35192 返信 Re: 「無宗教」はそんなにいいことか。 URL とほほ 2005/05/20 04:32
>  「無宗教の戦没者追悼施設」を作るということは、単に役立たずの新しい役所を一つ増やすだけだということは千鳥ケ淵戦没者墓苑の例からも明らかであるが、ましてやその千鳥ケ淵戦没者墓苑自体を改組拡大して靖国神社に変わる追悼施設にせよなどという案は現実を何も知らないものの空論としかいいようがない。

当たり前の事である「無宗教の戦没者追悼」等と言うのはありえない、「死者への追悼」とは宗教行為そのものであって勝手に言葉を作り上げる八木沢氏の言動には辟易する。これはinti-sol氏の言うとおり、普通は「特定の宗教にとらわれない」と解釈すべきであろう。

国事行為から特定の宗教を排斥するのは必要な事である、がそこに宗教がないと言う事はありえないのである、その国事行為が行われるにはその社会で通念的に理解されている倫理観や思想宗教観がいずれにせよ影響する。欧米でも国事行為から特定宗教を廃するのは常識とはなっているが、それでも基礎にあるのはキリスト教的宗教観である。

肝心なのはキリスト教的宗教観を国民が受け入れていると言う事である、受け入れていない人間もいるだろうが、そう言う人はキリスト教的宗教行為を拒否する自由を持つし、キリスト教と言う宗教はそれを全く受け入れる。天皇教はそうではないのである。

神道や天皇教と言うのは民衆の宗教ではなく体制の宗教なのである。日本の地方地方に存在した民間信仰を八百神と定義してその上に君臨するものとして津々浦々に鳥居を建設していったものが神道である。だから神道には体系的教義などというものがない、神道の目的は体制に殉ずることを民衆に目に見える形で具現化することにある。

しかも、その天皇教は悪行を行った。
これは避けられない事実だ。その反省もせぬ宗教が民衆に受け入れられるはずもない、天皇教自らが自己批判しどこが間違っていたのかを明らかにせぬ限り天皇教を国事行為とすることは、悪の具現化に過ぎない。悪の正当化に過ぎない。

オーム真理教が宗教だからと言って民衆がそれを許容しないのと同じである、天皇教とオーム真理教は同じ穴の狢である。