| 35100 | 返信 | Re:他者の信仰の許容など | URL | あしな | 2005/05/15 14:52 | |
| 告天子さん・こんにちは > 喜んで死ね、というような命令は、どう読んでも読み取れませんが・・・。死後の名誉については言っていると思いますが、「だから喜んで死ね」、というのはあしなさんが付け足した記述だと思いますし、解釈に無理があるということは、先にも宗教語と日常語の違いということで、記したとおりです。 > 当時の靖国神社宮司・賀茂桃樹は、戦死した兵士は「陛下の万歳を叫んで」死んだのであり、「国家の大生命に合一した大安心、大歓喜」を抱いている。そのうえ「勅裁」つまり天皇の裁可によって靖国神社の祭神となったのだから兵士の霊も遺族も「臣子たるものの最高至上の名誉として感泣すべき」 の部分です。これは普通に読めば「戦死は悲しむべきことではなく喜ぶべきことだ」という意味に解されます。「喜んで死ね」という命令かどうかという点について、「死ね」の部分は軍隊・国家・天皇の命令になります。「戦死を喜ぶべきだ」が靖国・国家・天皇からの要請になるでしょう。大日本帝国の戦争遂行体制全体としては「喜んで死ね」となります。 もしそのようではない「宗教的」解釈などというものが、上記の政治的な文脈と無関係にあり得るのだとすれば、その日常語への翻訳を是非御教示頂きたいと思います。 > 最高の名誉が与えられる、ということと、「だから喜んで死ね」とは、別の話です。あしなさんは、後者を否定したいが故に、前者の「死者の名誉」を貶める話に堕ちていると思いますし、首相の参拝が「問題だ」といわれますが、首相が参拝することで国民が「喜んで死ななければならない」ような命令が有効になるとか、あるいは、そんな命令が発せられるという因果関係は、どこにもないでしょう。 > 「首相が参拝することで国民が「喜んで死ななければならない」ような命令が有効になる」などとは申しておりませんが。 > アメリカの軍のCMなどでも、軍人が護国の神霊となって・・・、みたいな表現を見たことがあります。勿論、「だから喜んで死ね」などという命令は米軍は下さないとは思いますが。 > 私は絶対平和主義の立場からこのレベルでの国家による祭祀そのものを「国民国家による軍事動因を正当化するイデオロギーの発現」として批判しております。 > あしなさんがしていることは、それだと思っていましたが、何でも「首相の参拝」が政治利用で問題である、とのこと。しかし、どの国でも、戦没者への追悼、参拝は、政治指導者なら皆していることでしょう。何故日本だけが問題になるのかというと、それは靖国神社には「喜んで死ね」イデオロギーがある、あるいはそれを機能させたのが靖国神社だ、という筋になるのかと思います。 > 当面の批判点は、祭教分離(神社神道は宗教ではないとし、さらに靖国神社を陸海軍省共管の別格官弊社として内務省所管の一般神社から区別)下での祭政一致(天皇による祭祀・国家機関としての位置付け)下での靖国イデオロギー(天皇のための戦死者を他のあらゆる戦没者から分離して顕彰)の在り方と機能そのものを公権力の領域から排除して成立しているはずの現行体制の行政権力の長が、靖国に参拝するということは、公的に反権力イデオロギーを称揚するという矛盾を来さないか?となります。 で、実際に首相の靖国参拝に対する判決では今まで憲法判断を避けたものか、それを意見とするものしか出ていないはずです。 言い換えると、私個人としては国家による戦没者の差異化を否定する立場を取りますが、そのような立場を取らず、現行法理の範疇で考えても、首相の靖国参拝はやばいんじゃないのか?ということになります。 > > しかしここではそのような「英霊」そのものの批判ではなく、「英霊」の選択の範囲を問題にしております。 > > 「英霊」は問題ではないのだが、その「選択の範囲」が問題だ、というのがよく分からないのですが、いわゆるA級戦犯合祀、の問題でしょうか。これは、難しい問題ですが、宗教の論理と政治責任の論理とを混同すべきではない、と思います。 前述の様に現状での中韓も又「戦死を強いる国民国家」であることに変わりはなく、靖国問題を中国が批判するA級戦犯合祀の範囲に矮小化することの問題性についても前掲書で言及されておりますので、宜しければご参照下さい。 |
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