35154 返信 根本的な疑問、なぜ【悪人;咎人】と判定された人を祭ることが【政治】的に好ましくないのか。 URL 工藤猛 2005/05/18 14:34
A級戦犯に指定され絞首刑にされた日本人を祭っているから
日本国の首相は靖国に参拝してはいけないという。

某国の不倶戴天の敵である人物をある時期の国際法的な法廷で裁いたら
選挙で選ばれた首相であろうとも他国の政権大幹部は
日本国に「なになにをするな」と禁止命令を下すことが出来るのか。

本当だろうか。
毛沢東はたくさんの無辜の人を虐殺してもいいとする命令を発した。
今でも天安門には巨大な肖像が飾ってある。なぜ飾る。
時の政権が許しているから、敬えと。
国際法廷で毛沢東が裁かれたことはない。
歴史の経過では既に国内でも海外でも裁かれている。
功績もあったけれど悪行は凄まじかったと評価されている。

極東軍事裁判でA級戦犯と指定され、私は犯罪者ではないと主張しながらも
日本国総体の為に従容として判決に従い絞首刑に晒された一国の首相を
靖国に奉って何が悪いのだろうか。靖国神社のかってだろうが。
戦勝国の極東軍事裁判所の当時の機構に許可が要るのだろうか。
どこに現存しているのだろうか。強制力はなんだったのだろうか。
人類の正義だったのだろうか。無辜の民への原爆投下を裁きもしなかったので
人類の名での正義は極東軍事裁判にはなかった。敗戦国への復讐があった。
復讐はなされた。東条英機も罰を感受して絞首刑にされた。
一件落着だろうに。その後に講和もし実質の賠償もした。後何がいる。

日本国が独立を回復してから死刑囚の死後にどのような待遇を与えようと
自由ではないのだろうか。まして民間有志で運営されている靖国神社に
東条という一個人を奉ることに中国共産党の許可がいるのだろうか。
神社というのは不可思議なもので氏子にも本来の祭神が何か不明のことがある。
天皇の政権に滅ぼされた側の地方政権、有力者側の神社には特に言える。
おそらく天皇制が確立しようとした初期には「体制側」から何々を祭るなと
禁止命令があったのだと思う。そうなると禁止された側は隠れて祭ることになる。
あれやこれやあって「本当」の祭神が不明という神社も出てくるのは避けがたい。
江戸時代のいつからはなになにが祭神ですと時代を区切ってはいえる神社もある。
まるで不明の神社もある。いわれのハッキリしている神社もある。

なぜ靖国に東条の「霊」が祭られて悪いのだろうか。
現代文明人は説明できるのだろうか。
悪人だから。「国際法廷」で戦犯とされたから。
中国共産党がダメだと言っているから。
靖国神社自体を認めていないから。

神社の性格を本当に知っているのだろうか。
宗教施設なんだよ。博物館でもないし、記念館でもないんだよ。
日本国では特殊なことに個人の名を冠した神社の存在ですら
日本国内の宗教心では成立するんだよ。
東郷神社はあるが東条神社がないだけだ。
第二次大戦に勝利していたら東条神社を作っていたかもよ。

神社と氏子の性格知ってる。
正式の登録氏子名簿なんてないんだよ。正式に氏子証明書も発行しない。
神社を運営管理している神主が全氏子にこの神社の祭神は何々であるので
この神に忠誠を捧げろとは命じていないんだよ。どの氏子が何を敬って
神社にこようとも神主は感知しないんだよ。かってに神主の役目を
しているだけだ。宗教組織的に言えば無秩序のアナーキーだ。
神社という「聖なる」空間があって参拝者がそれぞれ勝手な思いで
参拝しているだけだ。受験に「効果」のある神社があったり
子宝に恵まれる神社があったり、それぞれの職種、職業にあった神社がある。
船員の神社もあれば、軍人の神社もあるさ。ごったまぜだ。
この世には密かに泥棒が信奉する神社があったって不思議ではない。
神社というのはおおらかすぎるほどに無秩序だ。
人間の生活そのまんまに混沌としている。

きわめて単純なんだ。
神社がある。
参拝者もある。
存続している。
神社に参拝するそれ自体が宗教的な行為になる。
人々の生活を律する絶対者はいない。絶対命令権者は存在しない。
汎神論の奥義は人々の自制心と日々の暮らしへの配慮にある。
絶対神に命じられなくても規律ある生活を日々行うことだ。
参拝者にその神社が宗教教義上の制限を加えることはない。
極悪人でも参拝できる。参拝するのに資格はいらない。
たぶん人間以外でも拒まないと思うよ。
ネズミがたまたま参拝のしぐさまがいをしていたら
周りの人は素直に見ているだけだと思うよ。
ばあさんに言われたもんだ。神社にいる蛇をいじめたらいけないよと。

そもそもの理屈としてむしん論者と有神論者の間で
靖国神社に関して会話が成り立つのだろうか。
ドウ考えても成り立たない。
近代政治思想で「信仰の自由」を優先するのか
政治性を優先するのかの娑婆の論理しかない。
死んだ後の人の祭られ方をどういう理屈で共産主義者(むしん論者)である
中国共産党の大幹部が靖国神社を大事に思っている人に
命じれるのだろうか。発想そのものに疑問を持つ。
なんなのかと。

きわめて簡単に言って
神社を認めてしまったら
東条英機を祭るのを原理的に阻止することはできない。
死者を誰が束縛できる。しかも融通無碍な死者の物質とは無縁の魂の領域だ。
1946年に刑死した人間を2005年にむしん論者の中国共産党が
他国の死者の祭り方にあれこれ指図を加えれる【権限】があるわけがない。
現代世界の一般常識ではないのだろうか。
17世紀の欧州でのむごたらしくも熾烈な宗教戦争を現代に再現してどうする。
教科書問題や歴史認識問題や虐殺の人数問題ならまだわかる。
宗教心に踏み込んで奈落の底にでも生きたいのか。

靖国に関心のある人で宗教心に共感する人は何人いるのだろうか。
むしん論者には【魂】や【宗教】や【伝統に培われた信仰心】を
理解するのは不可能だよ。
人と人との間で了解不能の感情も理屈もあるのだと思う。
あるものはあるんだから文句言ったってはじまらん。
分からない人、納得しない人、反対する人がいたって当たり前だよ。

現実の生活に理不尽に介入する時は徹底して討論しようよ。
遠慮することはない。態度を変える必要のあるのは中国共産党の大幹部達だ。

死者の魂の扱いに宗教心や信仰心のないものに靖国を語る資格はない。
もちろん宗教的に語る資格がないという意味だ。
政治闘争的にはいくらでも語れるだろう。
区分けが必要だと思う。

現代に神社の歴史と存在を認めてかつ近代的な信仰の自由を政治的に認めて
靖国神社からA級戦犯を排除せよと政治的に要求する勢力の
論理整合性がわからない。政治的な要求であるのならばありえるだろう。
神社という宗教施設に政治的な要求をしてどうする。

宗教より政治が優先するという中国共産党大幹部の論理に屈して
日本人の安寧に何かいいことでもあるのかね。

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(基礎講座)

魂は肉体から離れて客観的に存在するのでしょうか。
言い方をかえれば魂は能動的に生きている人間に魂側から
積極的に生きている人間に影響力を及ぼすことが出来るのでしょうか。

答え
【魂】は消極的です。
【魂】は人間が思い出さない限り見えないし感じ取れないし触れないものです。
 1000年前に生きていた人の思いを現代人が再発見したら彼、彼女の魂は
 その再発見した人にのみよみがえります。生きている人が思い返さない限り
 魂は見えません。だから特定のごく限られた人しか魂を感じることが出来ません。
 魂は慎み深いのです。魂は生きている人に危害を加えません。実体がないのです
 から。思い出した人としか一緒に生活しません。
 むしん論者にはみえません。むしん論者である共産主義者にもみえません。
 子供の頃、祖母や両親や親類の人から教わらない限り、物心付いてから
 まして大人になってからでは魂との付き合い方を習うのは無理でしょう。
 現代日本で言えばサンタさんは実在していると素直に信じている幼子の段階で
 決まるのだと思います。そういった意味では風習としての宗教観は歴史とともに
 消えてゆくこともあります。絶対的なものではありません。

【魂】があったって人間の幸福に邪魔にならんと思う。
 東条英機の魂も、もともと邪悪ではないのだから和魂(にぎたま)になりやすい
 タイプだと思うよ。官僚としてガラにもなく能力を超えて大戦争時の首相になった
 凡人なんだから。利害関係者を取り仕切れるだけの権限も才覚のなかった人だ。
 残念ながらね。戦後60年経って対外戦争もしないでこれだけ豊かになったのを見た ら満足していると思うよ。資源ごみの出し方については今でも靖国で
 ぶつぶつモンク垂れてるかもしれんね。好々爺になっているよ。
 中国共産党大幹部と同じ感想を持つ必要性はない。

(けつろん)
 肉体の死後に魂はあるともないとも言える。
 生きている人間に魂は影響力を積極的に与えるともいえるし
 何の影響力もないともいえる。
 中国共産党の大幹部には靖国にある東条英機の魂が怖いのかもしれない。
 なんか日本国の安寧にとってよからぬ秘密の計画を練っているから怖いのかも。
 現代日本の達成している庶民の幸いを理不尽に妨害するのならば
 靖国の東条の魂も怒るかもね。ドウ考えても中国共産党の属国にはならんわな。