35128 返信 Re:首相の靖国神社参拝に反対する URL inti-sol 2005/05/16 23:14
水原さん

> 「撤回する」のだか「問題を感じる」のだかはっきりして欲しいんですが…。

別に「撤回する」と「問題を感じる」は二律背反ではありません。問題を感じるものはすべて排除せよ、というわけにもいかないでしょう。

> どこまで本当に信じられていたのかどうかは大いに疑わしいとは思うのですが、一応建前として「日本は神国」というのが軍国主義の下で国家神道がとり、また国民に強要もしたイデオロギーと言われておりまして、たとえば「神州不滅」とかの言辞ですが、死んだら靖国というのは、その「神国」に身を捧げるというイデオロギーのなかの一部でしかないのではないでしょうか? 一方で「神国日本」「神州不滅」の最高神であり中枢が、一応天照大神つまり伊勢神宮ということになりますが。

そういうことはすべて了解した上で、だから問題を感じると申し上げています。
けれども靖国神社が最初から、戦死者を祀るための神社として明治政府が建立した、つまり戦争と不可分の存在なのに対して、伊勢神宮は天皇制イデオロギーが日本の国教となる以前から存在し、もちろん戦死者を祀るという目的で建立されたわけでもない。
要するに、問題は感じるといっても問題を感じるものすべての排除を要求するわけには行かない、どこかに線引きが必要だ、ということです。

> なんだか「資質」の問題云々の当初の議論の論点からずれまくっている感もなきにしもあらずですが、「行けば確実に後始末不能の状況」になるとは必ずしも僕は思いませんし、

いいえ、ことここに至っては、行けば後始末不能の状況になります。
より正確な言い方をするならば、他の点−つまり侵略戦争への総括、個人補償、教科書問題、閣僚の舌禍・・・・・・・・・といった問題が積み重なったその上に象徴として靖国問題がある。本来的には靖国の問題が日中間の最大の対立点ではないと思います。ですから、土台の部分をきちんと清算できれば、靖国神社参拝など大した問題ではなくなるでしょう。しかし小泉にそれができるとは思えないのです。
これらの問題が残ったまま、あの反日デモの後でもなお、靖国神社に参拝したりしたら、それはガソリンがまき散らされているところでたばこの吸い殻を投げ捨てるのにも等しいことになる。

> また「確実に後始末不能の状況」になるのが日本側だけの責任かと言えばそれは違うでしょう。

もちろん、反日暴動は中国側にも重大な問題と責任があります。日中間の問題は戦争の清算だけではありません。尖閣諸島を巡る問題のように、日本側に非があるとは思えない部分もある。
しかし、小泉が靖国に行く、行かないということに関しては、決定権は中国にはない。日本に、というか首相一人にしかない。

> で、「無宗教の慰霊なんてやめてくれ」とは少なくとも私はどこでも言っておらず、ただ「無宗教の慰霊」もなにも「慰霊」自体が宗教的行為なのだから「無宗教」ではありがたみを感じないのでは、と言っただけなんですけどね。

ですから、ありがたみを感じるか感じないかは人それぞれじゃないんでしょうか。慰霊が特定の宗派の形式に従って行われるものである場合、それ以外の宗派の信者にとっては、やはりありがたみは感じないでしょう。葬式は仏教、結婚式は神前、でもクリスマスも祝う、というようなごちゃ混ぜ宗教信者の平均的日本人なら、特定の宗派の形式に則っていても、無宗教でも、どちらでもオッケーかもしれません。

> ですからそれは「靖国神社」がやってることであって、政府が主導している状態ではないんですが。

説明不足でした。これは戦時中の日本のことを言っております。つまりね靖国神社が建立されて以来1945年8月15日までは、「生者の目先の政治的な都合を死者に優先させ」るための施設そのものだったんじゃないか、ということです。

> 首相である小泉という個人が自分の意志で参拝することについては、その動機の不純さは彼の場合は批判しますけど、その行為自体を否定する権限や資格は僕にはない、と言っているわけなんですが。

内閣総理大臣に「個人」などというものがあるわけがないと思います。

> 「本当は死にたくなかった」からこそ祀る必要性が出て来ると考えた方が、むしろ自然です。

本当は死にたくなかったものを「名誉の戦死」とか「英霊」とかと美化して祀ることは、当時の国家にとっては「必要なこと」だったでしょうね。しかし本人たちはどうだったでしょう。

> お寺さんで柏手を打つのは単に文化を知らない無知な輩だけでしょう(苦笑)。

だとしたら、日本人は「文化を知らない無知な輩」だらけです。お寺で柏手を打つ人は、かなりよく見かけます。もちろん、それは厳密に言えば間違いです。しかし許容されているのではないでしょうか。モスクで十字架を切ったら許容されないでしょうが。

> そして実際の多くの参拝者にとっての靖国の機能もまた、少なくとも戦後は明らかに「悲しいけれど、靖国に神として祀られることはせめてもの慰めになる」というレベルの問題であり、遺族の会などが靖国に政治家が詣でることを求めるのも明らかにその程度の感情(つまり、無駄死にとかではなかったことを保証して欲しい、というようなこと)でしょう。

この部分については、今回の議論とは別に考えなくてはならないテーマだと思っています。というわけで、改めて別に検討したい。(時間がないけど)

> ではいかなる理由によって首相の靖国参拝に反対しておいでなのでしょうか?

散々説明したので繰り返しません。

> それを判断するのは個々人の倫理であり良心、ならびに現実的判断力であって、他人が介入することではありませんが。

首相という立場の人間がとういう「現実的判断力」をもっているのか、というのは首相個人の問題では済みません。「現実的判断力」によってどういう判断をして、その結果どういう事態を招いたか、それについて首相という立場の人間は国民の批判を浴びなければなりません。

> > これだけ世界の注目を浴びている中で首相が靖国神社に行くのは、すでに個人の私的な行為ではありません。
>
> そこがおかしいし、全体主義なんですよね。

なぜですか?
小泉は、総裁選で靖国神社に公式参拝することを公約にしました。「私的な行為」を公約にする人がどこにいますか?そして、その実際に参拝することで公約を半分実行したわけです。(半分というのは、「公式」ということを明言しなかったから)
いったいどこが私的な行為ですか。

> パブリック・パーソンなんですからパブリックな行為になるのは当たり前ですけど、パブリック・パーソンにだって…というよりパブリック・パーソンであればあるほど、自らの思想信条は明確に表明すべきですね。

「パブリック・パーソン」が表明した思想信条の中身が評論や批判の対象になるのは当然のことだと思います。