| 35598 | 返信 | 平和民族日本(4) | URL | 小林 哲夫 | 2005/06/20 18:55 | |
日本史の平和と戦争の様子を、時代を追って見てきましたが、平和を強調する記述は、今回、江戸時代まで来て一区切りです。 明治時代は本来の平和日本ではなくなることの説明に変わります。 (12)蒙古来襲;(1274年、1281年の二回) 日本史唯一の外国からの侵略で、このとき集団戦を経験しました。 この来襲は、普通には、日本は一方的に侵略を受けたもので、戦う以外に選択の余地は無かったことと考えられています。 しかし最近の研究でフビライ汗の国書は、通商を求めてきたものであって、服属を求めたものでは無いたことが明らかになってきました。 国書の中に「武力は使いたくないものだ」という文言があって、それを脅迫と受け取って、戦争を選んだのは時宗の早とちりだというのです。 この国書を読んで翻訳・解説をしたのが、「元」と戦争中だった南宋から来た禅宗僧であったため、故意に誤訳をして、日本と「元」を戦わせることを考えた可能性があるという説です。 また文章の中に、対等な相手に対して敬意を表する言葉で締めくくられていたことからも、敵意のこもったものでなかったことが解ってきました。(NHKその時歴史・・より) とすると日本は、外交を慎重に行なえば、侵略されることの無い国であることが、完全に証明されたことになります。 (13)南北朝時代;14世紀 このころから歩兵部隊同士が戦う集団戦が主流になりました。(第二次軍事革新) 中央政府の混乱、国内秩序の乱れ、地方の経済発展で多数の人員の戦争動員が可能になったこと等から、戦争が常態化し、山城築城ブームを招きました。 民衆が戦争に参加したのは、自分の利益(戦利品等)が目的で、強制徴用されたものではなかったようです。 (14)応仁の乱〜戦国時代;16世紀 築城ブーム 全国各地に無数の城が作られ、この攻城戦は民衆兵士・集団戦の出番でした。 注;平和民族という表現の限界 私がこの小論で日本は平和民族だと表現しているのは、戦争が全く無かったなどと極端なことを言いたいのではなく、「比較的に少なかった」という程度です。 どの程度に少なかったのかは、世界の戦争の実態を比較する研究によって、今後明らかになると期待しています。 日本の戦国時代の戦争の様子を見るとその残酷さは、西洋や中国と同じ程度のようで、戦争と言うものは、その戦略、戦術に至るまで世界共通のものなのかも知れません。 しかしそれでも戦国時代の日本全体の治安の状態は、当時の西洋、中国よりは安定していたと私は想像しているのですが、今のところ勉強不足で、自信を持って書くことは出来ない状態です。 誰か知りませんか? (15)江戸時代 大阪夏の陣(1615年)、島原の乱(1637年)を最後に国内は戦争の無い平和な日本となりました。 鎖国によって全く侵略されることの無い、内戦も無い250年の平和な時代が実現しました。 この当時世界では植民地戦争の真っ最中で、このような時期に250年も平和だったという実績は本当に奇跡的なことに見えます。 しかし清朝中国、李朝朝鮮も同じく鎖国状態でしたから、日本だけの平和というより、極東三国そろっての平和時代と言えます。 |
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