| 35510 | 返信 | Re:歴史観 | URL | 武蔵の一住民 | 2005/06/16 00:51 | |
| 「中華思想とは中原周辺地域が抱いていた憧憬に近い幻想」 との根拠は相変わらず示されてはいないのですが… 現代の日本も含めて、「中国」の「周辺地域」に「中国」への 「憧憬」がどれだけあろうが、また、「中国」中心的な史観が どれだけ根強くあろうが、それは中華思想の「周辺地域」への 浸透の結果であり(もちろん、それだけが要因ではありませんが)、 いわば中華思想の副産物にすぎず、そうした「周辺地域」の 価値観をもって中華思想と定義するのは無理です。 > そうです、民族と言うより権力者にとってかもしれませんがね、よそで見られるような覇権主義と中国地域を巡る覇権主義はその性質が全然違います。例えば近世に見られたようなヨーロッパ型覇権主義の場合ですと、侵略は自国領域の利益の為に行います。ところが中国の場合はそうではない。中原に都を置く事が目的と言っても過言ではない。 まったく根拠のない話ですが… > 文献の残せない側にも歴史はあるのです。 正統(伝統)的な判断基準からすると、これは疑問でしょう。 先スペイン期のアメリカ大陸(文字の残されている地域もあり ますが)の研究は、歴史学ではなく文化人類学でなされるものです。 ですが、これは大いに議論の余地のある問題と言えましょう。 問題の一つは、どこからが歴史の始まりかということですが、 それには、考古学や古人類学の研究成果が参考になるのかも しれず、現在の考古学や古人類学が人類史最大の転換点とする 「真の新人」の登場以降というのも、一つの候補たりえるでしょう。 > 先に紹介した「日中韓共同歴史教科書」の世に倦む日日の続報がで たようです。続報にもありますが日本の歴史学は実はそうした国家主義的文明論的歴史観から脱却し包括的な視野で見ようとする先進的な 立場にあるのです。この書評でもその辺の事情について触れてます。ご一読ください。しかし中国韓国のアカデミズムは歴史学の面では後 進的です。これは仕方が無い事かも知れず世に倦む日日でも中韓のア カデミズムに同情的な傾向の論評ですがしかし「歴史学は政治である、歴史アカデミーに政治が介入することは正しい」とするのははっき り言って書きすぎです。アカデミーに政治が介入してはなりません。 随分と大胆なことをおっしゃるものだと思います。こういう場合、 普通は気付いても黙っているか、あえて深く考えないようにする ものだと思われますが… まあだけど、一国主義的歴史観を批判的に乗り越えていこうと する立場を推し進めていけば、当然の帰結ではありますが。 |
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