| 35618 | 返信 | Re:「労働」に関するあれこれ | URL | あしな | 2005/06/21 20:17 | |
| >おっちゃん > >いやどうしようもなく甘いのはおっちゃん。心理主義を全面化した立場から場当たり的に「大きいのですよ」と無根拠に独白されてもね。 > > 大きいですよ。そういうのがいらぬ戦争を長びかせたり、その反省(精算)を遅らせたりする。 > 絶対的に唯一の要因であることと相対的に小さくない要因であることは全く次元が異なる。おっちゃんの論旨は前者だったのではないかと俺は批判している。 > 何を言ってるのですが、私はそういう場合に「非労働」などという労働の本質を隠蔽するような用語を使うのはおかしいと横レスしたにすぎません。 > そういうことは今村仁司の本を読んでから本人に言ってくれ。という原則を踏まえつつ。 おっちゃんの言う様な「本質的労働」が現実的な労働の問題性を隠蔽してしまうことが見て取れた点において、今村の論理の妥当性が反照された様に思います。 > それに社会的矛盾を肯定したことなど一度もない。 > いつも結果として社会矛盾を肯定している様に見えてしまう。 > 皆さんもそうであってほしいという願いがこもっています。 > 何故そうなるかというと「皆さん」がおっちゃんの様ではあり得ない条件に無頓着だから。 > その時には、この時代にも貞操を守ってお金のために身を売るのを拒んでいた私のような存在がいたことも付記していただきたいものです。> そもそもここでおっちゃんの現実の経済生活を云々しようがない。そう言う実体的な議論と懸隔したところで、上記の様に語るおっちゃんの「意志」は肯定されます。 >工藤さん > 簡単に言う。国家の存続の為に死ぬ場合があってなにが不都合だ。 > 主義や組織や理念の為に死んだ仲間に涙することは無いのか。 > 同じことだと思うよ。 > 自分がそこに偶々生まれた「国家」が具体的に私や家族や友人や知人やその他諸々の人々が生きていくことを邪魔する場合、或いはそのように看取される場合、そのような国家のために死ぬなどということはとんでもないことです。 逆に「主義や組織や理念の為に死ぬ」様な場合、少なくともそれらが私や以下略の生存に有意義であるか、少なくともそのように確信されていることが前提です。 ですから上記の「国家」と「主義や組織や理念」は同じではなく、自己にとってもその意味(自己の生への関与性)において正反対ですらあり得ます。 工藤さんの物言いは、親が虐待されている子供がそれでも「(自分を虐待する)親が(例えば隣の親より少しマシだから)とても良い人物であるはずだ」と全力で信じ込もうとするのに似ています。少し切ない。 |
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