35531 返信 Re:むにゅー氏は久々のヒット作ですねw URL とほほ 2005/06/17 06:14
> > おやおや。朝鮮人は日本と戦って独立を手に入れていませんし、抗日パルチザンが日本帝国軍と戦闘をしたこともありません。(35521)

この人何を言っているの?(^^;
パルチザンの日本人虐殺事件も無かった事にするわけ?じゃ、何のために日本軍はシベリアに駐留したの?「居留民の保護」なんてのはそれこそデッチアゲだったのね(^^;

以下
思考錯誤掲示板15年戦争時、【侵略】は世界の常識?より。

<前略>
1920年の様子をみれば4月にアメリカがシベリアを撤兵してからシベリアに駐留しているのは日本だけとなります、つまり1918年から日本とアメリカは共同でソ連に武力干渉していたのです、注意すべきはこのとき日本軍が駐留していたのはソビエトではなく極東共和国である、と言うことです、こう言うことも知らないようじゃ北方領土問題を語る資格もありません、結局このシベリア駐留は4年に及び戦費9億円と3千5百人の戦病死者をだしてます。

一次大戦後の世界はそれまで帝国列強が築いてきた植民地支配帝国主義国際秩序の終焉です。一次大戦をほとんど無傷で過ごしヨーロッパの惨状も知らず一人帝国主義を未だに気取ってシベリア駐留を続けている日本はパルチザン部隊の攻撃(尼崎事件)にあい、これを口実に北樺太へ出兵し国際的な批判を浴びるようになります。

そして1921年の9ヶ国条約、4ヶ国条約、海軍軍備縮小条約が締結されるのです。これを強く認識してください。この条約に加えて日本が約束したのはシベリア撤兵と旧ドイツ権益の中国への返還(中国の補償金支払いが条件)です。
これが一次大戦後の新しい国際秩序となりワシントン体制と言われるものです。
アメリカが国際政治で発言権を持つようになるのはこれ以降です。

1922年にシベリア(極東共和国)撤兵したが、尼崎事件を口実に北樺太には依然として駐留するわけです。これにより極東共和国は日本と対抗するためにソ連に合流するわけです。極東共和国は反共政府だったのです。極東共和国はソビエト政府との国交のなかった日本にとって唯一の交渉窓口だったわけです。さらに日露戦争のポーツマス条約は帝政ロシアとの間に結んだものです。
ソビエト政府発足が1917年で1925年に日ソ基本条約を締結します。