35523 | 返信 | Re:歴史観 | URL | 武蔵の一住民 | 2005/06/16 23:18 | |
> 現実がそうではないですか(^^; > では、何が目的で中原に都を置いたのか根拠を示して提示してみてください。 中原の定義は曖昧で、時代によって変遷がありますし、同時代でさえ、 共通認識があった可能性は低いとみるべきでしょう。 たとえば、もちろん時代によって異なるとはいえ、北京や西安が 中原との認識がどれだけ共有されていたか、微妙なところだと 思いますが。 そもそも、仮に「北方民族」が「中原」への「憧憬」からそこに 都を置くこと、また「中原」を制することを目的にしていたとしても、 「中華思想とは中原周辺地域が抱いていた憧憬に近い幻想」との見解の 根拠にはまったくなりませんが。 現代日本で一般的に使われる意味での中国において、古くより自勢力の 中心地を中国(中域)という特別地域と称し、周囲を夷狄(名称は 多様ですが)とする中華思想の原型が誕生し(必ずしも単一の中国 観があったわけではありませんが)、それが戦国・秦・漢以降、 変容しつつも受け継がれてきたことは、否定のしようがないと思う のですが。 その過程で、現代において「中原」とみなされることの多い黄河流域が 大きな役割を担ったこともまた否定できず、どうして「中華思想という 発想が中原地域に元々あったわけではありません」、「中華思想とは 中原周辺地域が抱いていた憧憬に近い幻想」との解釈がなされるのか、 まったく理解できないのですが… > ただ、私がこう言う歴史観に至るべく影響を受けた書籍はあります。この問答板でも何度も紹介している本ですが、 > 杉山正明著『遊牧民からみた世界史』 > と言う本です。 杉サマですか… 私は杉サマの著作をほとんど読んだことはなく、その内容も はっきりとは思い出せないくらいですが、東洋史専攻の方々に 伺うと、日本でも根強い中国中心史観を崩そうとして、勇み足も 多いのだとか… 余談になりますが、東洋史専攻の方々に伺うと、同じくモンゴル史 の泰斗である岡田英弘氏にも、同様の傾向が見られるとか。 ただ、杉サマの場合、既成の枠組みを崩そうという功名心のあまりの 勇み足だそうですが、個人的には、岡田氏にはそれと違うものがある ように思われます。 岡田氏の見解は、従来からの中国中心史観を否定するものとして、 中国嫌いの人々も歓迎しつつ引用することが多々あるのですが、 岡田氏は、そうした人々の反応も計算の上であえて極論を述べ、 自分の見解に無邪気に喜ぶ人々を内心ではせせら笑っているような 感を受けます。 とてつもなく頭が良いのだけれど、底知れない冷たさと意地悪さも 同居しているように私には見受けられます。 まあ、私の直感にすぎず、証明できることではありませんが… |
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