| 35500 | 返信 | 歴史観 | URL | とほほ | 2005/06/15 13:43 | |
| >「魅力的な土地ではありません」けど、「憧憬」はあるのですか。 >「北方民族」にとって「中原」は、多分に観念的な存在で、一種のユートピアということでしょうか… そうです、民族と言うより権力者にとってかもしれませんがね、よそで見られるような覇権主義と中国地域を巡る覇権主義はその性質が全然違います。例えば近世に見られたようなヨーロッパ型覇権主義の場合ですと、侵略は自国領域の利益の為に行います。ところが中国の場合はそうではない。中原に都を置く事が目的と言っても過言ではない。 これは周辺地域国家(国家と書くと国民国家と混同する恐れがあるの書きたくなかったが他に言葉が無いから仕方ない)の中原に抱く幻想なのですよ。現実にはそうした中華文明なるものはそうした周辺国家が創造し発展させてきているのです。 モンゴル帝国(元)などわかりやすい例です。なぜ元が首都を中原にする必要があったのですか?ヨーロッパから極東アジア全域にいたるまで覇権を及ぼした国家ですよ。元からみれば中原地域などごく一部の言うなれば田舎文明に過ぎない。 もっとわかりやすく言えば、元という朝廷を我々は中国史に出てくる中国の昔の朝廷、と認識してますでしょ。これが中華思想なのです。しかしてその実体を世界地図的に眺めれば元が中国の朝廷である、と言う見方はあくまで中原と言う視点で見たものに過ぎないのですね。なぜそうなるのか?これはおっしゃったように「文献」が中原地域に多く残っているからに過ぎないのですが、文献の豊富さで歴史を見るとその認識を誤ります。 文献の残せない側にも歴史はあるのです。 先に紹介した「日中韓共同歴史教科書」の世に倦む日日の続報がでたようです。続報にもありますが日本の歴史学は実はそうした国家主義的文明論的歴史観から脱却し包括的な視野で見ようとする先進的な立場にあるのです。この書評でもその辺の事情について触れてます。ご一読ください。しかし中国韓国のアカデミズムは歴史学の面では後進的です。これは仕方が無い事かも知れず世に倦む日日でも中韓のアカデミズムに同情的な傾向の論評ですがしかし「歴史学は政治である、歴史アカデミーに政治が介入することは正しい」とするのははっきり言って書きすぎです。アカデミーに政治が介入してはなりません。 特に私は中国の歴史アカデミーは後退の傾向にあると思ってます。南京事件関連でも唐生智の再評価等は科学的根拠が薄弱で多分にイデオロギチックです(こんな言葉あるのか?)。しかしこれは自由主義史観のようなアホ本と対比させて右翼が利用するので釘を刺しておけばそれでも中国歴史アカデミーはアカデミズムです、決して学問を放棄した自由主義史観の議論とは全く異質のもので、間違っているわけではない。と言う事です。 ですから、なによりも先にやらなくてはならないのは自由主義史観のような歴史修正主義の放逐である、と言う書評には諸手を挙げて賛同です。 |
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