| 35275 | 返信 | Re:中国は防衛的? | URL | inti-sol | 2005/05/25 23:55 | |
| スクイポンさん 小林氏の議論がトンチンカンなのは今に始まったことではありませんが、しかしあなたの議論もどうでしょうか。 > そうでしょうか? 中国が城塞を重視したのは軍事技術的に選択肢が他に無かったからでは? > 前近代の漢民族にとって最大の軍事的脅威は言うまでもなく遊牧騎馬民族です。その強力な騎兵部隊に対し、野戦において農耕民族が対抗する手段はありません。 馬は騎馬民族の専有物ではありません。農耕と交通手段として、農耕民族にとっても馬は必需品でした。軍隊ともなればなおさらです。 また、騎馬民族は一枚岩だったわけではないし、漢民族もまたそうです。たとえば、モンゴルは最終的には漢民族の宋(南宋)を倒しましたが、それより先に同じ遊牧民国家の西夏や、満洲族(半農半牧)の金を倒しています。その金はモンゴル系の遊牧民国家遼を倒しました。その過程で、騎馬遊牧民同士の対立から漢民族と協力したり取り込まれる集団も多々現れることになりました。 だから、隋や唐の時代の武将や官僚には、どう考えても漢民族とは思えない名前の持ち主がかなり高い確率で見られます。彼らのほとんどは、騎馬遊牧民族の出身ではなかったかと思われます。また、北周・隋・唐の皇帝一族も、出自をたどれば騎馬遊牧民の出か、少なくとも騎馬遊牧民と密接な関係にあったのではないかと言われています。 > そしてバイキングやモンゴル人等の歴史に名を残す征服者達もまた、軍事技術によって征服者となった者達です。船舶や軍馬等高い戦闘力と機動力を手中にした民族が極短期間で極めて戦闘的な存在になる事は歴史上何度も繰り返されてきた事象です。 騎馬遊牧民が馬を手にしたのは、少なくともモンゴルが中国を席巻するより遙か以前のことです。騎馬遊牧民と農耕民の確執も、長い歴史があります。モンゴル人は、別に短期間で突然戦闘的になったわけではありません。同じモンゴル系の遊牧民国家であった遼は、宋と金に挟み撃ちにされて簡単に滅んでしまいました。 > 60年前の我々がそうだったじゃないですか。 60年前の日本軍が、他国と比べて高い戦闘力と機動力をもっていたとは必ずし言えませんし(特に機動力は劣っていた)、総合的に見て、他より高い軍事技術を持っていたわけでもありません。また日本の軍事力は第二次大戦時に突然構築されたわけでもなく、明治以来の長い歴史の中で拡大していったものです。 > また、モンゴルは短期間に勢力を急拡大させた変わりに、崩壊するのも早かった。遼もそうですし、満洲族の金や清も同じですが、彼らの軍隊は、天下を取るまでは猛烈に強いのですが、ひとたび天下を取ってしまうと、まるで弱い軍隊に変わってしまいます。 > 確か琉球は清の冊封体制下にあった筈です。明治初期には日清間で帰属問題も起こっている。そして小林さんも中国が絶対に独立を認めないと考える台湾を直接肉眼で確認できる位置に存在しています。中国が南西諸島を「自衛のための緩衝地帯」の一部と見なさない保障はないと思えるのです。 見なす保障もありません。 > だって、現実に南西諸島が要塞化されれば、台湾海峡は射程距離に入ってしまうわけですから。 現状の海軍力・空軍力は中国より日本の方が遙かに上です。制海権も制空権も獲得できないで、どうやって南西諸島を占領できるのか、仮にできたとしてどうやって補給が行えるのか、補給がなくてどうやって要塞化するのか、といったことを考えると、ほとんど絵空事の世界であるように感じられます。 もし中国が本当に台湾に武力侵攻すると仮定した場合、どう考えたって南西諸島に攻め込んでくるような無意味なことはしないでしょう。 > そしてそうした中国の意図を裏付ける現象として、あの海域での中国空海軍の活動の活発化が上げられます。 活発といっても、以前の中国軍と比べての相対的な話であって、在日米軍の方が遙かに活発に活動しているのではないでしょうか。 |
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