35214 | 返信 | あなたのマルクス歪曲について | URL | うちはだいこ | 2005/05/22 00:24 | |
さらにあなたは、 「マルクス主義は労働者の貧困を無くして万人平等を理想として、私有財産を否定した社会を作る思想で、これはユートピア思想の一種でした。 マルクス主義を信じた人々の多くは善意の人々で、理想に燃えて革命を目指したのですが、現実に世界で起こったことは、革命による混乱と殺戮による、惨劇でした。 現代人はユーとピア思想の恐ろしさを高い対価を払って勉強したことと思います。 」 といい、 「植民地主義もユートピア思想の一種だとみることは出来ませんか? 西洋人は野蛮国に文明をもたらして、彼らを幸福にしようという理想に燃えたのだと考えることは出来ませんか?」 といっていますね。 ようやくすると、マルクス主義は、労働者の貧困をなくして万人平等を理想として私有財産を否定した社会をつくるユートピア思想の一種だとあなたは指摘し、植民地主義もユートピア思想のひとつだったと、あなたはいっている。 つまり、あなたは、植民地主義のユートピア思想=マルクスのユートピア思想と主張しているということになります。 あなたは、マルクスを引き合いにだしているではありませんか? しかし、そもそも、マルクスは、労働者の貧困解決をなくして万人平等を理想としたというあなたの、恣意的な主張自体が、デマであるということです。 というのは、あなたが、主張している、「労働者の貧困解決をなくして万人平等」 を理想とするのは、フランスの空想的社会主義・ユートピア思想であり、マルクスが対置した共産主義とは別のものであるということです。 具体的にいうと、労働者の貧困解決だの平等だのは、改良主義ないし空想であって、 労働者の貧困解決というレベルではなく、支配関係を覆すこと、つまり労働者がブルジョア階級にかわって社会の主人になるということを、マルクスは提起したわけです。 つまり、労働者の貧困解決なるものは、改良主義・空想であって、資本主義である限り、その改良主義的なものでは、解決されえないと指摘したのがマルクスです。 また、平等とは、ブルジョアジーが、封建社会を暴力革命で打倒したときのスローガンです。平等とは、身分制度からの、自由と平等というスローガンでしかなく、平等=社会主義だというのは、大変浅はかな意見です。あなたは、マルクスの主張を曲解しているのか、あるいは読んでいないのかのいずれかでしょうか。 そこで、あなたは、マルクスは、過去の遺物ではないか、と主張してこざるをえない。 であれば、資本主義原理論は、アダム・スミスによる、産業資本擁護理論として つきだされた、古典派経済学を元祖としていることはどうなるのでしょうか。 つまり、現代「資本主義」は、マルクスよりも過去の「原理論」で貫徹されているということとなるのですよ。 さらにあなたは、革命が混乱と殺戮による惨劇だと、恐怖感をあおっています。 だが、世界史を常識として学んでいれば、それがまったくの、論点そらしであることが 明白となります。つまり、資本主義そのものをもたらした、市民革命は、多くの血が流されたものであり、イギリス名誉革命やフランス革命、アメリカ独立革命戦争、そして 日本の明治維新、どれも血がながされています。それを、「共産主義革命」(共産革命なんて表記じたいしませんが)のみが、殺戮であったかのようにいいなすのは、ペテンであろうかと思います。少なくとも、「功罪」をみるというあなたであれば、資本主義の成立、市民革命の暴力性に目をつぶるのは、おかしくありませんか? さらにいうと、第一次大戦や第二次大戦でどれだけの血を、資本主義体制はもたらしたのでしょうか?(それに対する右翼反動家は共産主義黒書というデマゴーグで対置しようとする) スターリンの圧制は実に、許しがたく、であればこそ、世界史から消滅しようとしているのではありませんか? そういう流れで、実は、行き場を失った、藤岡信勝などの転向スターリ二ストが歴史修正主義の旗振りをしているのです。それは、ブント系なんかが、中国や北朝鮮に革命の拠点をもとめていったように、結局スターリ二ストに身を寄せてしまったことの裏返しとして、多くのブント系が、ソ連やスターリ二スト政権の破綻によって、藤岡同様に、転向してしまっている現状もあるのではないでしょうか? 小林さんのように、おそらくマルクスをかじった、学生運動家タイプのような人が、 マルクス葬送派として登場してきていると、私は認識しております。 |
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