| 35569 | 返信 | 平和民族日本(2) | URL | 小林 哲夫 | 2005/06/18 21:41 | |
| 平和民族日本の歴史について、時代を追って書いているわけですが、私の主張は勿論日本には全く戦争が無かったというような極端なことを言おうとしているのでは有りません。 西洋や中国と同じく、戦争ばかりしていた時代もあるのは事実だが、歴史全体を通じて、その回数が少なく、残虐性が少なく、全く戦争が無い時代という奇跡的な経験を持っていることを、知って欲しいのです。 歴史全体を眺めることで、日本人の平和志向の民族性が解って来るように書いていきます。 従ってこれ以後はどのような戦争があったかということも説明して行きます。 (2)第一期抗争期 弥生時代;紀元前5世紀 日本に稲作をもたらした渡来人は、戦争と言うことに慣れた人々で、この渡来人が戦争を日本に持ち込み、日本でも戦争という現象が始まりました。 この頃戦争が多かったことは、環濠集落の遺跡により確認できます。 (これ以前にはこういう戦争関連の遺跡が見つかっていないことから、この頃が戦争の始まりだと推測されています。) この時の戦争の理由は、農耕用地の奪い合い、と考えられます。 しかし渡来人と従来の縄文人が戦った形跡はないので、渡来人が原住民を征服したのではなさそうです。 (3)第二期抗争期;紀元前3世紀 集団の規模が大きくなって、土地不足が生じて、近隣集団との戦いが発生したようです。 (4)金属製武器;紀元前2世紀頃。 青銅製武器、次に鉄製武器がもたらされました。 (5)第三期抗争期;紀元1世紀 ポリス的性格のクニ同士が国家統一に向けての覇権争いの競争・戦争を行ないました。 中国王朝から鏡などを授かって権威付けを行なう動きが活発化しました(紀元57年;奴国王印が有名)が、争いは征服戦や殲滅戦というよりは、多くの場合戦わないで平和的な統合が進みました。 (6)巨大古墳時代;3世紀 卑弥呼を共同擁立するような形で大きな単位に集約されていきました。 これがこの時期の「戦争によらない集約」の好例です。(魏志倭人伝;卑弥呼時代;239年) 引き続き国家統一を目指した覇権争いの戦争もあって、その競争に勝つために中国王朝に朝貢して、中国から認めてもらって自らの権威を高めようとする動きがますます盛んに行なわれました。 古墳から埋葬太刀が沢山出土する様子から、この時代は英雄時代の様相だったと想像できます。 朝鮮に鉄資源を求めて出兵しましたが、一方本土側に築城の形跡がないところから、朝鮮から侵略される恐れの方は感じなかった様子が伺われます。 以後日本人は、海外から侵略されることを心配しないという伝統の中で過ごしてきました。 (7)大和政権成立;4世紀 日本全土は文化的にはすでに均一化(単一民族化)していたので、話し合いによる妥協が容易に成立し、統一はスムースに進んだようです。 異民族を征服し、統一し、支配するためには、言葉が通ぜず、文化も違う相手ですから、軍事力でいや応無しに押さえつけるということも必要になる場面が多くなります。 日本の場合は殆ど単一民族になっていましたから、統一のための征服戦争が有ったとしてもそれほど激しいものにはならなかったようです。 4世紀の朝鮮出兵は百済応援のためで、傭兵とか応援と言う形であって、侵略とはちょっと違います。百済応援の目的は朝鮮の資源(鉄など)の確保にあった様子です。 日本民族を単一民族と表現することを批判するサヨクが多いのですが、この時代の戦争の状態を説明するのに、この要素は不可欠です。 日本が歴史を通じて、平和だったのも、単一民族だったからという以外にありません。 |
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