「あるのだ」と言っているだけで、脈絡が不明です。

戦中の悲劇であるとか、死ななければならなかったような激戦、あるいは、明らかにおかしな作戦による死、そうしたものがごちゃ混ぜになって、「靖国に首相が参拝することは、こうした悲劇をよみがえらせること、喜んで死ねと命令されること」、「ああ、怖い・・・」とただ怯えている話なのではないかと思いました。



> > 英霊、という考え方が政治的なものであることは、その通りだと思います。しかしまた、政治に尽きるものではなく、民間の信仰的なものとの結びつきがなければ、単なる茶番として、決して受け入れられる性質のものではないでしょう。
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>  「英霊」という発想そのものの政治性は、近代国民国家において「英霊」が要請されるメカニズムにあり、

アメリカの軍のCMなどでも、軍人が護国の神霊となって・・・、みたいな表現を見たことがあります。勿論、「だから喜んで死ね」などという命令は米軍は下さないとは思いますが。



>  「英霊」という発想そのものの政治性は、近代国民国家において「英霊」が要請されるメカニズムにあり、靖国も「天皇に関連した神道祭祀」の部分を除けば同様です。このような「英霊」を要請する体制という点では中・韓もその範疇です。

アメリカも、中国も、韓国も、兵士が国家を守るために戦没する、ということになれば、そこに「英霊」という発想が絡んでくるのでしょうね。どの国でもそうですし、そのこと自体を否定している国はないでしょう。

>もちろん国家による戦争動員そのものに対する批判から「英霊」そのものを批判する可能性はあります。

あしなさんがしていることは、それだと思っていましたが、何でも「首相の参拝」が政治利用で問題である、とのこと。しかし、どの国でも、戦没者への追悼、参拝は、政治指導者なら皆していることでしょう。何故日本だけが問題になるのかというと、それは靖国神社には「喜んで死ね」イデオロギーがある、あるいはそれを機能させたのが靖国神社だ、という筋になるのかと思います。


>  しかしここではそのような「英霊」そのものの批判ではなく、「英霊」の選択の範囲を問題にしております。

「英霊」は問題ではないのだが、その「選択の範囲」が問題だ、というのがよく分からないのですが、いわゆるA級戦犯合祀、の問題でしょうか。これは、難しい問題ですが、宗教の論理と政治責任の論理とを混同すべきではない、と思います。