| 35109 | 返信 | Re:首相の靖国神社参拝に反対する | URL | 水原文人 | 2005/05/15 21:09 | |
| inti-solさん、 > > 求めている「識者」の見解を紹介しているように読めましたが。 > > 靖国神社の公式サイトで、公式参拝を求める「識者の声」を紹介しているというのは、靖国神社自身が公式参拝を求めているのと同じです。それを、別の口で言わせているだけのこと。 そりゃちょっと決めつけが過ぎませんか? 「敵」であればなんでも一蓮托生、という見なし方はファナティシズムに通じます。「坊主にくけりゃ袈裟まで」の世界ではないか、と。 靖国問題を論じるときに、靖国の側に少なくとも以下の三つの次元があると考えるべきだと思うのですが。 1)信仰の対象としての靖国神社と、靖国への信仰 2)現在の宗教法人としての靖国神社と、その具体的運営者 3)靖国神社を政治的言説のなかでのひとつのシンボルとして利用すること > > そうですか? 別に撤回することもないとは思いますが。「国家神道」を問題にするのであれば、なんだかんだいっても総本山はお伊勢様ですから。 > > もちろん、国家神道そのものに私は問題を感じますし、伊勢神宮もその限りにおいて同様ですが、 「撤回する」のだか「問題を感じる」のだかはっきりして欲しいんですが…。上記の三つの次元は、お伊勢様にも当てはまるわけですが、「国家神道」というのは一応(3)に辺り、この(3)の部分はどう考えても問題だと私等は考えているわけなんですが(政教分離原則に鑑みて)。 > そうはいってもどこかで線引きは必要です。伊勢神宮だって侵略戦争に荷担した事実は動かし難い(東条英機が太平洋戦争の敗色濃厚のころ必勝祈願とかに行っているし)けれど、靖国神社と違って兵士たちに「名誉の戦死」を強要する中心機関だったわけではないでしょう。死んだら伊勢神宮に祀られる訳ではないですから。 あの…。どこまで本当に信じられていたのかどうかは大いに疑わしいとは思うのですが、一応建前として「日本は神国」というのが軍国主義の下で国家神道がとり、また国民に強要もしたイデオロギーと言われておりまして、たとえば「神州不滅」とかの言辞ですが、死んだら靖国というのは、その「神国」に身を捧げるというイデオロギーのなかの一部でしかないのではないでしょうか? 一方で「神国日本」「神州不滅」の最高神であり中枢が、一応天照大神つまり伊勢神宮ということになりますが。 > > 後始末の問題では確かに政治的手腕が問われますが、それは行くか行かないかとは別問題ではないでしょうか。 > > 現段階において、行けば確実に後始末不能の状況に陥ります。 なんだか「資質」の問題云々の当初の議論の論点からずれまくっている感もなきにしもあらずですが、「行けば確実に後始末不能の状況」になるとは必ずしも僕は思いませんし、また「確実に後始末不能の状況」になるのが日本側だけの責任かと言えばそれは違うでしょう。 > > 同じ神道の神社ですが。 > > 伊勢神宮と同じです。確かに同じ国家神道に属し、国家神道には軍国主義賛美などなど重大な問題は山積している。とはいえ、厳島神社は(伊勢神宮も)「戦死者を祀る」という目的で作られた神社ではありません。最初から官軍の戦死者を祀るための神社として作られた靖国神社、あるいはその支店としての護国神社とは、目的が違います。 安芸の宮島さんまでが「国家神道に属す」と言えるのかどうかは、わたしゃ大いに疑わしいと思いますが。つまり伝統的な信仰/習俗としての「神道」と国家神道というイデオロギーの区分けの問題であって、「戦死者を祀る」という目的で作られたことだけを持って線引きするのは、極めて乱暴なステレオタイプ的断言であると言わざるを得ません。それに「戦死者を祀る」という目的で作られた宗教設備それ自体もまた、世界中のあらゆる宗教にあります。それこそあらゆる「戦争」慰霊ないし祈念設備がそれじゃ否定されるべきなのか、という話にもなってしまいますが…。 > もちろん、私自身は伊勢神宮にしろ厳島神社にしろ無条件に肯定する気はさらさらありませんが、そこまでのことです。 安芸の宮島ぐらい政治にこだわらずにその美しさを肯定したってバチは当たらんと思いますが…。また伊勢神宮は日本の伝統建築の技術の保存・継承に決定的な役割を果たしてもいます。で、美学的・建築史的な視点からみれば、靖国ははっきり言ってサイテーですけど(失礼!)。 > > 「やめてくれ」って誰が言ったんでしょうか? > > だれも言っていないでしょうね。でも > > 「うちはキリスト教だから、異教徒の多神教の慰霊なんてやめてくれ」 > と言った米軍兵士の遺族がいるんですか?もしそんな遺族がいたとしたら、という仮定の話をしていたのではないんですか、あなたは。私は、それに対応して仮定の話で返しただけなんですが。 なんかここにも論点逸らしのごまかしがあるような…。 元投稿は、こう で、「無宗教の慰霊なんてやめてくれ」とは少なくとも私はどこでも言っておらず、ただ「無宗教の慰霊」もなにも「慰霊」自体が宗教的行為なのだから「無宗教」ではありがたみを感じないのでは、と言っただけなんですけどね。 > > やっても構わないけどあまりありがたみがないとは思いますね。なぜかといえば、生者の目先の政治的な都合を死者に優先させているからであり > > 「戦死者の慰霊」を政府が主導して大々的に行うこと自体が、生者の目先の政治的な都合を死者に優先させているんじゃないでしょうか。死者にもし口があったとして、「靖国神社に祀ってもらえてうれしい」と言うのでしょうか。 ですからそれは「靖国神社」がやってることであって、政府が主導している状態ではないんですが。ちなみに政府が主導、つまりは「公式」な国家行事としてオフィシャルなスケジュールに組み込むことは僕は反対ですけど。というか、そりゃ僕が反対するかどうか以前に憲法違反です。 首相である小泉という個人が自分の意志で参拝することについては、その動機の不純さは彼の場合は批判しますけど、その行為自体を否定する権限や資格は僕にはない、と言っているわけなんですが。 > やっぱり「死にたくなかった」という方が遙かに多いんじゃないかと思うのですが。にもかかわらず靖国神社が戦死者を祀るのは、まさに生者の政治的都合そのものではないでしょうか。 この2文、論理的にまったくつながってません。「本当は死にたくなかった」からこそ祀る必要性が出て来ると考えた方が、むしろ自然です。 > > どんな宗教でも、神ないし霊に近づくためにはそれなりの手続き(多くの場合、儀礼・儀式)があります。 > > 日本に限っては、その手続きはかなりいい加減なものだと思います。だいたい、江戸時代までは神社と仏閣が同じ境内の中にあった!! そんな当たり前のことについてなにを驚いているのでしょうか? 日本の歴史的な信仰文化の上で当たり前の話ですけど。たとえば、鎌倉の鶴岡八幡宮の祭神の名前はなんでしょう? 仏教と神道は一千年以上に渡って混合して発達して来たものであり、お寺さんでも靖国に参ったりされますけど。 > 今でも、お寺に行って柏手を打つ人なんて掃いて捨てるほどいますし、それが特に非礼な行為だとは見られません。 お寺さんで柏手を打つのは単に文化を知らない無知な輩だけでしょう(苦笑)。 > > それを強制する機関としてなんて、ほとんど機能してませんよ。「 喜んで戦死する人なんて、いるわけない」んですから、機能できるはずもない。 > > 「喜んで」死ぬことまでは強制できなくとも、とにかく死を強制する背景に靖国があったことは間違いない。 どうして「間違いない」と断言できるのでしょうか? > それに、遺族はどうですか。父が、夫が、兄弟が戦死してうれしい、なんて遺族がいたらお目にかかりたいけれど、彼らは戦死者が靖国に祀られることを喜ばなければならなかった。少なくとも表向きは。 この文章も、前半と後半が論理的/心理的にまったくつながっていません。「親族の戦死が悲しい」と、「悲しいけれど、靖国に神として祀られることはせめてもの慰めになる」はまったく完全に、一切の強制などなく両立する感情です。そして実際の多くの参拝者にとっての靖国の機能もまた、少なくとも戦後は明らかに「悲しいけれど、靖国に神として祀られることはせめてもの慰めになる」というレベルの問題であり、遺族の会などが靖国に政治家が詣でることを求めるのも明らかにその程度の感情(つまり、無駄死にとかではなかったことを保証して欲しい、というようなこと)でしょう。 > > ではなぜ首相が行ってはいけないのでしょうか?もちろんそんなことやったら落選しますから、行くわけもありませんが。 > > > 「間接民主制」というものをもう少しちゃんと理解した方がよろしいのではないでしょうか? 内閣総理大臣であることはその当人の基本的人権の行使(たとえば、信教の自由)をなんら禁じるものではありませんよ。 > > あのね、基本的人権などということを誰が問題にしましたか。首相が靖国神社を参拝したから逮捕せよとか、そういう話ではないのですが。 ではいかなる理由によって首相の靖国参拝に反対しておいでなのでしょうか? > しかし、その人の地位、立場に応じてやっていいことわるいこと、というのはあるはずですが。 それを判断するのは個々人の倫理であり良心、ならびに現実的判断力であって、他人が介入することではありませんが。 > たとえば、争議権は労働者に認められている権利ですが、公務員には禁止されています。これは、法的に禁止されていることです。(問題だとは思いますが、私がここで「問題だ」と叫んでも、公務員のスト権が認められることは多分ないでしょう) 憲法上の「公共の福祉」を理由にした制限ですが、なにか? > いま郵政民営化問題が揺れていますが、もし郵政大臣が「郵政民営化反対だ!!」ということを大声で叫び始めたらどうなるでしょうか。(現実には、そのような可能性のある人物を、最初から小泉は郵政大臣に選ぶことはないでしょうが、変心することがないとも言い切れないでしょう)彼は、辞任せざるを得ないのではないでしょうか。それは、郵政大臣の言論の自由を封殺すること、とは全然違います。 そうですよ。で、靖国参拝を理由に小泉に投票しないことはあなたの自由ですが。(まあ政治的優先順位としては、かなり愚鈍でマスコミに流されて主体性に欠けた判断だとは思いますけどね。) > これだけ世界の注目を浴びている中で首相が靖国神社に行くのは、すでに個人の私的な行為ではありません。 そこがおかしいし、全体主義なんですよね。 > というか、靖国神社「公式」参拝を求めている側だって、個人として私的に来てほしい、などとは思っていないことは明らかですし、小泉自身だって、口ではともかく内心で個人の私的な行為だ、などと思っているはずがない。 パブリック・パーソンなんですからパブリックな行為になるのは当たり前ですけど、パブリック・パーソンにだって…というよりパブリック・パーソンであればあるほど、自らの思想信条は明確に表明すべきですね。 > > マスコミが大々的に報じなければいいだけの話にも思えますが。 > > 大々的に報じるな、と命令できますか? 誰が「命令しろ」なんて言ったんでしょうか? > それに、マスコミが大々的に報じる動機は一様ではありません。朝日新聞と読売や産経が大々的に報じるのは、まったく逆の動機によると思いますが。 根本的・潜在的な部分では同じところに行き着きますよ。「話題性」があるから「売れ行き」に影響する。 > > 靖国に行くことは小泉純ちゃんという個人の宗教的行為に過ぎません。 > > だから、現実に全然個人の宗教行為になど収まっていないでしょうが。 いいえ、政治日程に組み込まれた政府の公式行事(オフィシャル)にしない限り、徹底的に小泉の個人的な宗教行為でしかありませんが? 個人的な行為がパブリックに影響を与えるのは、人間社会において当然のことですけど? オフィシャルとパブリックの区別がついてないのでは? > > そりゃ宗教というものをあまりに軽んじた行為ではないでしょうか? 僕自身は無神論ですから別に軽んじてくれてもいっこうに構わないといえばそうなんですが、むしろ他者の信仰を尊重する気がないのなら言及するべきでない、と思いますね。礼儀の問題として。 > > 宗教施設を訪問しなければ信仰を尊重していない、というものではないと思いますが。むしろ、下手に関与することで結果的に無用な対立を招くことは、何もしないよりむしろ信仰を軽んじる結果を招くことだってあるでしょう。 あのお、上記の拙発言は、
へのレスであって、「宗教施設を訪問しなければ信仰を尊重していない」なんて文脈の話ではないんですけど…。「首相がカトリック教会を訪問すると多くのイスラム教徒が怒る、というなら、カトリック教会訪問はやめるべきでしょう」なんてことを理由に訪問しないなんて言うのが「信仰を尊重していない」ことであって、だから「むしろ他者の信仰を尊重する気がないのなら言及するべきでない」んですけど。 > > イデオロギーや信念は重要ですが、ファナティシズムは危険だということではないでしょうか。 > > 靖国神社を解体しろ、とか火を放てというならともかく、反対だから足を運ばない、というだけでファナティシズム扱いされちゃ仕方ないですね。 赤の他人が足を運ぶことそれ自体について「反対」するのは、宗教弾圧でしょ。それを理由に、政治的ないし宗教的立場が異なるから、その人物を支持しない、というんだったらとくに問題はないんですけど。 > > そりゃ反対派が騒ぎマスコミが騒ぐから広告効果が出てしまうのではないでしょうか? > > 現状は、賛成派が騒ぎ賛成派マスコミ(産経など)が騒ぐ声いの方が大きいように思いますが。 そうですか? > マスコミ上では「中国の圧力に屈して靖国参拝をやめるな」というような声ばかりが大々的に取り上げられています。 つまり「中国が反対」してるから政治的な議題として話題になってるんでしょうが。 |
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