| 35586 | 返信 | 平和民族日本(3) | URL | 小林 哲夫 | 2005/06/19 23:49 | |
| このころ日本人はどのような戦争をしたか?を書きます。 (8)倭の五王;5世紀; しばしば朝鮮に出兵しています。(広開土王碑;396年) この出兵は百済、新羅、高句麗、および中国との国際関係調整を目的とした政治的なもので、征服や略奪を目的としたものではありません。 この遠征の経験で武器の革新がなされました。(太刀、短甲、騎馬) この中では騎馬の受容が特に重要です。(第一次軍事革新) (9)磐井の乱;527年 地方豪族の磐井氏が中央政府の新羅遠征強行に反対して反乱を起こしました。 負けた磐井氏本人は行方不明になりますが、その所領は一族関係者が引き継いでおり、地元豪族達や一族は殲滅されていません。 (日本には一族全滅や皆殺しの戦争が少なかったことの一例です。) (10)白村江の敗戦;663年 唐、新羅連合軍に攻められた百済からの要請で、百済救援のために27千人の兵を派遣しましたが、敗戦し、百済は滅亡しました。 この敗戦で日本は初めて外国から侵略されるのではないかという恐れを感じました。 それに備えて山城・水城の建築を試みましたが実際には侵略はありませんでした。 山城や水城の城跡を考古学的に調査してみると、その城は到底実用に耐えられるようなものではなく、こけおどしに近かったことが解っており、築城した人々の真剣さが疑われます。 見せ掛けで脅せば、攻めて来ないと考えたのかも知れません。 徴兵制について 壬申の乱(671年)により律令体制を確立し、律令的軍団制(徴兵制)を試みましたが不徹底に終わり、792年には結局廃止されました。 これ以後日本では、明治時代まで徴兵制は有りませんでした。 (11)武士の登場;平安時代 古代騎兵(地方貴族および有力農民)から武士が発生しました。 嵯峨天皇の弘仁年間(810〜)以来、26代、346年間、死刑が執行されなかった。保元の乱(1156年)の時に源為義の処刑で再開された。 このような驚くべきことがあったことは、平和民族の一例として、記憶すべきことです。 平安後期の戦争の戦い方は、個人的決闘に近く一騎打ちが原則でした。 敵を殺すことより、美しく勝つことが目的でした。(威力の誇示) 源平の戦いでこの戦い方に崩れが見られ、戦いが実際的になってきました。 |
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