| 35122 | 返信 | Re:他者の信仰の許容など | URL | 工藤猛 | 2005/05/16 12:31 | |
| > > あのー。遠慮がちに。 > > 儒教や神道はキリスト教やイスラム教のような宗教でしょうか。 > > 【天国】を想定しない宗教なんてあるんでしょうか。 > あのー。遠慮がちに。 > キリスト教やイスラム教には天国と言う概念はないです(^^; > ヨーロッパの古典的神話の世界がキリスト教の中に天国があるかのように見せているだけです。聖書ではヨハネの黙示録に数行それらしき事がかかれているだけ。 > へーー、そうなんだ。 欧米人が幼子に「天国」にいったのよと 世俗的に言っているのは聖書の根本原理からは逸脱なんだ。 仏教とは違うんだ。釈迦も「天国」とは明確に語句を述べてはいないが 弟子達は煩悩のない苦しみのない来世を説いて信者を増やしていたんだが。 初期のキリスト教徒はどうやってキリストの再現を説いたのだろうか。 南米にあった左翼的な戦うキリスト像でも説いたのかな。 この世とあの世の全ての事象を司る創造主である全能の神が 「天国」も明示していなかったなんて。キリスト教はオクが深いね。 神社なんて簡単なもんだ。早い話、現世利益だ。家族や世の中が平和でありますよう にとお賽銭をあげてくるだけだ。たいした哲学はない。深遠な宗教真理もない。 仏壇にたいした神聖があるわけでもない。ご先祖様を粗末にしてはいけません。 ご先祖様はいつでも見ているからね。ご先祖様にもご馳走を上げようね。 お供え物を食べる時にはお断りしてから食べるんだよ。 お行儀悪いとしかられなかったかい。おいしかったかい。 お前がおいしいというのならご先祖様も喜んでいるよ。 生活の知恵、感謝の心、先人への思いがあるだけだ。 神道にしても死者を弔う仏教儀式にしても現世が基準なのだ。 絶対神はいない。日本列島ではキリスト教の神もイスラム教の神も それだけが絶対多数派になることはない。かならず既存の八百万の神に 加わるものとして登場するしかない。民族の独自性だと思う。 かまどの神がキリストの神と同格であると真剣に声高に言い募られたら 欧米や中東では奇異に思われるだろう。日本人はよっぽど問い詰められない限り 他民族に自身の宗教心をことさらには説明しない。 習俗、風俗としてある心根をどうやって理路整然とありもしない【経典】にしたがっ て説明できる。説明する必要はない。自然を敬えばいい。干からびた路上の ミミズに合掌してあげればいい。自然のリズムの中で人間と自然の生き死にを 感じ取ればいい。人間と自然は神社では一体となる。先祖の御霊と生身の人間は 仏壇のある空間では一体となる。それぞれの民族に長い年月かけて培ってきた 独特の宗教心がある。それぞれに大事にしてきた。 伝統が他民族に強制的に中断されなかった日本列島人は幸いだ。 日本列島数万年の歴史に感謝しなければ。 人々は太古から精一杯誠実に生きてきた。営々と苦難に耐えて 日々の生活を暮らしやすいようにしてきた。神社にいますカミも 仏壇のご先祖様ももっと暮らしやすい世の中にしなさいと にこにこして見守って下さっていると私は信じている。 子供にもそのように言い聞かせている。 私が祖母や両親から言い聞かせられたように。 風習を風俗を次の代に伝えたいと思っている。 初詣には家族揃って近くの神社、仏閣におまいりし 新しい年の平安をお祈りしましょう。なんかいいことがあるからさ。 仮に悪いこと禍があっても軽減されるからさ。 一人一人の願いの力はか細くて頼りないものであっても1000万人、一億人が 願っていたらかなりの威力になると思うよ。それらの願いを捧げる民族の施設を 足蹴に出来る外国の権力がありえるとは思えん。人々の願いは神聖なものだ。 |
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