35196 返信 植民地主義、英国と日本の違い(3) URL 小林 哲夫 2005/05/20 08:30
うちはだいこさん  はじめまして

うちはだいこさんは、私が植民地主義賛美論者だと書いていますが、それは水原文人さんと同じく誤解です。
水原文人さんのような人が誤解するのはおかしいと思って、詳しく弁解しなかったのですが、誤解する人がこれほど多いのでは弁解しておいた方が良さそうです。

植民地主義は異民族支配と言うことで、この点で決定的に否定されるべき思想です。
必ず人種差別、民族差別が起こりますから、現地の反乱を招き、結局は放棄せざるを得ないシステムです。
このことを私は決して否定しているのではありません。

私が言っているのは、うちはだいこさんのように、植民地と言う言葉を聞くだけで「100%悪」と反射的に考えることに対する疑問です。

歴史をそのように単純に理解しては、真実が見えなくなる、ということです。

植民地主義の功罪を冷静に計量して、歴史の教訓とすべきだ、ということです。

功罪の「罪」の方は既に充分強調されていますから、私は「功」の方を強調しているだけです。

「イギリスはインドを文明化しようとした」という私の文章をイギリス賛美のように理解するのは、全くの誤解です。
まずイギリス人が当時そう考えた、ということを言っているだけで、私が言っているのではないことは当然のことです。
これも、イギリスの海外侵略を悪意だけで理解しては間違いで善意もあった、ということにすぎません。

また「文明」と言う言葉を、絶対的な善という印象でうちはだいこさんは理解していますが、これも当時の西洋人が自分達のことを一方的に文明国と自称した、傲慢な言葉である、と私は意識しつつ使っています。

さて英国は1600年に東インド会社を設立して植民地主義が始まったと思っている人が多いのですが、これは香料などの買い付けを主業務としたもので、搾取とは関係有りません。
以後インドの綿布(インドキャラコとして人気)やお茶などを輸入していたもので、西洋人のアジアへの憧れが進出の原動力でした。
(私に言わせればこの時期は、アジアの方が高度な文明があったと思います。)

うちはだいこさんには意外かもしれませんが、インドから綿布が輸出されていたのです。
うちはだいこさんの言うモノカルチャーの傾向が現れて、原綿と綿布の輸出割合が逆転したのは1820年代と言われています。

このころから植民地支配の悪い面が目だち始め、それが見えたのが、工藤猛さんが書いた1857年のセポイの反乱です。(これは日本では幕末にあたります。)

この反乱が英国人に大きなショックを与え、植民地は採算が合わないから放棄すべきだと言う考えが出ました。
しかし結局は植民地に利権を確立してしまっていた保守派が勝って、植民地保持の政策が続くことになります。
しかしこの時「植民地を持つことは経済的には採算に合わない」という考えは常識となり、「植民地保有即国益」と言う短絡的な思想はなくなりました。

この時に英国が必要としたのは、産業革命の結果の余剰商品の販路であって、自由貿易さえ可能ならばそれでよかったのです。
つまり植民地を保持するのは、商業圏の確保のための必要悪であって、植民地維持費は必要経費に過ぎませんでした。

もしその維持費を払うことなく、商業圏が確保できたらその方が安上がりですから、日本を植民地にしようなどとは考えもしなかったのは、こういう理由です。

この時に英国がインドを未だ文明国ではない、と考えたのは、商業圏としてインドが安定していなかったと言う意味にすぎません。

英国がこの当時「文明国」と考えたのは、主権が確立して、商業圏の治安を安定させ、西洋と同一の法治国家になっでいる国のことでした。

西洋基準の主権国家(ネーション)を文明国と考え、そういう国なら植民地にする必要が無かったのです。

水原文人さんならこういうネーション論が理解出来る杜思って水原文人さんに問いかけたのですが、結局彼は解らなかったようです。

ネーションという言葉は日本人には解らないといわれていますから、ここはうちはだいこさんにも解らないかも知れませんが、ちょっと記憶しておいて下さい。