| 35138 | 返信 | Re:首相の靖国神社参拝に反対する | URL | 水原文人 | 2005/05/17 14:13 | |
| クマさん。 > > > > > より正確な言い方をするならば、他の点−つまり侵略戦争への総括、個人補償、教科書問題、閣僚の舌禍・・・・・・・・・といった問題が積み重なったその上に象徴として靖国問題がある。本来的には靖国の問題が日中間の最大の対立点ではないと思います。ですから、土台の部分をきちんと清算できれば、靖国神社参拝など大した問題ではなくなるでしょう。しかし小泉にそれができるとは思えないのです。 > > > > > だから「靖国参拝」それ自体が首相としての資質を左右する、とは言えんでしょうが…。要するにそういう踏み絵的なレッテル貼りはやめましょう、と私は言ってるんですけどね。 > > 議論を読んでいて思うのですが、(「靖国参拝は首相としての資質を左右する」というのは日本語として正確な表現でないように思いますが) 日本語として以前に、何語でも論理的におかしいです。「資質」とは「(首相として)どれだけのことができる可能性があるか」の問題であって、「首相としてやったこと」(結果)それ自体とは違います。その結果から判断するに、どれだけ今後首相として適任であるかの「資質」の問題を考えるんなら分かるんですけどね。 > これはつまり過去の我が国が犯した過ちに対して政治指導者がいかなる態度をとるかという まさにその問題なのですが(だから「政教分離」を持ち出すべきではない)、 > まさに「踏み絵的」な問題なのであって、なぜそのような判断を水原さんが「やめましょう」と呼びかけているのか、その根拠がいまいちわかりません。 それが「踏み絵」(つまり是か否かの二元論)的レベルで議論されること自体には、大いに問題があります。まさに「史観」の問題であります。 > 政治指導者による靖国参拝という行為は、過去の侵略に対する無反省という態度とセットであり、 それは「靖国」を個々人がどう位置づけしているかによるでしょう。ただし小泉純一郎はパブリック・パーソンですから、自らがどう位置づけをして参拝をしているのかを説明する責任があります。そして彼はまったくそれをやっていません。こと靖国が外形的にーーというのは日本国内でどういう政治的文脈で見られているか以前に、靖国自体が初めて行って見たり、テレビで見たときにどう見えるかという次元でーー「ああいう存在」なんですから(遊就館なんてほとんどキッチュ)、ますますその説明責任は大きい。 > またそのように見なされることは当然であり、実際にそのように見なされ、国際的に重大な結果を招いております。こうした一連の事実は、彼の首相としての資質を我々が判断するにあたって重要な要素であると思うのですが。 ですからそれは「参拝」それ自体が資質を左右するという踏み絵・レッテル貼りレベルの話ではありませんし、そのレベルの議論で済ますべきことがらでもありません。 > > > > あの…。問題がズレまくってます。そもそも靖国に参拝するかどうかは本来日本の国内問題であり、侵略戦争についてどう反省するかも日本人の問題なんですから、中国がそこに自国の国家主義的なエゴの都合を押し付けることはおかしいといえばおかしい。 > > 国内問題とか国際問題という言葉をどう考えるかという定義の問題なのかもしれませんが、靖国参拝は中国や韓国の国内世論が沸騰するという意味で、それらの国の国内問題にもなります。仮に敗戦記念日に小泉が参拝し、それに対して中国政府が何の抗議も行なわなかったら、中国政府は中国民衆の支持を完全に失って傾くでしょう。 外交的な現実主義の問題としてはそれを考慮する必要も出て来ますが、そうやって「対外配慮」だけで表面上取り繕っておこうとし続けたことこそ、「靖国」も含めて「歴史問題」で日本が不信感を招き続けている大きな原因だと思います。 > そもそも靖国問題とは、最高レベルの国際問題??つまり侵略と植民地支配??にかかわる問題であります。一国の問題だけで終わらない問題を国際問題と我々は通常呼んでいるのであって、靖国問題は「本来日本の国内問題」などとは言えないことは明白です。 「真摯に反省する」というのは、自己に対して自己の過去をどう評価なり批判なりをするのかの問題です。その上で、その反省の態度を他者がどう評価するかの問題があります。中国の圧力があるから靖国参拝はやめましょう、とりあえず謝罪しておきましょう、では「真摯な反省」ではなく、ただ一時的に相手を言い負かしたみたいなレベルで終始して、それが延々と繰り返されて終わりです。 ドイツの戦争犯罪や人道に対する罪への反省の姿勢を引き合いに出して「日本もそうするべきだ」という模倣の論理には反対ですが、しかしドイツのたとえば最近のホロコースト慰霊碑@ベルリンの完成にしても、ドイツが戦後一貫してやっていることはやはり評価すべきだと思います。ドイツはまさに「自分たちの問題」としてナチズムを反省し、批判し続け、その「真摯な反省」が対外的に評価されていることです。 日本のやっていることは、「謝ったんだからもういいでしょ」的な、表層の取り繕いでしかありません。 > 小泉首相は昨日の国会でもそのように主張していましたが、そのようにいくら「これは日本の国内問題だ」と叫んでみたところで、それはやはり粛々と国際的に問題とされるでしょう。 僕が言っていることは小泉が言ったこととはぜんぜん意味が違いますけど?
ここを読めば全然意味が違うことは分かるはずですが、なんでそこを見落とすのかと言えばやはり靖国アレルギー、踏み絵にしてレッテル貼りして「謝った」表層さえ装えばいいというメンタリティが作用しているように思えます。 > 侵略戦争についてどう反省するかは、道徳的な見地からいえば確かに日本人自身の問題であります。しかし、それは常に被害者の存在とあわせて考えられるべき問題であります。 道徳的見地で「真摯な反省」をするのでなければ、他人に配慮して「とりあえず謝っておきましょう」で終わりでしょう? > 被害者の感情を「それは国内問題だ」といって無視しようとする小泉首相などの立場が、まさに過去を反省しない日本人自身の問題として国際的に問題にされているのです。 違いますね。本来なら自分自身の問題として問いつめるべきことを、表層的な取り繕いだけで「謝りましたよ、もういいでしょ」とやってるから、いつまで経ってもそこを突っ込まれるんですよ。 > > > > > 説明不足でした。これは戦時中の日本のことを言っております。つまりね靖国神社が建立されて以来1945年8月15日までは、「生者の目先の政治的な都合を死者に優先させ」るための施設そのものだったんじゃないか、ということです。 > > > > > ほぼ明らかに違いますね。元々は戦争で戦死した人を祀る自然な感情から出て来たものでしょう。 > > この水原さんの解釈はほぼ明らかに違いますね。靖国神社を建設した明治政府なり、戦死者を祀る国家施設を提唱した福沢諭吉などにしても、そんな感傷的な気持ちで靖国神社を建設したのではありません。 なぜそう断言できるのでしょうか? 少なくとも「そんな感傷的な気持ち」を政治利用する意図は確実にありますけど? そうでなければ「靖国」が機能するはずもありませんが? > 「戦死した人を祀」ろうとするのを「自然な感情」だと一般化するのにも疑問符がつきますが、 どうみても自然な感情でしょう。「死」について、それが尊い犠牲であるからこそなんらかの意味付けをする必要が出てくるのは人間としてあまりに自然な感情です。ただの「死」以上に辛いのは、それが「無駄死に」であることです。 > それはともかく、死者(戦死者という特殊ではなく死者という一般)を祀ろうとする民衆の「自然な感情」を、むしろ靖国神社は圧殺した施設であったことも忘れてはいけません。 ではなぜ今もなお、靖国に遺族の方々が参拝をし、その遺族の票を利用しようとして小泉がわざわざ公約にしたりするんでしょうか? > 靖国神社が政教分離の観点からも特に問題視される背景には、靖国および靖国の論理(「靖国神社は宗教施設ではない」などといった論理)が他宗教を抑圧し、脈々とあった民衆の祭祀を圧殺してきた歴史的経緯があります。 それは戦前の問題です。今では一宗教法人です。 > いずれにしても、靖国神社は国家による戦死者の管理と利用の発想から出発し、実際にそのように運用された、極めて政治的で人為的な施設だと考えるべきであろうと思います。 そうであったのなら戦争直後に潰しておくべきでしたし、また潰すまでもなく自然消滅していたでしょう。現にそうはなっていませんね。 > > 要するに個人の信仰や宗教行為が「首相としての資質」を左右するってことですか? そりゃ特定の宗教に対する弾圧の思想であり、ファナティズムであり全体主義そのものじゃないですか。 > > というか、過去の侵略に対してどのような態度を取るのか、という問題でしょう。 ですから、その問題でのみきっちり論じるべきです。それを60年間怠って来たことが最大の問題ではないでしょうか? 靖国に行くか行かないかなんてのは、その本来の重要な(そして我々にとってはたぶんに辛い)議論を隠蔽して先延ばしにするための言い訳にしか見えんわけですね。 > 世のなかには「日本は常に正しく、過ちを犯したことはない」と信じる「個人の信仰」を持つ人もいるでしょうが、そういう人には首相となる資質はないと判断するべきでしょう。 その通りですよ。そしてそのためには、靖国それ自体をわざわざスケープゴートにする必要はありません。 |
||||||
![]() | ||||||