35360 | 返信 | Re:資本過剰とは何か? | URL | うちはだいこ | 2005/06/04 06:54 | |
> うちはだいこんさん こんにちは > > 貴方は「文明」という言葉が、その時々に色々の意味に使われる、その違いに鈍感なように思われます。 > > 例えば日露戦争に際して吉野作造は > 「露国は実に文明の敵なり。故に吾人は文明のために切に露国の敗北を祈るものなり、と書いております。」 > > このときレーニンはどう言ったか知っていますか?レーニンは > 「文化的で自由な日本との戦争は、犯罪的な恥ずべき戦争であり、ロシアは日本にすでに敗れている。」 > と日本を評価していたのです。 > > このようなレーニンの「文明」という言葉を持ち出すと、私は今度はまたレーニンの擁護をしていると批判されるのでしょうか? > 私はレーニンの立場に立ってけしからんとお叱りを受けるのでしょうか? > > さて共産党宣言を読めとのご命令ですが、江戸時代の経済学をよくも現代に当てはめる気がすると驚くばかりです。 > > もう古語の領域ですので、現代語で解説をお願いします。 > > 貴方は私が藤岡信勝だと決め付けるのに忙しくて、あなた自身の考えを述べていません。 > > 恐慌を乗り切るために何故満洲侵略を行なったのか?資本過剰というのはどういうことなのか是非貴方の現代語で説明してください。 http://www.ads.fukushima-u.ac.jp/~lumi/gender_t_04.html http://www.e.u-tokyo.ac.jp/~takeda/gyoseki/kogi99-2.htmhttp://www.econ.aoyama.ac.jp/~rmiwa/lec/jphist/all.htmhttp://koho.osaka-cu.ac.jp/vuniv2001/naganuma2001/naganuma2001-4.html http://learning.xrea.jp/%C4%EB%B9%F1%BC%E7%B5%C1.htmlhttp://www.mgu.ac.jp/~stanaka/dankairon.htm 世界史のなかの日本でいえば、端的にいうと、1929年の世界大恐慌後は、先進する欧米列強がブロック経済等で守りの体制に入る事に対して、既に27年に金融恐慌に見舞われていた日本は、治安維持法の強化や31年の満州事変の様に、全体主義体制と侵略的要素を強めて対抗しようとした。 日本の侵略戦争の正当化は、大東亜共栄圏。これは、極東経済圏そのものであり、ブロック経済の一つである。 これをあなたが否定しているわけだよ。 景気過熱から恐慌過程になり戦争に拡大させていった。昭和恐慌・世界恐慌から、ブロック経済化そして世界大戦となったわけでしょう? 景気過熱によって、過剰資本と、過剰労働力をどうすることもできず、海外侵略にふみきるという歴史でしょうに。そういう帝国主義の過程をあなたは否定したいということなだけでしょう? > ホームページを教えてもらい、原稿用紙200枚分の大作を読まされましたが、そんなことは一つも書いてないのですが・・・? > > 関係ありそうな部分は次の4行ぐらいですが、私の質問の答えになっていないと思います。 > > >『特に対中国政策に危機感を抱いた関東軍は,武力によって満州を日本の勢力下に置こうとし,31年9月18日に柳条湖事件を発端とする軍事行動を開始した(満州事変)。 > > >傀儡国家である「満州国」への投資(資本輸出)も,それに対応した日本の重化学工業製品の輸出市場となり,恐慌からの脱出に大きな役割を演じた。』 > > この文章がどうして恐慌を解決するために満州事変を起こしたことになるのですか? そもそも、中国に日本軍が侵入していたなかで、 昭和恐慌・世界恐慌回避⇒傀儡政権満州への資本輸出⇒恐慌は解決されず⇒軍部台頭⇒財閥、軍需景気への期待⇒満州事変⇒日中戦争⇒中国抗日闘争激化⇒日本南下侵略政策も展開⇒アメリカと対戦 これを、帝国主義論でいえば、資本過剰の処理は、戦争で解決しようとしたということになる。 > 当時の資本過剰がどこに説明してあるのですか? そもそも、恐慌とは、資本過剰ゆえにおこるものである。 昭和恐慌の直前は、大正デモクラシーといわれ、好景気であった。 世界恐慌でいえば、フーバー景気にわいていた。 つまり景気循環論でいえば、景気過熱・好景気から、恐慌にいたるということである。 > 全て貴方の妄想では無いでしょうか? あなたは、世界大戦の根底的要因を、帝国主義の問題にするのをさけたいだけ。 |
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